第25話 秘薬の小瓶
「リュースどうだった?」
女性の声に亜結が顔をあげると30代くらいの女性と若い娘が画面に写し出されていた。
亜結がユリキュースから目をそらしている間に画面が切り替わっていた。
「ああ、フィリスさん。王子様にもシュナウト様にも喜んでもらえました!」
若い召し使いが跳ねるように喜んでいる。リュースと呼ばれた召し使いは高校生くらいの年頃か。
頬を紅潮させて乙女そのものの笑顔を見せていた。
「そう、良かったわね」
彼女たちがいるのは台所と召し使い達の休憩所を兼ねた場所のようだった。
夜になり仕事を終えたほとんどの召し使いは自室に戻ったのか、今ここにはふたりしかいなかった。
「ブランケットまでは気づきませんでした。有難うございます」
フィリスと呼ばれた年上の召し使いが彼女の様子を楽しげに見ていた。
「フィリス!」
部屋の出入り口からきつい声がかかってフィリスは即座に振り返った。彼女の背後でリュースが身を縮める。
「・・・デボラさん」
赤毛の中年女が立っていた。
亜結はルガイ王子達の会話を思い出して、彼女たち召し使いのリーダーに違いないと見当をつける。
細身でシワが多く神経質な印象の女性。60代に見えるが50代かもしれないと亜結は思った。
「数日後に王様が帰って来られる。王子の
彼女の鋭い目が威圧的にフィリスに向けられる。
「・・・今からですか?」
「そうよ、明日には香を焚いて。王様のお好きな香りをたっぷりとね」
かすれた低い声が有無を言わせないと言っていた。
「虫食いでもあったら王子が笑われるのよ?」
途切れた言葉の先に詰め寄る気配がしている。それでも良いのかと。
「わかりました」
フィリスは軽くお辞儀をして部屋から出て行った。その際に、心配そうな眼差しをリュースに向けていた。彼女が出て行き一人残されたリュースが身を固くする。
デボラがゆっくり一歩一歩とリュースへ近づいて来て、思わずリュースは1歩下がった。
「ここに来てもうじき1ヶ月ね」
何気ない会話のようでありながら、何か意図を感じさせる声音にリュースの肩に力が入る。
(何だか・・・嫌な感じの人)
亜結はそう思った。
「王子様に恋をしてしまったの?」
リュースの青い髪にデボラが指をかける。
「い・・・いえ、とんでもない」
また1歩後ずさるリュースを、品定めする様なデボラの目が追う。
「いいのよ。王子はあんなに美しいんですもの、恋したって仕方ないわよねぇ」
デボラの手が肩に置かれてリュースはびくりと震えた。
「身分差のある恋。私もしたことがあるから、あなたの気持ちはよくわかるわ」
蛇が絡み付くような声音に、リュースは顔を上げることが出来ず床を見つめる。
(いつも青の者と距離を置いているのに・・・)
リュースの心に不安がよぎる。
「秘薬があるの」
「え?」
「恋の秘薬」
リュースの耳元に口を寄せてデボラが繰り返してそう言った。
「恋の秘薬・・・欲しくない?」
疑心暗鬼の目を向けるリュースにデボラが笑いかける。
「魔法使いに作らせた、特別な秘薬なのよ」
デボラはそう言ってポケットから小さなボトルを取り出した。
「昔、私も使ったの」
「つ・・・使った?」
ボトルとデボラを交互に見るリュース。
「恋い焦がれてどうしてもその人の心を射止めたくてね。効果は絶大!」
そう言ってデボラが含み笑う。
「私はもう要らないから、残りをあなたにあげるわ」
デボラはそう言いながら手にしたミニボトルをリュースの目の前にかざした。
(これが秘薬?)
細かく綺麗にカッティングされた透明なミニボトルの中に、液体が半分ほど入っていた。
デボラは人差し指と親指でつまむようにして、小さなガラスのボトルをゆっくり揺らして見せる。
「あれに毒が・・・・・・」
亜結は呟いた。あの液体が王子にとって毒なる物に違いない。
(これがあれば、王子様に振り向いてもらえるの? 本当?)
灯りの少ない部屋の中でボトルがきらきらと光を反射させる。
「そんなの嘘よ」
テレビの前で焦れた亜結が声をかける。
(なんて・・・綺麗なんだろう・・・)
その輝きはまるでボトル自体が魔法の力を持っている様にリュースには見えた。
ボトルへと伸ばしたリュースの手から、ひょいとボトルを遠ざけてデボラが言う。
「1滴・・・。たった1滴、想う人が口にする物に垂らすだけ」
ボトルに目を奪われているリュースの耳にデボラがささやく。
リュースの瞳の中でミニボトルがきらきらと輝いているのが見える。
「リュース、駄目よ!」
亜結はリュースにもう一度声をかけた。テレビ画面に手を着けて思いを込めて強い口調で・・・・・・。
「これで・・・本当に?」
「そうよ」
リュースの指がボトルに触れる。
「駄目よ! 嘘に決まってるじゃない!」
拳を握って声をあげても亜結の声は向こう側に届かない。
「1滴ずつ、自分の名を唱えながら入れなさい」
「・・・私の名前を?」
夢を見るような眼差しでボトルを見つめるリュースが、デボラの空気に飲まれて繰り返す。
「・・・そう。あなたに恋をするように」
デボラの口調はまるで魔女のような気配を帯びている。
リュースは両手で大事そうにボトルを包み込んでボトルに釘付けになっていた。
「1度に沢山入れては駄目よ、誰にでも恋をしてしまうから」
リュースは驚いてデボラへ目を向ける。デボラは困った顔をして見せた。
「そんな事になったら嫌でしょう?」
うなづくリュースにデボラが微笑む。
「誰にも言わないで、誰にも見られないように」
そう言ってデボラが人差し指を口許に当てる。
「魔法の効果が失われてしまうから」
うなづくリュースに「応援してるわ」と言い残してデボラは出て行った。
ドアをくぐる時、そっと振り返ったデボラがリュースに目をやる。
ボトルを見つめるリュースはデボラが意地悪く微笑んだことに気づかなかった。
一人残されたリュースは両手で包んだボトルを胸に当て、祈るようにその場に立っていた。
そこまで見せたテレビが用は済んだとばかりに消えた。いつものように唐突に。
「人の恋心をこんなことに利用するなんて・・・!」
亜結はじりじりと心がざわついてしかたなかった。
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