第19話 秋色に染まりたい夜
ユリキュースの消えた部屋は何もないいつもの空間に戻っていた。
ただ、ラグと亜結の腕に付いた血だけがユリキュースの居た痕跡を示しているだけ。
(ユリキュース王子、消えちゃった)
王子が消えた後、もしやとペンダントを取り出してみたがテレビはだんまりを続けたままだった。
昼下がりの大学。
姫花と向かい合って食事をとってる間も、亜結はちらちらとペンダントの事を考えていた。
今日の亜結は授業にも身が入らない。
(ペンダントが関係あるのは間違いないと思うんだけど・・・)
スパゲティーをフォークにくるくる巻いたまま亜結は空中を見つめていた。
「亜結、大丈夫?」
向かいに座った姫花が声をかけても亜結はぼーっとしたままだ。
「空いてるって言うから久し振りにお昼誘ったのになあ・・・」
上の空の亜結を姫花は苦笑いしながら見ていた。亜結は考え事をしながらスパゲティーを口に運ぶ。
(あっ)
口に当たってふいにユリキュースとのキスを思い出して赤くなる。
(恥ずかしい。なんでこれくらいで思い出すのよぉ)
あの時の感情まで思い起こされて胸がざわついてしまう。
「・・・ねぇ、姫花」
「うん?」
「可愛いからって、ついキスしちゃうなんてことあると思う?」
姫花に軽く否定して欲しかった。
そんな事があるわけないと切り捨ててほしい。でも、亜結の問いに笑った姫花は予想外の方向からボールを投げてきた。
「亜結ったら、突然のろけるんだから」
「えっ? のろけ?」
くすくすと笑う姫花に亜結が慌てて訂正する。
「のろけじゃないったらッ」
「秋守先輩、そんな事言ってキスしてくれるんだぁー」
姫花が「へぇ」といたずらに笑って亜結を小突いた。
「もう、違うったら! そうじゃなくて」
「はいはい」
「・・・秋守先輩じゃなくて」
気まずそうに視線をはずす亜結に姫花が顔を寄せる。
「じゃあ、誰よ」
「うっ・・・・・・」
姫花の視線が亜結から後ろへそれた。その視線を追って亜結も後ろを振り返る。
「楽しそうだね、何の話してるの?」
秋守と黒川だった。
「僕も混ざっちゃお」
亜結の隣の席に座ろうとする黒川をどけて秋守が椅子にかける。黒川は秋守の向かい、姫花の隣に座った。
「亜結ののろけ話を聞いてました」
「姫花!」
慌てる亜結を横目に姫花が続ける。
「亜結が可愛くてついキスしちゃったって話」
姫花に真っ直ぐ見られた秋守が面食らって目を泳がせた。今までに無くはない感情を突かれて赤面する。
「そ・・・そんな事、言ったかなぁ?」
少し顔を赤くした秋守が首の後ろをなでて別のテーブルへ顔を向ける。亜結は困った顔のまま耳を赤くしていた。
「可愛いなぁ、僕も亜結ちゃんにうっかりキスしたい」
亜結の表情を見て黒川がちゃかした。
「黒川!」
「黒川先輩ッ」
秋守と姫花に睨まれて黒川は肩をすくめた。
「冗談だよ。でも、可愛いってところは本当」
そう言って黒川が亜結へウインクを送る。
「いい加減にしろ」
秋守は立ち上がって黒川の背を叩く。
「行くぞ」
黒川を引っ張り上げる秋守が「あとでね」と亜結に言って席を離れて行った。
「・・・姫花、黒川先輩あれでいいの? 付き合ってるんだよね?」
ふたりが何度かデートを重ねていることを亜結は聞いていた。
「んーまぁ、お互いキープって感じだから」
「キープ?」
目を丸くする亜結を見て姫花は笑う。
「話してて楽しいし笑いのツボも同じで、一緒にいると楽しいんだよね」
そう話す姫花はまんざらでもなさそうに見えるのだが。
「それって、恋人にぴったりなんじゃないの?」
「そうなんだけどねぇ」
何が問題なんだろうかと亜結は考える。顔も悪くないと言っていたはずだ。
「ちょっと焼き餅やいたりデートしたり、このゆるい感じがいいというか・・・。お互い上を目指したい気があるし」
無理をして大人のふりをしていないかと亜結は姫花の表情をみつめる。
「んー・・・。姫花らしいと言うか、らしくないと言うか・・・・・・」
難しい顔をする亜結の手を取って姫花が言った。
「まずは食べよう。美味しかったらまた食べる。もっと好みの飽きの来ないメニューを見つけたらそちらに変えてみる」
姫花にフォークを口に運ばれて、亜結は一口ミートスパゲティーを食べた。
「いろんな味を食べてみて、最終的にやっぱりプレーンが一番ねってことになることもある」
姫花はそう言ってコーヒーを手に取った。
「自分にとっての安定のプレーンは人によって違うから、見極めが難しいけどね」
ソイラテを一口含んでカップを軽く揺する姫花。その瞳が揺れる水面を見つめている。
「・・・で、亜結は誰に目移りしてるの?」
突然の切り返しに亜結は目を白黒させた。
「目移りとか・・・そんなんじゃなくて、テ・・・テレビの話よ」
「はぁ?」
「ほら、王子様の出てきたドラマ」
ややしどろもどろになる亜結に姫花が目を鋭く細める。
「いやいや、あの夢心地な顔と複雑な表情は・・・。ドラマの主人公とかじゃないと思う。誰よ白状しなさい」
姫花の追求にスパゲティーを口に運びフォークで巻いて次々と口にスパゲティーを押し込む亜結だった・・・。
「じゃ、また明日」
亜結をアパートの前まで送った秋守が坂を下って行く。その背を亜結は見送っていた。
秋守と過ごした時間、ユリキュースの事は浮かばなかった。亜結にとってそれは喜ばしいことだった。
(やっぱり一時的な気の迷い。・・・・・・ん?)
立ち止まった秋守が引き返してくる。
「どうしたんですか?」
亜結の真ん前に立った秋守が言葉を探して黙ったまま亜結をみつめていた。
今日の亜結がいつもと違うと秋守は感じがしていた。
「・・・黒川には気を付けて」
「え? 大丈夫ですよ」
少し心配げな秋守がなんだか可愛く見えて亜結はくすりと笑った。
「黒川先輩になびいたりしませんから」
亜結がそう言って秋守に笑顔を向ける。
「あいつ思いつきでパッと行動することがあるから、油断しない方がいいよ」
「はい」
秋守が妬いてくれてる。そう思うと嬉しくてにやけてしまう。
(嬉しすぎる)
にやける顔を見られたくなくて亜結はうつむいた。しかし、表情が見えなくて逆に秋守を不安にさせる。
「先輩?」
突然抱き締められて亜結の心臓がどきりと跳ねた。
秋守の大きな手が頭を包み込む。そして、亜結の髪を撫でた。
胸のときめきを実感して亜結はそっと笑った。
秋守と手を繋ぐだけで気分が上がり、彼の瞳に見つめられるたびにときめく。
(私、やっぱり秋守先輩が好き!)
ユリキュースとの事はただの気の迷いだ。
(ハンサムな人に抱き締められてキスされたら・・・。いやいや、私普通な状態じゃなかったし・・・)
秋守と恋愛が進めば同じ感情にかられるに違いない。
布団のなかでキスされたら「体が求める」などという小説的な感情が秋守へもきっと・・・・・・などと考える。
「・・・亜結」
「え?」
初めて秋守に名を呼ばれた。
驚いた顔で見上げる亜結を秋守は見つめていた。
(秋守先輩、どうしたんだろう)
亜結は彼の笑顔以外の表情をあまり目にしたことがなかった。心配げに見つめる秋守に何と言えばいいのかと迷う。
「黒川とふたりで会ったりしないでほしい」
そんなことを本気で気にしているのかと亜結はくすりと笑った。
「本当に大丈夫ですよ。心配する必要はありません」
秋守を見上げてにっこりと亜結が微笑む。
「でも、今日は他の誰かの事を気にしてた」
ぎくりとした。
驚く亜結に秋守が顔を寄せる。そして、亜結の唇に口を重ねた。
いつもより少し情熱的なキスで、亜結はとまどいながらも嬉しかった。
すべて上書きされていく気がした。
秋守の触れた部分が、銀色の冬から明るい秋色に塗り替えられる。そんな気がして嬉しい。
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