第20話 ときめきと悪夢
早まる鼓動が感情をかきたてる。
恥ずかしい気持ちを忘れて秋守のキスに答えたかった。だから能動的に動いてみる。
秋守の頬に亜結が手をかけたその時、秋守が彼女を剥がした。
「亜結」
そして距離を置く。
「亜結、ごめん。今日は帰る」
「・・・え?」
いつになく真剣な秋守の表情に亜結は不安になった。
(積極的過ぎた? 引かれちゃった?)
急に不安が押し寄せて亜結は泣きそうな顔になる。そんな亜結を見て秋守は彼女の首に手をかけた。
秋守は彼女を引き寄せてもう一度抱き締めた。そして頭にキスをする。
「大好きだよ。君を今すぐ抱きたい」
彼の言葉に心臓の鼓動が強くなる。
(秋守先輩)
秋守の胸に顔を埋めて彼の声と鼓動を間近に聞く。
「でも、大切だから・・・素敵な夜までとっておこうと思うんだ」
亜結は自分を思っていてくれることが嬉しくて、そして少し焦れったく感じた。
「素敵な夜って・・・私の誕生日?」
「どうかな? でも、その時は恥ずかしいって言っても逃がさないから」
首にかかる秋守の手が、腰に回った腕が亜結を彼へと押し付けた。そして、すぐに亜結から離れた秋守が背を向ける。
彼の遠ざかる姿を見つめて亜結はしばらく立っていた。
秋守からもらったときめきを抱きしめて玄関のドアを閉める。
かすかに甘い香りがあるような気がして、ユリキュースの顔がちらりと浮かんだ。
ここはユリキュースのいた場所だ。
不思議な出来事ばかり。現実にはあり得ないリアルな夢。
(ぜんぶ夢だよ)
そう思いたかった。
秋守との幸せな時間から一気にユリキュースとの時間へ戻された。そんな気がして、亜結は枕カバーを剥いでシーツごと洗濯機へ放り込んだ。
シーツとカバーを取り替えてルームフレグランスをシュッと部屋にふって横になる。
(忘れよう)
振りまいた香りを吸い込んで、秋守の顔を言葉を思い返して眠りにつく。
案外スムーズに眠気がやってきて、亜結は夢の中に落ちていった。
「亜結」
「え?」
並んで歩く秋守が亜結の手を握る。
(今、亜結って言ったよね?)
くすぐったくて亜結はこっそり笑った。
見慣れてきた秋守の横顔を間近で見上げる。ただそれだけのことが嬉しい。秋守の顔がふいにこちらを向いて亜結はそっぽを向いた。
(私も
和晴と呼ぶ事を想像するだけで嬉しくてつい顔が緩んでしまう。頬を軽く叩いて何ともない表情を作ってみる。
大きな秋守の手をきゅっと握るとぐっと握り返されて亜結は彼を見上げた。優しい笑顔の秋守がこちらを見ていて亜結の頬が紅潮してしまう。
(ああ、どきどきする。幸せ)
ときめきが鼓動を早めて、早まった鼓動がどきどきときめかせる。駆け出したい気持ちを押さえて、また彼の横顔を盗み見る。
ヒュヒュヒュン!
空気を切ってなにかが近づく音がした。
(なに? ・・・はっ!)
目の前の光景に亜結は目を見開いた。
「秋守先輩!」
音をたてて次々と飛んで来た矢が秋守の肩に胸に突き立つのを亜結は見た。
「うそ・・・嘘ッ!」
崩れた秋守の体がゆっくりと後方へ倒れていく。
「嫌ぁーー! 秋守先輩!!」
秋守の手を両手で掴まえる。けれど止められない。逆に引かれた亜結もゆっくり倒れた。全てがスローモーションだった。
倒れる秋守の青ざめた顔がするりと替わり、
「ユリキュース!?」
上半身に矢を受けて倒れていくのはユリキュースの姿になっていた。
(なんで!?)
引かれて倒れた亜結が彼の上に倒れ込むその
「ユリキュース・・・。秋守先輩!?」
辺りを見回すが二人の姿はなく、少しずつ世界に闇が落ちて行く。
「どういう事? なんで?」
ぐるぐると周囲に目を走らせた。しかし、どこにも二人はいない。闇が亜結を包んでいく。
「どこ? 怪我をしてるのに・・・どこに?」
闇が不安を掻き立てる。
とうとう一歩踏み出す足すら見えなくなって亜結は震えた。
(怖い・・・・・・怖い!)
握る手のひらにじっとりと汗を感じた。
「秋守先輩! ユリキュース!」
(・・・・・・はっ!)
亜結は部屋の中にいた。今見たものが夢だと気づいて息を吐く。
ぎゅっと握りしめた両の拳を胸に当てて、身体中に力が入っていたのがわかる。
(わたし、夢を・・・見てたんだ・・・)
ひとつ深い溜め息を吐いて、亜結は横たわったまま部屋を見渡した。
「はぁ・・・・・・私の部屋だ・・・」
首の汗をぬぐう。汗が冷たかった。
「嫌な夢・・・・・・」
不安感がいまだにべっとりと心に張り付いている。胸がざわついて落ち着かなかった。
(夢だ、嫌な夢。ただの夢・・・)
そう思ってもざらついた不安がぬぐえない。
(どうしよう・・・秋守先輩、大丈夫かな)
ふとブラウン管テレビに目が止まった。何かあるとしたら秋守よりもむしろユリキュースの方だろう。
(忘れよう。夢だから、寝たらきっと忘れられる)
何度か寝返りをうった。しかし、いっこうに眠ることが出来ず、不安がずっとつきまとってしかたなかった。
「ああ! 眠れないッ」
時計の針は4時を回ったばかり。亜結は座り込んでスマホをじっと見つめる。
明け方、人は死に招かれる・・・。何かの本で読んだ1節が頭に浮かんでさらに不安を掻き立てられた。
(もう少し待てば夜が明ける。出掛ける少し前にでも秋守先輩にメッセージを送ろう)
きっと秋守は大丈夫だろうと思っても、もう一人が気にかかる。
(ユリキュースの傷が消えたせいよ)
正夢なんて今まで見たことがない。予知夢を見るようなそんな力があるはずがない。
打ち消してもユリキュースとの不思議な体験がもしかしたら・・・と思わせる。我慢できなくなって起き上がり、亜結は引き出しから小箱を取り出した。
(写るかな?)
ペンダントは勝手に異世界を見せて勝手に映像を消す。でも、試してみようとテレビの前に立った。
(ユリキュースはきっと大丈夫。顔を見るだけ。確認出来たら落ち着くはずだから)
そろりそろりとテレビに近づき蓋を開けた。しばらく待ってみたがテレビは点かなかった。
(だめか・・・)
諦めかけたころ。
(あっ)
唐突に画面が明るくなった。
雨音をたてるざらついた画面を亜結は座り込んで見つめた。
(ん?)
急に画面が真っ暗になって目をしばたたく。
(どうしたんだろう?)
テレビは消えてはいなかった。
画面が暗いのは映像が途切れたからではなく、暗い部屋を写しているからだと少しして気づいた。
(あちらの世界も夜なのね)
ユリキュースの姿を期待したが、テレビが写したのは彼ではなかった。
わずかに部屋へ差し込む月明かりに金糸銀糸が光る椅子。その豪華な一人掛けの椅子に人が座っているのが見えた。
膝を抱え爪を噛んで小さく収まっているのは赤毛の王子。
ユリキュースの頭を下げさせようとしたあの時、手を下さず声をかけていた細身の男の方だった。
(何で?)
どうしてユリキュースではなくこちらが写っているのかと亜結は
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