第25話 300秒の誓い

「んっ……。ご飯も美味しかったし、温泉は気持ちよかったし、色々あったけどいい休日だったわ」


 対面で伸びをしながら言う氷雨先輩に、俺のなかで少しだけ悪戯心いたずらごころが顔を出す。


「そうですね。もっとも、俺としては氷雨先輩が隣にいるだけで最高の日なんですけど」


 さも何でもないことのように言っているが、内心ビビりまくりである。

 私違うんだけど、と言われたらもう生きていける自信がない。

 どう言われるかなー、そもそもからかうのにビビっててどうするのかなー、と思いつつ、氷雨先輩の出方を窺うと。


「ええ、私もそう思うわ……とっても」


 妖艶な雰囲気を醸し出して、笑った。

 氷雨先輩はそのまま俺の横に擦り寄ってくる。


 お互いにだが浴衣を着ていることもあり氷雨先輩のプロポーションが強調され、非常に目のやり場に困る状況となっていた。


「ひ、氷雨先輩? その、なんか心臓がえらいことになっているのでもうちょっと距離を取っていただけると助かるのですが」


 こういうときは素直に言うのが一番、と誰かに教わったことを実行する。

 だが、氷雨先輩には通用しなかったようで。


「あら、私に近づかれるのは嫌だったかしら?」

「いえ、決してそういうことでは……っ」


 いかにも心外そうにしているが、漂う艶やかな雰囲気が本気でそうは思っていないことを示している。

 しかし、拒絶することはできなかった。

 拒絶をしたら「あっそう。ならいいわ」と言って、就寝まっしぐらだ。


 何時間もとは言わないが、数分でも長く氷雨先輩と話していたい。

 その欲望に、俺は逆らえなかった。


「いい子ね」

「こ、子ども扱いしないでくださいよ」


 まるで幼児に接するかのように、優しい手つきで頭を撫でた氷雨先輩に、俺はささやかな抵抗をする。

 てっきり『和馬くんは私の弟みたいな存在なんだから』といったようなことを言われると思ったのだが、返ってきた反応は違うもので。


「いいえ、子どもよ。私も、あなたも。――いえ、和馬くんのほうが大人なのかもしれないわ」


 寂しげに言う氷雨先輩に、俺はどうしていいか分からないまま「違いますよ」と口に出す。


「優しいのね。こんな、どうしようもない恐怖を抱く私に」

「恐怖、ですか?」


 氷雨先輩とはまるで結びつかない単語に、俺は首を傾げる。

 氷雨先輩はそんな俺に、ゆっくりと、恐怖を吐き出すように言葉を紡いだ。


「ええ。次期生徒会長になれないんじゃないか、ってね。それが、とても怖いの」


 体を小さく震わせて言う氷雨先輩だったが、どうしても気がかりなことがあった。


「俺は氷雨先輩だったら次も当選できると確信していますが……。どうしてそれが怖いんですか?」


 俺が氷雨先輩の立場だったら、もうこんな仕事投げ出したい、と強く思うことだろう。


 最適な方法を採用しても、必ずどこかからはクレームが来る。しかも、その方法や結果をよく思ってくれる人はなかなか感想を言ってくれないものだ。

 自分が必死で考えたアイデアなのに、否定される。それも、多くの人に、強い言葉や行動で。


 俺もできる限りよい成果報告や感想などを集め、褒めているのだが、副会長だったら会長に嫌われないようにするのは当然だと思うので、どこまで響いているかも分からない。


 氷雨先輩に会長を辞めてほしいとは微塵も思わないが、ここまで恐怖することはないと思う。

 主に体育会系からは行動力から支持されているものの、全体で見ればあまりいい噂を聞かない雅多に負ければ氷雨先輩まで悪く見られてしまう恐れはあるが、比較されれば『やっぱり氷姫がよかったよね』となるに違いない。


 それらを踏まえて、俺は疑問を口に出した。

 氷雨先輩もそれは分かっているのか「そうなの。……でも」と口を開く。


「私が生徒会長ではなくなれば、私と和馬くんが一緒にいることを面白がる人や不審がる人が必ず出てくるわ。今は辛うじて、和馬くんの家に入るところを見られたとしても生徒会と結び付けて何とかできるはずよ。だから、それがなくなったときが怖いの」

「氷雨先輩……」


 そこまで俺のことを気にかけてくれていたのか、と思わず涙ぐんでしまう。

 その感動に乗じて、氷雨先輩の華奢で白い手に自分の手を重ねる。


 その手は――異様に冷たかった。


 声を出してしまいそうになる刹那、氷雨先輩の声が鼓膜を揺らす。


「それに私は、あのとき誓ったの。しおりに――」

「しおりさんに……?」


 先が聞きたかったが、氷雨先輩が口をつぐんでしまった以上、下手に聞くのはよしたほうがいいだろう。

 より一層顔面蒼白になる氷雨先輩を、俺は抱き寄せた。


 理由は分からない。

 体温が低い気はするが、確かに生きている一回り小さな身体に安心を覚える。


「ありがとう、和馬くん。引いた、わよね」

「引いていませんよ。むしろ、完璧でかわいいだけの先輩じゃないんだなって安心しました」

「ばか……」


 消え入りそうな甘い声が、俺の心臓を貫く。

 一転して混乱状態になる俺に、氷雨先輩は上目遣いに問いかけた。


「ねぇ、和馬くん。和馬くんは私のこと、信じてくれる?」


 言葉を誤ればもう二度と元の関係には戻れない問い。

 それに俺は自信を持って答えた。


「はい、もちろん」


 俺の言葉に氷雨先輩はにこりと笑った。

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