第6話 300秒と生徒会長の裏側
もうこれ以上黒歴史を増やしてたまるか、そもそも生徒会長に身体の前側洗わせたらダメでしょ、ということでその後は自分で身体を洗ったのだったが。
「こういうのが好きなんでしょ?」
今現在、氷雨先輩から浴槽のなかでぎゅっと抱き着かれながら、頭がクラクラしてしまう魅力的な声と言葉を囁かれていた。
どうしてこうなるのだろう。
背中に押し付けられた二つの果実と先輩の体温を感じながら、俺は思考を巡らせていた。巡らせなければ欲望に呑まれてしまう自信があったということもある。
「あれ、好きじゃないの……?」
現状に思い悩んでいるところに、氷雨先輩の不安げな声色が俺の心に突き刺さった。
確かに俺はまだ先輩の問いに答えてはいない。しかし、どう答えろというのだろうか、これに。
こんなの、答えは――。
「好きに決まっているじゃないですか」
「あまりにもストレートに言われるとお姉ちゃん先輩としては嬉しいけど照れちゃうわ!」
「俺にどうしろというのですか! あとお姉ちゃん先輩とはっ?」
色々ツッコミどころのある言葉だったが、先輩が嬉しく思っていることは声遣いからも伝わってくるので悪い気はしない。
動揺しつつも喜んでいる先輩の顔が脳裏に浮かび、思わずにやりと口に笑みを灯す。
「ほ、ほら、私って実質和馬くんのお姉ちゃんみたいなところあるじゃない? それに先輩でもあるし。だから、和馬くんの前だったら『お姉ちゃん先輩』が一番いいのかなーって」
「お姉ちゃんのくだりからちょっとよく分からないですが、それでもその呼び名は属性盛り込みすぎですよ」
まだ照れが残っている声音で氷雨先輩は『お姉ちゃん先輩』の正当性を主張する。
俺も負けじと言い返すのだが、先輩はそれにムッとして。
「お姉ちゃん先輩って二つしか盛り込んでいないじゃないの。それに、お姉ちゃんのほうもきちんとした理由があるのよ?」
「え、あったんですか……?」
「あるわよ!」
てっきり言いたいから言っているだけかと思ったので、素で聞いてしまった。
さすがにそれには先輩もちょっと怒ってしまったらしい。語気が強めだ。
「いい? まず、私が中二のころからあなた副会長だったわね。だから、私が一から十まで仕事を教えたのだけれど」
「指名したのは生徒会長なのですが」
指名されたときは心底驚いたものだが、中一から高二四月現在まで再選し続け、ついでに俺も指名され続けたので結果的にはあのとき俺を指名していてよかったのかもしれない。
とはいえ、今でも理由は謎なのだが。
改めて疑問を抱いているところ、氷雨先輩は続けた。
「手取り足取り私が仕事を、生徒会を教えたわけ。もうこれは姉よね。しかも何年も一緒にいるし」
「言えないことはないですが、その理論で言うと新入社員が妹と弟だらけになると思うのですが……」
「そんなことはどうだっていいのよ」
理由が崩壊してしまった、と何とも言えない気持ちになる。
しかし、普段理知的に生きている人が俺の前ではポンコツになるのも悪い気はしないわけで。
どうせ見えないだろう、とニヤニヤしていると不意に頬をつつかれた。
「しぇんぱい……?」
「いえ、何だか和馬くんが嬉しそうにするものだからちょっかい出したくなったのよ」
小学生みたいなことを堂々と言われても困るのだが。
そんな俺の気持ちなど露知らず。先輩は面白そうに俺の頬をつんつんとするばかりであった。
いい加減方向を変えようと、先輩の細い指を軽く押さえ、長年の疑問をぶつけてみる。
「そういえば先輩、どうして俺を副会長に指名したのですか?」
「えっ?」
すると先輩は意表を突かれたかのような声を出した。普通の疑問だと思うのだが。
「も、もしかして覚えていない、のかしら?」
何やら小声でぶつぶつ言っているが、いくら距離が近かろうと声が小さくては聞こえない。
さらに疑問は大きくなってゆくばかりなので、「先輩?」と呼びかけてみる。
「あ、ごめんなさい、私独り言を……」
先輩は独り言を言っていたことを悪く思っているらしく、思ったより返事は早かった。
その態度からも疑念は深まるばかりだったが、俺一人で考えられる範囲には限界がある。
「いえ、それはいいのですが。余計気になります」
「そうよね。……強いて言うのだったら、一種の恩返しをしたいと思ったからかしら」
「恩返し、ですか」
イマイチぴんとこない回答を返されたものの、いくらかは特定しやすくなっただろうか。
中一の十二月ごろまでに氷雨先輩へ感謝されることをした覚えはないのだが。
必死に記憶を辿っていると、氷雨先輩が「さて――」と口を開き、浴槽から出る。
「そろそろ上がりましょうか。もう遅いし、冷めかけているわ」
「じゃあ、掃除は俺がやりますね」
「だめよ和馬くん。私は300円だけでここに泊まらせてもらっているのだから。ちゃんと甘えてよね、弟後輩くんっ!」
そう言い、ウィンクしてみせる先輩に感謝の言葉を投げかけ、脱衣所を出た俺は自室へと向かった。
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