第38話 縁

 急病センターの中。少し開いたカーテンの隙間から横たわる秋守の姿を亜結は見ていた。

 頭に巻かれた包帯が痛々しくて、亜結は松葉杖をぎゅっとにぎりしめる。


(痛そう・・・・・・)


 片手で両目を覆ってじっとしている姿は辛そうで、ぐっとこらえても視界がうるうると揺れてしまう。


(私のせいだ。私がもっと気をつけていれば、心配しすぎてるって流さなかったら・・・・・・)



「はぁ・・・りゅ・・・」


 搬送中に救急車の中で意識を取り戻した秋守は亜結を見てそう言った。


(ろれつが回ってない)


 彼の頭の中でなにか良くないことが起こっている。そう思うと不安がどっと湧いて仕方なかった。

 せめて彼の手をにぎって側に付いていたい。亜結はカーテンに手をかけてそっと引いた。


「母さん? お医者さんは何て?」


 こちらに目を向けず、同じ姿勢のまま秋守が続ける。


「もう帰ってもいいって?」


 秋守の声を聞いてこらえていた涙がこぼれた。


(普通にしゃべってる)


 ただそれだけでほっとした。


「・・・・・・母さん?」


 手をどけてこちらへ目を向けた秋守が、亜結に気づいてはっと表情を変えた。


「亜結」

「ごめんなさい・・・私のせいで・・・」

「亜結のせいじゃないよ」


 彼女の服に血が付いていることに気づいた秋守の顔が一瞬で変わった。


「どこをケガしたの!? 大丈・・・・・・」


 秋守の質問をさえぎって亜結は彼の胸に飛び込んでいた。


「亜結?」


 覆い被さるように秋守を抱きしめて小さく声を漏らして亜結が泣く。そんな彼女に秋守は驚き、そしてしっかり抱きしめて頭を撫でた。


「ごめんなさい」

「謝らないで、僕がしたくてしたことだよ。大丈夫だから」

「ごめんなさい」


 なおも謝る亜結の頭に秋守は頬を寄せる。


「死んじゃうかと思って・・・怖かった・・・・・・」


 亜結のふるえる泣き声が耳に染みて、つい秋守の目も潤んだ。


「大丈夫」

「本当に大丈夫?」

「平気だよ、大丈夫。心配しないで」


 秋守はつとめて明るく落ち着いた声で言った。でも、


「大丈夫なんて信じられない!」


 ぱっと顔を上げた亜結が声を震わせて怒鳴った。


「自分だって大丈夫なんて信じられないって言ってたくせにッ」


 亜結の目からぽろぽろと涙の雨が降り注いで秋守の顔を濡らす。


「亜結、泣かないで。ケガは? どこをケガしたの? 痛み止は飲んだ?」


 今、自分は怪我をして横たわる秋守を責めている。わかっていながら責める言葉が次々と口を突いて出てきそうで、亜結は秋守の肩に顔を埋めた。

 不安を抱えた昨日の秋守も同じだったのかもしれない。


(責めたいわけじゃないのに・・・・・・)


 秋守の質問に首を振って答える。少ししてから小さく言った。


捻挫ねんざしただけ。血は・・・先輩のだから・・・」

「そっか、良かった」

「良かったじゃないッ。いっぱい血が出たんだよ」


 再び顔をあげて亜結が抗議する。


「洋服を汚しちゃったね、ごめん」


 微笑む秋守に亜結は何度もかぶりを振った。 


「そこじゃないよぉ・・・怖かったのッ。不安で心配で先輩が・・・・・・!」


 死んでしまうんじゃないかと恐ろしかった。


「亜結が大怪我しなくて良かった」


 秋守の笑顔にほっとして次の言葉が着いてこない。その代わりにまた涙があふれた。


「姫を守った騎士に褒美のキスを下さいませんか?」


 大好きな秋守の笑顔が視界いっぱいいに見える。


(騎士って言うか、王子様感・・・半端ないんですけどぉ―――っ!)


 秋守の甘い声に包まれて亜結は赤面した。


「ハ・・・ハグで十分じゃないかなぁ」


 また秋守の肩に顔を埋めてもごもごと言う。


「いいじゃん。ちょっと顔を傾けるだけ」

「嫌だ」

「亜結こっち向いて」

「いやだ」

「僕のお姫様」


 秋守の声に耳をくすぐられて亜結が笑う。


「いちゃつけるくらい元気なら心配いらないわね」


 唐突だった。中年女性の声が降ってきて亜結はぎくりと固まる。


「母さん」

「え!? お母さん!?」


 慌てて起き上がろうとする亜結を秋守がぎゅっと抱きしめた。


「あっ・・・ちょっと、先輩ッ。あのっ!」


 小亀のようにじたばたする亜結を母親の笑い声が包む。


「いいのいいの、慣れてるから」


 やっと秋守の手を逃れて立ち上がった亜結は、髪や服を整えて軽く挨拶をした。


「幼稚園の頃から好きな子にはストレートなのよ、この子」

「は、はぁ・・・・・・」


 まともに目も合わせられず、亜結は曖昧に相づちを打った。


「それより、カーテン1枚で丸聞こえなのは少し恥ずかしいわね」


 秋守の母がさっとカーテンを開けると、包帯やギプスを巻いた人達が横並びのベッドに横になっていた。


(うそ・・・ッ! 気づかなかったッ)


 他の患者さんと目があってぺこぺこと挨拶する亜結を、秋守の母が楽しそうに笑って見ていた。


「意地悪だなぁ」


 息子の抗議に母は肩をすくめる。


「病棟へ移ってって、今日は1泊よ」

「えっ、秋守先輩・・・・・・」


 とたんに不安な顔をする亜結の肩を秋守の母が優しく撫でた。


「検査結果は心配なかったから安心して。念のためよ」

「でも、血がいっぱい出てて・・・」

「大丈夫」


 秋守の母が太鼓判を押すように亜結の肩をぽんと叩く。


「頭は血が集まるところだから見た目派手だけど大丈夫」


 気楽でさっぱりした感じの母親はからりとした口調でそう言った。


(気を使って嘘ついてたりしない・・・よね?)


 微笑む母親の表情に秋守の笑顔が重なる。


(親子だなぁ、似てる)


「私、大学の頃に大怪我をしてね。その時も出血が凄かったの」


 笑う彼女の顔が何かを思い出してはっとなった。


「乙葉さんのお母様、旧姓はランフィールじゃない?」

「え? はい、そうですけど・・・」

「そうよね!」


 ぱっと顔を輝かせて彼女が勢い込む。


「ランフィール・桜。面影がある!」

「母をご存じなんですか?」

和晴はるから聞いた時もしかしたらって思ったんだけど。・・・・・・そう」


 亜結をゆっくり眺める彼女の瞳が懐かしい記憶をたどっているようだった。


「怪我をしたとき、貴方のお母さんがついていてくれたのよ。私の実家は遠くてね、両親が到着するまで手を握っててくれて心強かったわ」


 彼女はその時そうしていたように亜結の手を取りながら話していた。


「友達だったんですね」

「その時に同じ大学だとわかって仲良くなったの。彼女も怪我をしてたのに自分は大丈夫だからって」


 大学時代に車に突っ込まれた話は亜結も母から聞いたことがあった。


「握った手も血で濡れて・・・。互いの血を混ぜて義兄弟の契りを結んでるみたいだねって、桜が笑いながら言ってたなぁ・・・・・・」


 亜結から離した自分の手を眺めながら秋守の母はそう言った。


「僕らの縁は生まれる前からあったんだ」


 秋守がそう言って亜結の手をそっと握り、亜結も笑顔を返した。




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