第18話 300円から始まる告白
「ふぅー……。今日も疲れたわ。和馬くん抱っこー」
「しませんよ?」
「けち」
床にぺたりと座り込んで、ぶー、と頬を膨らまし不満をあらわにする氷雨先輩に苦笑を投げかける。
氷雨先輩の気持ちもわかるほど、今日は本当に大変だった。
柔路姉妹が帰るところから始まり、生徒指導の教師が要注意人物とその内容について詳しく聞き。
部活が終わる時間になったら部費増額を訴える紙と署名が投げ込まれていたり。
何とか説得してくれとこよみに連絡したら「前向きに検討するよ! ……検討するよっ!」と前向きのほうではなく検討のほうを強調した言葉を返される始末。
結局部費の正当性を証明する書類片手に氷雨先輩が各部の部長にドスを利かせに行き、事態は収まったのだが。
「それにしても、どうしてウチの学校――
「スポーツ推薦、と言いたいところだけどそこには予算を割いているから今のところ文句はないわね。頭のいい不良が過去か現在にひとり以上いて、それが伝播したのでしょう。もしくはスポーツ推薦のノリだけが伝わったとか」
「なるほど……」
悪いほうには流されやすいというし、間違っていないのかもしれない。
それに、疲れた様子の氷雨先輩からの言葉と思うと、余計信ぴょう性が増している。一番の被害者は氷雨先輩だからだ。
「んにゃぁ……」
いくらトラブルが起こる回数が多いとはいえ、毎日起こっているわけではない。多くて週1、少なくて月1くらいか。
今週は月曜日、それと今日、木曜日にトラブルが起きているので極めて異例といってもいい。
声を出しながら床に寝転がる先輩と、中身が見えそうなスカートにドキドキしているとき、俺はそれどころじゃないことに気が付いた。
よくよく考えたら、いや考えなくても俺が何もしていないことに。
もちろん任された書類整理や各委員の予定、学校行事についてなどの仕事は行った。
だが、もっとも労力を必要とするトラブル対処にはほとんど関わっていない。
氷雨先輩がやったほうが効果はあるだろう。けれど、それでは氷雨先輩のワンオペである。
せめて、なにかできることはないだろうか。
そう考えたとき、思い当たったのは先輩が帰ってきてからひとことめのもので。
「……氷雨先輩、俺でよかったら抱きますよ?」
「ええっ!? き、急に積極的になって……。嬉しいけど、その、私たちまだ高校生だし……はうぅ」
慌てた様子を見せて顔を火照らせる先輩に、俺は自分の失敗を悟った。
「あっ、えっと。氷雨先輩、『和馬くん、抱っこして』って言いましたよね? それで先輩が癒されるならいいかなと思い」
「そ、そうよね! いやぁごめんなさい、氷雨先輩うっかりしていたわ!」
手を開いてブンブンと横に振る氷雨先輩を愛おしく思いながら、俺はさらに言葉を紡ぐ。
「それに、俺も氷雨先輩と……」
だが、最後までは続かなかった。
言ったあとで言葉選びに迷ったからである。
氷雨先輩とくっつきたい、抱き着きたい、イチャイチャしたい。
色々な選択肢が思い浮かんでは消えてゆく。
俺は、何と言うべきなのだろう。
あまり前例のない自身への問いかけは、答えなどまったく見えなくて。
しばらく静寂な空気が部屋に充満し始めたとき、氷雨先輩がやんわりとそれを破壊する。
「ありがとう、和馬くん」
綿のように柔らかな声が耳に届いたかと思うと、両肩に先輩の腕の重みが伝わる。
氷雨先輩の温かい体温が、彼女の存在は『氷姫』などではないことを物語っていた。
「氷雨、先輩っ」
「えへへ。和馬くんからやってくれるのは嬉しいけど、我慢できなくなっちゃった」
子どものような口ぶりと声音に、守ってあげたいという感情が心の奥底から無尽蔵に湧き上がってくる。
腕を先輩の腰に回す。
細くて折れてしまいそうだった。
いつも、頼りになる生徒会長だと思っていた。
それ以前、友達の姉の友達という関係もあり何度か見たことはあるが、それも『しおりさんの一番の友達で、頼りにされている人』という認識だ。
しかし、今は違う。
今だけは『俺には弱みを見せてくれる可愛い女の子』という印象を抱いていた。
バクバクと心臓が鳴る。
でもそれよりもうるさいのは、俺の感情かもしれない。
「ねぇ和馬くん」
「は、はいっ?」
穏やかな声で名前を呼ぶ氷雨先輩。思わず、返す言葉が裏返った。
彼女はそのままの声色で続ける。
「私、あなたのことが好きなのかもしれないわ」
「……っ!?」
突然の言葉に、俺は声にならない驚愕の叫びをあげる。
ふと、首のあたりに熱さを感じて確認すると、氷雨先輩の赤く染まった耳が見えた。
微かな震えが伝わる。
先輩も勇気と不安を持って言っているのだ。俺も何か言わなくては。
そう思うと、意外なほどすんなり言葉は出てきて。
「俺も、氷雨先輩のこと、好きかもしれません」
「……っ!」
一切の淀みもなく言い切る。内容は言い切っているとはお世辞にもいえないものだったが。
永遠にも思える一瞬が過ぎ、氷雨先輩は口を開いた。
「あ、りがとう、和馬くん」
途切れ途切れに放たれた言葉に、ここから新たな関係が始まるのか、とも思ってしまうが、すぐにそんな考えは打ち砕かれる。
先輩が「でも――」と続けたからだ。
「私、本当に『好き』なのか分からないの。こんな感情を持ったのは、初めてだから。それに……ごめんなさい、言えないわ」
ぽつり、ぽつりと何重にも鍵をかけた心の内を吐き出すように先輩は紡いだ。
言葉の続きは気になるものの、深く追求しようとは思わない。
深く追求してしまったら、何かが壊れそうな予感がしたから。
そんなことよりも、氷雨先輩が俺に悪くない感情を抱いてくれていることが重要なのだ。
分かりました。
そう言おうとしたとき、彼女の言葉が耳に届く。
「もしよかったらなのだけれど、とんでもなく自己中心的なのは分かっているけれど、私があなたを恋愛的な意味で好きだと気付いたならば。そしたら――あなたは、私と付き合ってくれますか?」
俺に向かってという点では久しぶりに聞いた敬語。
しかし、そこには距離の遠さなどは感じられなくて。むしろ、氷雨先輩との距離が近すぎて困ってしまうくらいだ。
あのとき、買い物に行こうとしたときの続きの言葉をしかと受け取り、言う。
「喜んで。あなたのためならば、いくらでも待ちますよ」
氷雨先輩の身体が密着する。
「ありがとう……」
小さく感謝の言葉を伝えた彼女に、俺はにっこりと笑いかけた。
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