第24話 標を想う

 午後の講義も集中しているようでいてちらりちらりと異世界の事が気になっていた。

 早く帰ってテレビが点くか確かめたい。今ユリキュースは元気でいるのだろうかと頭の隅で考えていた。でも、そんな時ほど物事はスムーズに行かない。

 同じ講義を受けている顔馴染みに夕食をと声をかけられた。

 初めての誘いをむげに断ることも出来ず、共にすることになってじりじりと時間は過ぎていった。


 愛想笑いに見えないように話に耳を傾けながら和の中にいる。時間が気にかかった。


(ユリキュースも夕食をとってるかな?)


 王子は何のアレルギーを持っているのか、症状は重いのか軽い方なのか。食べながら疑問や心配の種が顔を覗かせた。


 教授の話からゼミはどれを選ぶかなど、雑談を交えながら話は続く。


(情報共有は大切よね)


 そう思って、またルガイの企みを思い出す。


(情報を共有・・・か・・・)


 お近づきの食事会を滞りなく終えて帰る頃には20時を過ぎていた。

 秋守と姫花へ返事を返し、グループラインにも目を通して近況報告する。



 家に帰りついてドアを閉めると、目に止まったブラウン管テレビが異世界の現実を引き寄せた。

 着替えもそうそうにテレビの前に座り込み鞄から小箱を取り出す。

 祈るようにそっと箱の蓋を開くとテレビの画面に砂嵐が写った。ザーザーと雨音に似た音をしばらくたてた後、画面が映像を結ぶ。


「あっ、ユリキュース!」


 日の落ちた庭で丸テーブルを前に座る王子の姿が写り、亜結は思わず身を乗り出す。


「あっ、そうだ」


 亜結は自分のすべき事を思い出してテレビに近寄った。


「王子、王子、ユリキュース王子。聞こえますか?」


 無線で呼び掛けるみたいになって「違うか」とやめた。座り直して両手をテレビにかざして念を送ってみる。


「王子、あなたに危険が迫っています」


 今度は超能力者のようで変だ。

 次はテレビ画面に手を触れながら声をかけてみる。


「お願いテレビさん王子に声を届けて!」


 強く念じてみる。目を閉じて両手のひらを合わせる。

 王子は相変わらずじっとしていた。何を考えているのか身じろぎひとつしない。

 亜結は小箱をテレビに向けて声をかけた。ペンダントを箱から出して振ってみたり画面に着けてもみた。


「んー・・・呪文が必要なのかなぁ?」


 ペンダントを握りしめて印籠いんんろうをかざすようにして、何を言うべきかと考える。


「オープン・ザ・セサミ!」


 もちろん、そんな言葉では何も起こらない。


「・・・バルス!」


 そう叫んだ亜結はパタリとラグに倒れた。


「それは滅びの呪文だよぉー」


 亜結は声にならない声をあげてラグの上を転がり回る。


「王子、今日は食事を残しておられたようですが具合でも悪いのですか?」


 シュナウトの声が聞こえてきて亜結はどきりと身を起こした。

 影の落ちた暗い庭にはいくつかランタンが下げられている。しかし、その光だけでは表情は読めても顔色を確かめるには足りなかった。

 亜結は画面に顔を寄せてユリキュースの顔に目を凝らす。


「いや・・・。今日は特に何をするでもなくて、お腹が空かなかっただけだ」


 ユリキュースの答えを聞いて、亜結はほっと胸を撫で下ろした。


「はぁ、良かった」


 脇に立つシュナウトへユリキュースが目で座るように促し、シュナウトは軽くお辞儀をして向かいの椅子に座った。


「ここを出る計画でも考えておいでですか?」


 ことのほか穏やかな声でシュナウトが質問する。王子は声もなく笑った。


「私につて来るとしたら・・・魔法使いくらいだろうか?」

「魔法使いがついてきたら十分でしょう」


 間を置かず自信ありげに言うシュナウトにユリキュースが笑う。

 小さく首をふりながら「よく言うよ」と言いたげに、でも嬉しそうな笑顔だった。


「逃げる経路も潜伏先も考えなくてはいけない。すぐには無理だろうな・・・」


 そう言ってユリキュースは自重ぎみに笑った。

 シュナウトは黙ったまま王子を見つめていて、ユリキュースが「何だ?」と言う目を向けた。


「いえ・・・。最近、表情がやわらかくなられたなと」


 ユリキュースが小首をかしげる。


「そうか?」

「よく微笑まれておられるように思います」


 ユリキュースが鼻で笑った。


「楽しい事もないのに笑うわけがない」

「そうですか? しるべに会った後から変わられたように感じます」


 シュナウトの目が王子の表情を伺う。


「何かあったのでは?」

「標・・・・・・」


 ユリキュースがその単語を口にした途端、自分の顔が画面に写って亜結は驚いた。

 それはほんの一瞬の事だったけれど。


(なに? 今の)


 きょとんとしている亜結とは関係なく会話が続いていた。


「傷を治してもらったとは聞きましたが、標とはどんな人だったのですか?」

「標は・・・若い娘だ」


 ぼんやりと宙を見つめる王子の顔に被さって亜結の顔が画面に浮かんだ。


「え? 標って・・・もしかして私のこと?」


 王子の顔が消えて、代わりに青い髪の亜結の姿がくっきりと写し出された。

 全体にやわらかくしゃがかかって、夢の中のお姫様のようだ。

 亜結の笑った顔、驚いた表情、怒ったしぐさ。まるで恋する人を思い出しているみたいに次々と亜結の顔が映る。


(ちょっと・・・乙女過ぎて恥ずかしい・・・・・・)


 映像を思い浮かべる王子の顔に甘いニュアンスが感じられる。


「彼女は牢にはいなかった。小さな彼女の部屋を牢と間違えて怒らせてしまった」


 そう言って楽しそうに笑うユリキュースの顔の横に亜結の顔がふわりと映り込む。


「彼女のいる場所は異世界で、部屋から見た外の世界は確かに見たことのない町並みだった。この世界より文明が発達しているように思えた」


 ユリキュースの腕に支えられて横たえられる亜結の姿が画面に映る。


「彼女は・・・力を初めて使ったようだった」


 ユリキュースの腕の中で目を閉じて微笑む亜結。その顔を思い出すユリキュースがやわらかく微笑んだ。

 顔にかかる髪をユリキュースの手が直す。うかつなほど無防備な自分を見て亜結は落ち着かなくなった。


「物怖じせず、愛らしい人だ」


「ユリキュース・・・」


 画面の中の自分が彼の名を呼ぶ。

 その唇がなまめかしくて、亜結は耳を赤くして唇を噛んだ。

 ユリキュースの視線が画面の中の亜結の唇へと注がれるのがわかった。


「いや、ちょっとその先は・・・」


 亜結は恥ずかしくて黙って見ていられず目をそらした。


「彼女は・・・大胆な人だ」

「ん?」


 テレビに顔を向けると、王子の唇へ亜結の唇が押し付けられる場面だった。

 一瞬驚いたユリキュースが亜結に応じてさらに唇を重ねる。


「そ、それは・・・忘れて欲しい・・・!」


 亜結は自分のキスシーンを見る恥ずかしさに、両手で顔を覆ってじたばたと足をバタつかせる。

 テレビ画面からはわからなかったが、思い起こす王子の頬が少し赤らんでいた。


「標と何かありましたか?」


 王子はシュナウトの問いかけから目をそらし短く否定する。その姿から恥じらいが感じられた。


「恋をなさっておいでですか?」


 シュナウトのその質問は亜結の心にもかかった。


「恋など・・・会って間もないのに」


 否定する王子の顔がみるみる赤くなる。


「王子、恋は一瞬で落ちるものです」


 ルガイより大人びて見えていたユリキュースから、高校生のような甘い恋の気配がする。

 シュナウトの顔にちらりといたずらな色が浮かんだ。


「恋はしていないが、床は共になさいましたか」

「そんな事はしていない!」


 顔を真っ赤にして少し怒りぎみに否定するユリキュース。ほぼ同時に画面のこちらで亜結も否定する。


「そうよ! そんな事するわけないでしょ!」


 王子と亜結、どちらも赤い顔で平静を装おうとしていた。シュナウトが珍しく声をあげて笑っていた。


「あの・・・・・・温かいお飲み物をお持ちしたのですが・・・」


 召し使いの娘の目が王子とシュナウトの顔を行き来している。


「ああ・・・すまない。お飲みになりますか?」


 シュナウトが王子に声をかける。手で顔を半分隠したユリキュースがうなずいた。

 娘はブランケットもふたり分持ってきてあった。うやうやしく頭を垂れて持ち場へと娘が帰っていく。


「よく気のきく娘ですね」

「・・・そうだな。優しく奥ゆかしい娘だ」


 シュナウトと共にユリキュースも娘の後ろ姿に優しく目を向ける。

 妹を見るようなその眼差しに、愛しい者を見る気配を感じる。亜結の心の中でなにかがしゅんとしおれた。


(な、なんでシュンとしてるのよ。なにか期待してたみたいじゃない)


 自分に突っ込む亜結の耳にユリキュースの声が届く。


(名を聞くのを忘れた・・・。これでは、会いたくても名すら呼べぬな・・・・・・)


 カップに目を落とすユリキュースの瞳が、亜結の顔を儚げに思い浮かべていた。


(また会えるだろうか・・・)


 彼の心の声が切なくて、亜結は自分の胸に手を当ててうつむいた。


「片想いした沢山の私が共感してるだけよ」


 と、亜結は自分へ呟いた。



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