第7話 300円払ったのにサービスが過剰すぎる
俺は自室に戻ったあと、これまでの氷雨先輩を思い出していた。
『あなた計算もできないの? この予算案には無理があるわ』
『何ですか、このふざけたスカート丈は。恥を知りなさい』
『特別な理由もなく提出期限を守れないあなたに何ができるというの?』
やはり俺の思い出のなかの先輩はいつも
も行動にも愛想の『あ』の字もなかったはずだ。
しかし思い返してみると、それだけではないことに気づく。
『疲れたでしょう。飴、食べる?』
『もう二時間も働きっぱなしじゃない。少しは休みなさい。これは私がやっておくわ』
それはほんの少しだけの時間かもしれない。
しかし、確かに俺の前で優しさを、笑みを見せることもあったのだ。
二人だけでないときには、たまたまかもしれないが冷たさ100パーセントなのだが。
どうしてだろう、と考えていると不意に部屋の扉が叩かれた。
風呂掃除が終わったことの報告だろうか、と扉を開ける。
「ねぇ、一緒に寝ない? 和馬くん」
するとそこにはモコモコした素材でできている、ピンク色のパジャマを身に纏い、頬を桃色に染めた氷雨先輩の姿があった。
あまりの可愛さに衝撃を受け、逆に扉を閉めようとした俺を氷雨先輩は「ちょっとちょっと」と咎める。
その焦った表情も、とてつもなく魅力的なもので倒れそうになってしまった。
「す、すみません。ちょっと脳内でバグが起こってしまって」
「そうなの? 大丈夫?」
正しいことを言っているようないないようなことを口に出すと、氷雨先輩は小首をかしげてみせて俺を案じていることが一目でわかる顔をする。
咄嗟に心配させてはいけないと思い、慌てて弁明の言葉を紡いだ。
「い、いや、もう治りましたので大丈夫ですよ」
「よかったぁ」
ふわりと、花の咲くような笑みを浮かべた先輩に内心悶えつつも、問うた。
「ところで先輩、そのパジャマどうしたのですか?」
「これは家から持ってきたものよ。最低限のものは入れておかなくちゃいけないからね。教科書は教室に、資料などは生徒会室に置いてきたから結構入ったの」
だからギチギチに詰めなくてもそのパジャマが入ったのか。
納得していると、それどころではないことに気づく。
「で、その……俺と一緒に寝たいというのは?」
「そう。それで来たのよ」
服装に気を取られていて聞くのを忘れていたが、それが一番聞くべきことなのだ。
驚きのあまり吹っ飛ぶほどの俺の気持ちを理解してくれたのか、氷雨先輩は説明し始める。
「お風呂のときも言ったけどね。私、300円だけで300日泊まらせてもらおうとかいう図々しい女じゃないの。もっと他のことでも対価を支払おうとしているわけよ」
「300円持って押し掛けるだけでもだいぶ……すみません何でもないです」
殺意すら感じられる氷のごとき目線を向けられたので、俺は言葉を止める。氷雨先輩が氷姫と呼ばれていることを今更ながらに思い出した。
これからは気を付けようとこのことを心に刻み、先輩の言葉に耳を傾ける。
「というのと、あの……。やっぱり私、あなたと一緒に寝たいわ」
「いくらなんでもストレートすぎますよ……」
唐突に放たれた破壊力強めの言葉にへたり込みそうになるが、すんでのところでドアノブを掴み、それを回避する。
しかし俺の言葉は氷雨先輩に誤解を与えることになってしまったらしく、不安そうにこちらを窺っていた。
小動物のような弱さを滲ませる先輩を安心させるかのように言う。
「悪い意味とかではなくてですね。かわいすぎるという意味で――」
「ほ、本当っ!?」
先輩は目を輝かしながらこちらへ近づいてくる。
鼻孔をつつくシャンプーの匂いに頭がやられそうになりつつも、俺は残った理性で先輩からさりげなく距離を取った。
そうでもしないと本当に『寝る』ことになりそうだから。
風紀委員の上である生徒会にそのようなことがあっては先輩と俺の信頼が地に落ちる。ましてや先輩は仕事や成績での信頼で成り立っているようなものなのだ。
それがなくなったときのことなんて、考えたくもない。
「ほ、本当ですがちょっと離れてください」
「そんな冷たいこと言わないでよ。かわいい私に抱き着かれたくないの?」
前半が思いっきりブーメラン発言と化しているのだが、それはさておき。
まさか氷雨先輩がこんなにも積極的に絡んでくるとは思わなかったので一瞬フリーズする。
しかも発言内容がかわいいというオマケつきだ。
どうしたものか、抱き着いていいものか、いやよくないか、などと次の一手を模索していると。
「ご、ごめんなさい。引いたかしら。こうでもしないと私、ずっと和馬くんにも冷たいままで――」
瞳を潤ませた氷雨先輩の口が、そこで止まる。
俺としてはこの先が非常に気になるのだが、この雰囲気で「何? ねぇなんて言おうとしたの?」なんて言えるわけがない。
だけど、このまま放っておいたら先輩が泣いてしまいそうな気がして。
「か、かずま、くん……?」
頭に浮かんでいた懸念材料をすべて消し去り、俺は儚い印象を抱いてしまうほど細い氷雨先輩の身体をぎゅっと抱きしめ、囁いた。
「氷雨先輩、引きましたか?」
「ひ、引いてなんかいないわ。むしろ――」
またもや黙り込んでしまった氷雨先輩だが、先ほどのような危うさは感じられない。
それは耳の赤さが雄弁に物語っていたからだ。
「では氷雨先輩。そろそろ遅いですし寝ましょうか」
「ええ」
赤い顔に平静の仮面を被った氷雨先輩を愛おしく眺め、俺は氷雨先輩をベッドまで誘導した。
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