第67話 前世・異世・現世

「キュリアスって言った」

「え?」


 亜結の肩がかくりと落ちた。


(ユリキュースじゃなかった。口走ったのはキュリアスの名前か)


 ほっと胸を撫で下ろす。


「男の人かな? 僕のライバルはいったい何人いるんだろう?」

「ライバルだなんて・・・・・・いないですよ」


 考え事を口にする秋守に亜結は笑って見せる。


「なんだか怪しい」

「さぁ、ごはん食べましょうか」


 秋守の目をかいくぐり亜結はテーブルのセッティングを始めた。


「あっちの世界でユリキュース以外にキュリアスって男とも会ったの? どんな関係?」

「夢って不思議ですよね。見たことない人も出てきたりして」

「亜結」

「美味しそうだなぁ。あ、味見したんだった」


 えへっと笑って亜結は肩をすぼめて見せた。亜結の笑顔に誘われて秋守も笑う。


「わたしの事・・・・・・信用してるんでしょ?」

「浮気はしないって信じてる。でも、本気にならないか心配」


 一瞬、秋守から送られた鋭い視線に亜結はひやりとした。アリューシュトの気配を感じた気がして。


「あっちの世界の事はなんでも話してほしい」


 秋守がまっすぐ亜結をみつめてくる。アリューシュトも言っただろうか、キュリアスとの事をなんでも話してくれと。


「キュリアスって人に難題でも突きつけられてるの?」


 難題。ハリューシャにとっては難題だったかもしれない。


「ううん、私にじゃない」

「亜結にじゃなかったら誰に?」

「えっと・・・・・・」


 どう説明したらいいのだろう。すごく話が長くなりそうだ。


「夢に見るくらい気になってるなら、いま見よう。一緒に」

「まず、腹ごしらえしないと・・・・・・ね?」


 亜結は先に席について手を合わせた。はぐらかされた秋守は納得のいかない顔をしつつ、あきらめて朝食に手を付ける。

 時間稼ぎにはならないけど、腹をくくる時間はできた。亜結はそう思った。






 亜結が秋守と向き合っている頃。ユリキュースは舞花落樹まからくじゅの木の前に立っていた。庭にいくつか植えられている舞花落樹のなかで、彼が立ち止まるのはいつもこの木の前だった。


(まだ感触が残っている)


 手のひらに目を落とし、今朝見た夢を思い返していた。


(こんなにもハッキリと覚えている)


 そっと手をにぎると、その手の内に亜結の細い手首を思い出せる。


(夢の中とはいえ、相手のいる女性にあのようなことを・・・・・・)


 引き寄せて彼女の顔に唇を寄せた。


(夢なら許されるだろうか。夢の中だけなら)


「手をどうかされましたか?」


 ふいに声をかけられてユリキュースの思考が止まる。

 庭の散策についてこなかったシュナウトが、いつの間にか近くに立っていた。


「いや、何でもない」


 ユリキュースの目がシュナウトから逃げる。


「それより、昨夜から何を探しているのだ?」


 何食わぬ顔で話をそらした。

 昨日は王の昼食に呼ばれたまま夕食まで付き合うはめになってしまっていた。

 長く寝所を離れた時には決まって各部屋をシュナウトが見て回る。何か変化はないか何か仕組まれてはいないかと。それはいつもの事だったが、今回は丹念に調べているようだった。


「私の取り越し苦労のようです」


 ユリキュースが目を向けると彼は付け加えて言った。


「王との会食中に私の結界に何かが触れたのですが、鳥か何かだったのでしょう」


 そうかとだけ言ったユリキュースの顔をシュナウトがうかがう。


「私を信用してくださるのですね」


 意地悪な言い方にも聞こえるが、ユリキュースは一瞥しただけで気にしていなかった。


「王に私のことを報告し終えたのか?」

「はい。いつも同じ内容ですが、今回は毒の件がありましたので報告のしがいがありました」


 真っ直ぐ見つめるシュナウトの目を見てユリキュースは頷く。

 シュナウトは王に選ばれたユリキュースの魔法使いだ。シュナウトは王の寛大さを象徴し、かつユリキュースの監視役も担っていた。彼がユリキュースの動向を王に報告していることは以前から知っていた。王子が知っていることをシュナウトも知っている。


「王は?」


「そうですね、少し飽きたおもちゃを勝手にいじられて怒った・・・・・・といった程度かと。それほど惜しくは思っていない様子でした」


「そうか」


 王の所有物としての価値は下がっている。


「側に誰がいた?」

「ふたりの王子と魔法使い」


 ユリキュースは小さく息を吐いた。

 後ろ楯が弱くなれば彼らには好都合だろう。そろそろ本格的に城を出ることを考えるべきかとユリキュースは思う。


「話したのは毒の件だけか?」

「前にも言いましたが、お目付け役とはいっても私も青の者ですからね。洗いざらい伝えたりはしません。信じるかどうかは王子しだいですが」


 そう言いながら、シュナウトはユリキュースが信じていることを疑ってはいなかった。






「向こうの世界に行くときには一緒にって言ったのはさ」


 だいぶ食べ進めた頃、秋守が話し始めて亜結の箸が止まった。彼は少し罰の悪そうな顔をして話を続けた。


「嫉妬してるってのもあるけど、それだけじゃなくて・・・・・・」


 箸を持つ手を置いた秋守が亜結に向き直る。言葉を選ぶように少し間が空いた。


「亜結がテレビから出てきたとき、自分がどうだったか知ってる?」


 穏やかだけれどしっかりとしたその声は諭すときに似ていた。


「すごく体が冷たくて力が入ってなくて・・・・・・ぐにゃぐにゃで、僕は怖かった。亜結が息をしてても怖かった」


 秋守のその気持ちを亜結も知っている。体の冷たさはまるで死体のようだっただろう。テレビから出てきたユリキュースに触れたときに同じようなことを感じた。


(死んでるのかって思った)


 ユリキュースが恋人だったら、あの時とても恐怖を感じたに違いない。


「僕がそばにいて何ができるかわからないけど、助けになりたい。ただ黙って待つのは辛いから手伝わせてくれ」


 提案しているように見えて違う。これは宣言だ。一歩も引かない、引く気はない。


(そんなアリューシュトみたいな目で見つめられたら、断れないじゃない・・・・・・)


 亜結は深くため息を漏らした。


「・・・・・・うん、わかった」


 ただ、あちらの世界につれていくのは極力避けたい。そう思う。


(前に見た夢は予知夢じゃないよね?)


 矢が雨のように降り注ぐ光景が浮かぶ。

 アリューシュトと秋守、ふたりの人生に起こっていることが似ている。そう思うと次々と結びつけてしまう。


(馬鹿みたい)


 似ていることを探そうとしたら何でもそう思えてくるものだ。とにかく秋守が異世界に行かなくて済むように事を進めよう。


(ユリキュース達と協力し合って上手くやらなきゃ)


「じゃあ、一緒に見ようか」


 さっさと食べ終えた秋守がせっつく。

 見るだけだ。それだけできっと納得するだろう。それで秋守の気もおさまるに違いない。




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