第39話 心定まる時

「亜結さんが帰って淋しい?」


 サイドテーブルに水のボトルを置きながら秋守に母が聞いた。


「ん? それ、わざわざ聞く?」


 当然だという顔の息子に母は笑う。


「淋しいって言わないんだ。前は恥ずかしげもなく何でも話してたのに、少しは大人になったみたいね」


 子供の頃は女子並みに母へ恋ばなをしていた。


(そう言えば、亜結とのことはあまり話してないな)


 純粋な可愛い恋愛は高校で卒業してしまったのかもしれない。


「・・・・・・なに?」


 母がじっと見つめている。なんだか気恥ずかしい気持ちにつっけんどんに返した。


「守れて・・・・・・よかったね」


 言われてはっとする。

 彼女を守ること、高校のときにはできなかったこと。

 母の顔に頼もしさと心配が混ざって見える。


「でも、受け身くらいとりなさいよ」


 母は少し怒ったように息子の肩を叩いた。

 優しく包んだあとは突き放す。抱き込んだまま甘やかす人じゃない。秋守は肩に手を当てて苦笑いした。


「中学の体育で柔道を選べばよかった」

「そうよね。剣道着姿も格好よかったけど、柔道の方が少しは安心できたかも」


 そう言って彼女は笑う。


「でも、あれは無理。授業で習うくらいじゃ活かせないよ」


 互いに笑いあって、それまでの気遣う空気がさっと消えた。


「保険証と着替えをとりにアパートへ行ってくるわね」


 母が立ち上がるのとほぼ同時にカーテンが開いた。


「あら、黒川君。亜結さん達と一緒に帰ったんじゃないの?」

「姫花ひとりで大丈夫って言うし、ちょっと話があって」


 それを聞いた母は男同士の話かと、わかったような顔をして病室をあとにした。

 秋守の母親が立ち去るのを待って黒川が質問を口にする。


「意味深なラインだな。何を見たって?」

「・・・犯人」

「犯人?」


 黒川が怪訝な顔になる。


「亜結は押されて落ちたんだ。そう見えた」

「マジか!?」

「うん」


 椅子を引き寄せて黒川が座った。


「誰だ? 知ってるやつか?」

「たぶん、虻川あぶかわさん」

「あ? 誰?」

「優香の親友」

「あぁ・・・お前が去年付き合ってた元カノの・・・・・・」


 点と点を繋げて黒川がなるほどとうなずく。


「昨日、亜結にぶつかったの彼女だったんだろ?」

「ああ・・・」

「彼女が押したと思う」


 黒川がぱっと立ち上がった。


「ふざけやがって!」

「おい、待て黒川!」


 出て行こうとする黒川の腕に秋守が飛び付くようにして引き留める。


「話せよ! 姫花も危なかったんだぞッ!」

「どこにいるか知ってるのか?」


 秋守の質問に黒川が詰まった。


「彼女が押したと思う。亜結のすぐ後ろにいたから。でも、亜結の影になってて押したところを直接は見てない」


 黒川が唸る。


「見えたのも一瞬だったし・・・・・・」


 大きなため息をついて黒川が椅子に沈み込んだ。





 姫花の帰った静かな部屋にラインの通知音がテンポよく鳴っていた。


(じゃ、また明日。無理しないでね)


 亜結がそう送ってお休みのあいさつをしあってスマホを置く。

 姫花と他愛もない話をして楽しい気分になって、秋守と連絡しあってほっとする。でも、ひとりになるとやっぱり考えてしまうのは今日の出来事だった。


「誰に押されたんだろう・・・」


 背中を押された感触がはっきり思い出せる。


「キャンパスでぶつかってきた人は見なかったし、食堂で転んだのは・・・足を引っ掛けられたか不確かだし・・・・・・」


 黒川や春田ならぶつかってきた人の顔を見てただろうかと考える。


「誰かがわざとしてるなら止めてもらわなきゃ」


 秋守の顔が浮かんだ。心配のあまり大声で怒鳴った彼の顔が。


(秋守先輩にこれ以上迷惑をかけたくない)


 心配をかけたくなかった。


(魔法使いになったら・・・もしかして、その人を見つけられる?)


 魔法使いの称号を受けられるのは明日の夜。

 どんな魔法が使えるようになるのかわからない。しかし、なにもかも上手くいくような気がした。


(リュースが秘薬を使わないように説得して、ユリキュースにルガイの企みを話そう。秋守先輩の傷も治して、私を押した人を見つけて、なんでこんなことをしたのか聞いて止めてもらおう)


 やるべき事がいくつも浮かんでくる。亜結はぎゅっと手をにぎった。


(守ってもらうだけじゃダメよ、うん。私、魔法使いになって全部解決させる)


 もとから称号を受けるつもりだった。受けるつもりだったけれど、今、心がきゅっと固まった。





(なんだか妙だ・・・・・・)


 ユリキュースは自室にいた。

 シュナウトの魔法で戻った後、すぐに薬を口にして今は良くなったように見える。しかし、見た目と体の内では違っていた。


(いつもならすっきりと良くなるのだが、何故か体が重い)


 咳も治まり苦しくはなかった。


(まだ万全ではなかったか・・・。体を動かしたのはやりすぎだったかもしれない)


 黙って座る王子の血色が悪いことがフィリスは気になっていた。


「あんな誘いを受けるなんて、王子様が無茶をなさるなんて・・・・・・。どうされたのかしら」


 小声でそう呟いた。


「じっとしていると悪いことを考えてしまう。そんな時があるでしょう?」

「シュナウト様」


 フィリスは1歩さがってシュナウトに一礼をする。


「薬が効いているようないないような」


 そう言うシュナウトにフィリスも頷く。


「いつもより効きが悪いような気がします」

「体を動かしたせいか」

「どうでしょう・・・」

「明後日までに良くなられるといいのだが」


 それだけ言ってシュナウトはユリキュースの元へ近づいていった。


「王子。明後日の昼過ぎに王が戻られると伝令をうけたようです」


「そうか」


 ユリキュースは身じろぎひとつしない。


「戻ったらまた戦を始めると思いますか?」


 シュナウトの問いに少し考えてからユリキュースが答える。


「近隣の国が上手く顕示欲を満たしてくれてるようだ。母国からの長距離の移動も考えれば、しばらくは動かないだろう」


 青の者達の住む大地に攻め込み、多くの国を滅ぼしたバルガイン王。

 沢山の戦利品と異国の話でどれほどもてはやされたのか。


「心の求める欲はどれほど満たされたんだろうな」


 戦に駆られる思いがバルガインの心で目覚めるのは、その量に応じて長短が決まる気がする。


 沢山の人々の死。国を追われ土地を失った多くの国の民の事を思う。


(血にまみれてしまったこの大地を、人々をどうすれば救えるというのだろうか・・・・・・)


 そう思うとユリキュースは切なかった。



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