第72話 ミューの町長を説得してください。▼




【タカシ ミューの町】


 ミューの町の町長は俺たちと相対したときからずっと怒っているような顔をしていた。

 実際に「ような」ではなく、俺たちに対して怒っているのかもしれない。


 太っていて首と顎の境目が分からなくなっているミューの町長は、一つ動作をする度に服のボタンが飛びそうになっている。

 町長の家に来るまでに見た町の人たちも、ふくよかな人が多かった印象だが町長の体形はそれ以上だ。

 豪華調度品で家の中は埋め尽くされており、相当な権力を持っていることがうかがえる。家も大きく、執事やメイドが何人かが仕えている様子だった。


 町長のところへ来たのは俺とメギド、カノンだけだ。佐藤やメル、ミューリン、ミザルデ、クロは先に宿を取ってそこで休んでいる。

 俺も宿で休む組を希望したのだが、メギドが「歩きたくない」と言ったので仕方なく俺も同行した。正直、寝不足の俺の頭には交渉の話し合いは殆ど入ってきてはいなかった。

 それでも話し合いの場で眠気によって船を漕がないように、カノンに魔法で眠気を抑えてくれたのでかろうじて眠らずに済んでいるような状態だ。


「改めて申し上げますが、『雨呼びの匙』はお渡しすることはできません」

「判を押したような回答ばかりで、話が進まないな。私がこれほど譲歩しているにも関わらず」


 町長も怒っているかもしれないが、メギドも不快感を露わにし、場の空気は永氷の湖よりも凍てついている。妖精族と交渉したときはまだメギドに対して友好的だったのだと俺は難航するこの交渉を聞いていて感じていた。


「……メギド、諦めるしかないんじゃないか? 無理に奪い取る訳にもいかねぇしさ。町の人たちの気持ちもお前なら解るだろ?」

「解らんな。確かに手放せば一時的にミューの町の者たちに危険が及ぶ可能性は上がる。しかし、このまま人喰いアギエラが復活するようなことがあれば、人類はもれなく死に絶える。『雨呼びの匙』があったとしても、間違いなくこの町の人間も死に絶えることになる」

「ええ……それは先ほど伺いました」

「あぁ、先ほど言った。聞こえていないのかと思ったぞ。お前は都合が悪いことは聞こえなくなる突発性難聴なのではないかと考えていたところだ」

「メギド、言い過ぎだぞ……」


 その最悪の空気が俺の肺を満たしていくのを感じる。カノンも吸っている空気が重いと感じているはずだ。その証拠に神妙な面持ちでメギドと町長の方を見て目を泳がせている。


「もうこれで最後だ。『雨呼びの匙』を私に託せ。いずれ返却もするし、私が持っている間はこの町に結界も張って行く。私が使った方が人類の生存確率は上がるのだ。現状維持では遠くない内にこの町の人間は食い殺される。それは確実な話だ」

「…………結界がどの程度の性能なのかは分かりませんが、この『雨呼びの匙』は代々この町を守ってきたもの……急に来たあなた方に簡単に手渡すことはできないのですよ。仮にお渡しするにしても手続きを踏んでから――――」

「ならば一晩でその手続きとやらを済ませろ。この町に私たちは一泊していく。その間に手続きを済ませれば良かろう」

「手続きはそう簡単には済みません。それに、失くされたり、壊されたりしては困るのですよ」


 町長がメギドを睨みながらそう言うと、メギドは心の底から落胆の色を滲ませて視線を逸らした。

 話を聞いていると、町長はただ目先の安全に飛びついているような印象を受ける。確かにそれも大切だ。俺もこの町の人たちに犠牲になれとは言えない。人類の危機もそうだろうが、俺には難しくてわからない政治的な話が色々とあるのだろう。


「……もう話し合いをしても無駄なようだな。そこまで言うなら、結界は張って行かない。せいぜい『雨呼びの匙』で頑張ることだな。この町で一泊したら私たちはこの町を去る。私たちが出て行く前に賢明な判断ができるようになることを祈っているぞ」


 メギドは席から立ち上がって町長に背を向ける。俺も立ち上がったが、カノンは町長に食い下がった。


「町長さん、人類を救う為なんです。どうか、寛大な気持ちで――――」

「カノン、もういい。行くぞ」

「…………はい」


 町長に対して一礼して、カノンは俺たち後を追いかける。部屋を出る際に執事のような人が重々しい豪奢な扉を開けて一礼をした。


「お出口までお送りします」

「送らなくても良い。迷う程の大きな家でもないからな」


 最後の最後に町長を煽るような言葉を吐き捨てて、メギドは談話室の部屋から出て行った。

 俺とカノンが会釈をしながら出て行くと、遠慮なくメギドは俺の肩に飛び乗る。ズシリと重い感触がして、俺は少しばかりバランスを崩してよろめくが持ち直して普通に歩き始めた。


「一先ず仮眠でも取ってさ、それからもう一回交渉するのに作戦会議しようぜ」

「うーん……ここの町の人たちは『雨呼びの匙』で堅牢な町を作り上げて独自に発展したのでしょう。それがなくなるかもしれないという不安は相当なものだと思います」

「現実を理解していない連中だな。奪い取ることは簡単なのだが……」

「それは流石にマズイだろ……」


 外に出たところでメギドは俺に持たせていた日傘を受け取り、悠々と日傘をさして町の中を見渡した。


「曇ってるのに日傘をさすの意味あるのか?」

「紫外線は曇りの日でも降り注いでるので、さす意味はありますよ。晴れの日ほどではないんですけどね」

「へぇ。そうなのか」


 シガイセンと言われてもパッと頭に何なのかが浮かんでこないが、俺は疲れていてそれを知りたいという気力がない。


「私の日傘は装飾品としてさしている。私は常に紫外線を弾いているから日傘をさす必要はない」

「ないのかよ! 俺が傘の分重いだけじゃん!」


 ジャラジャラとつけているアクセサリーに傘、そして重い布の服……メギド単体は華奢きゃしゃな体型なのでそれほど重いわけではないのだが、とにかく装飾品が多く、そのせいでやけに重く感じる。


「人間の場合は多少は浴びないと骨が弱くなると聞いたことがあるが、紫外線は様々な害を引き起こすと本で読んだことがある」

「皮膚や目に影響が出たりするんですよね。悪性の腫瘍が発生する人もいるんですよ」

「マジ? っていうか、シガイセンとかアクセイのシュヨウって何? 全然話について行けねぇ……ふぁー……ぁ……」


 欠伸あくびをしながら俺がそう言うと、メギドは完全に呆れていた。カノンは苦笑いで俺の方を見てくる。


「カノン、こいつに難しい話は通じないぞ」

「あ……えっと……遺伝子とか……分かりますか?」

「イデンシ? 楽器の名前か何かか?」

「あー……まず、生き物の身体って細胞って単位でできてるってことは知ってますか?」

「うん、この話やめようぜ。そうだ、カノンの好物って何? 俺はやっぱ牛かなぁ……?」


 わざとらしく俺がそう言うと、カノンは口元を手で隠して「牛って括りが大きいですね」と上品に笑っていた。


「カノン、俺の事を馬鹿だと思っただろ?」

「いえ。知識に幅があるのは当然ですから。タカシさんの知っていることを僕が知らないことも沢山あると思いますし。僕は職業柄知ってることもありますから、それは馬鹿とかじゃないと思います」

「カノンはメギドと違って優しいなぁ…………」

「やかましい。私に優しさを求めてくるな」


 俺たちはそんなどうでもいい話をしながら宿に向かい、仮眠を取ることにした。

 俺は自分の部屋に入ってベッドに倒れ込み、ベッドのシーツの匂いで満たされた。俺とカノンは相部屋だったが、もう話す気力もなくカノンも疲れ切ったようにベッドに腰かける。


「俺はちょっと寝る……もう限界……」

「僕も少し仮眠を取ります……」


 カノンがベッドに横になろうとしたときに、部屋の扉が開いた音が聞こえた。


「カノン、聞きたいことがある。少しいいか?」

「はい。大丈夫ですよ」


 眠ろうとしていたカノンはベッドから立ち上がって出て行った。それを目で追って行くのがやっとだった。

 俺は目を閉じるとすぐに眠りに落ちて、その後、夕食の時間になるまで俺は起きることはなかった。




 ◆◆◆




【メギド ミューの町 宿の個室】


 私は部屋にカノンを呼んで椅子に座らせた。私を前にしてカノンは緊張しているらしく、椅子に座る動きすらもぎこちない。


「あの、僕に聞きたいことってなんですか?」

「そうだな……お前はまだ顔を合わせて期間が短い。だからお前のことを完全に信用した訳ではない。だが、今までの発言に対して嘘はなかったと考えている」

「はい……」


 重い話にカノンは尚更緊張した様子だった。自分の拳を膝の上で強く握り込み、私の目をしっかりと見つめてくる。


「確認なのだが、回復魔法士は患者に関する守秘義務がある。そうだな?」

「あー……はい。あります。すみません……僕、ラムダの町では力量を知ってもらうために患者さんのことを色々話しちゃいましたし、今日も魔王城に向かった勇者の方たちの話を……守秘義務について意識が低かったです……」


 ラムダの町で力量を測るために、カノンがあれこれと患者の病状や治療方法について詳しく聞いたことに対して、責められているのだと感じたのかカノンは私に対して謝罪をしてきた。

 小柄な身体は、うつむくと更に小さく見える。少しだけ震えているようにも見えた。


「別にそれを責める気はない。ただ、今後は気をつけろ。お前はまだ若いからな、間違いはあるだろうが、是正していけばいい」

「分かりました。ごめんなさい」


 カノンは真摯しんしに反省しているようだった。それはカノンの言葉や態度からしても明らかだ。この場だけの反省をしているわけでもなさそうに見える。

 私はその姿勢を確認し、本題をカノンに切り出した。


「それで……率直に聞きたいのだが、お前は解呪の心得はあるのか?」

「呪いですか……うーん……専門分野じゃないので何とも言えないですね。あまりやったことはないです。可能かどうかはその個々の呪いを見てみないと判断できません」

「実際に呪いを見れば判別できるのか?」

「見れば、できるかできないかの判別はできます」


 私はカノンを信用に値する者なのかどうか、できるかできないか分からない可能性の話で私の呪印の話をしてもいいのか考えた。

 カノンは琉鬼の身体に回復魔法を使った際に、呪われていないか調べることができていたのを思い出す。

 隠していてもいずれ分かってしまうだろうと考え、私は気が進まないながらも自分の服を少しまくり上げてカノンに身体の呪印を見せた。

 カノンは驚いたように目を見開いて私の顔を呪印を交互に見つめる。


「それは……」

「お前はこれを解呪できるか?」

「少し調べても良いですか?」

「あぁ」


 カノンは私の身体に刻まれている呪印に対して魔法を展開した。そして、私にかけられている呪いを分析していく。


「魔法式的には複雑なものではないですが、かなり強い呪いのようですね……これは……すみません、僕には解呪できません……呪いが強すぎて、素人には無理です」

「そうか」


 それほど大きく期待していた訳ではないが、それでも可能性の一つとしては考えていた。その一つの可能性が潰れ、少しばかり落胆する。


「これは……どうされたのか、聞いても良いですか?」

「私を激しく憎んでいる者から受けたものだ。私の落ち度だ。油断した……」

「…………僕、解呪の勉強してみますね。少し畑違いですけど、やってみます」


 その前向きな返事を聞いたはいいが、それがいつになるのかは分からない。

 今から勉強してゴルゴタと対峙するそのときまでに間に合うという保証もない話だ。それを当てにするほど猶予のある話でもない。


「私も呪いの分野は多少心得がある。心得がある者でないと解呪は危険だ。少し勉強してもすぐにどうこうできる問題でもないのも知っている」

「……魔王様にかかっているのは相当に強いものですからね……」

「だろうな。これがあるせいで私は魔道具に頼らざるを得ない状況だ。これが解呪されたら魔道具は必要ない。私はすぐに魔王城に向かい、事を収束させられるのだが……これのせいでそうもいかない訳だ」


 あの欲の皮が張っている町長が『雨呼びの匙』を渡してこないことは見え透いている。この呪印さえなければ……と、何度も考えるが、そう簡単に解呪できるのならこんなに無駄なてつを踏むようなことはしない。


「守秘義務だ。他の者には黙っていろ」

「はい。分かりました。他の人には言ってないんですか?」

「あぁ。私が本調子ではない状態だと他の魔族に知られる危険性を少しでも減らしたいものでな。少しでも私が弱っているなどと耳にすれば、こぞって襲いにこないとも言い切れない」


 しかし、この呪いがかかっている状態なのはゴルゴタには知られているものの、別段それを吹聴ふいちょうしている様子もない。

 私の心配が過ぎるという程度で話が済んでいるのならいいのだが……。


「『解呪の水』があればいいんですけど……」

「それはもうない。ゴルゴタに目の前で破壊された。カノンの伝手つてで腕のいい解呪師はいないのか?」

「…………すみません。僕の伝手では……いません。これを確実に解呪できる人の心当たりがあるのは1人しか思い浮かばないのですが……この騒ぎでどうなっているか……」


 出来る者がいると聞いて、私はほんのわずかに希望が萌芽ほうがする。だが、カノンの言っている通りこの魔族が暴れている現状を考えれば、生きているかどうかを楽観視することはできない。


「それは誰だ? どこにいるか見当はつくか?」

「……居場所は分かりますが、お勧めできませんね」

「どういう意味だ?」


 暗い表情で、カノンは私から目を逸らした。重い口調でその話の続きを話し始める。言いづらそうにカノンは言葉を続けた。


「その人は……何人にも人体実験をして人格を破壊しました。挙句に死者の蘇生にのめりこんで死神の呪いを回避する方法を探し続けた末、狂気に呑まれて大量殺人者になった回復魔法士――――……特級咎人の蓮花という女性です」



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