第66話 「水かけの刑」を執行しますか?▼
【タカシ パイの町】
流石の俺も、どこをどうツッコミを入れたらいいのか分からずに戸惑っていた。
目の前に座っている禿げていて髪の毛が脂ぎっている太った中年男は、メギドに「水かけの刑」をされて消沈している。
名前に関してとやかく言うのは失礼だが、どうにも
苗字と名前の両方を持っている者は珍しいなと感じる。苗字制度は過去に廃れた為、今では殆ど使われていない。自分の苗字を知らない人もいるはずだ。
佐藤は勇者としてのセカンドネームが佐藤なのであって、本当は別の名前があるのだろう。そう言えば佐藤にそれを聞いたことがなかった。
「……俺、転生者なんです……言っても信じてもらえないでしょうけど……糖尿病っていうのは、前の世界での病気の名前です……」
「転生者だと……?」
メルに抱きかかえられた状態でつまらなそうにしていたレインが、急に反応したように首をもたげてびしょ濡れの琉鬼の方を見た。
「転生者? どこからきたの?」
「俺は日本って国ですけど……」
「ニホン? 聞いたことがないな。レインのいた世界とは別なのか?」
「うん……違うみたい。なーんだ……期待外れ」
すぐさまレインは琉鬼に興味を失くし、再びメルの腕の中にうなだれる。
「……その白い龍も転生者なんですか?」
「そうだけど、気安く話しかけないでよね」
「うむ……転生者というのは強い力を持つことが多いと聞いているのだが……何かお前に秀でた部分があるのか?」
「………………」
琉鬼は少し黙った後、赤い左目の方を左手で押さえながらつぶやいた。
「しいて言うなら、この邪眼ですかね。我は生まれたときからこの邪眼によって
いや、髪の毛すっかすかじゃん! 隠れてないじゃん! っていうか「我」って一人称何!?
と、言いたいが身体的な特徴に対して言及するのは失礼だ。そう思って俺はツッコミたい気持ちを必死に抑える。
「邪眼ってなんですか? ちょっと診せてください」
「えっ? えっ?」
琉鬼が慌てている中、カノンは琉鬼に近づいて左目の状態を確認する。
「あー……これ、
「は?」
「あー……えっと……その……これは…………」
急に琉鬼はしどろもどろになって慌てて手をバタバタをせわしなく動かす。
「どこでこんなもの買ってるんですか? 使い続けると失明するからって使用されなくなって市場から消えたのに」
「え……? えっ? マジ?」
どうやら、使い続けたら失明することは知らなかったらしい。妙に琉鬼は焦っている。
「………………」
メギドは先ほどから何も言わない。
俺がメギドの方を見上げると、得体のしれないものを見るような顔をして琉鬼の方を眺めていた。どうやら扱いに困っている様だ。
「駄目ですよ。治しますから、もう使わないでくださいね」
カノンが回復魔法を展開して少しすると、琉鬼の左目の色は赤から茶色になった。
「………………」
「はい。治りましたよ。ところで、邪眼ってなんですか?」
「私もそれが気になっていたところだ。何故そんな点眼薬を使用していたのか気になるな」
「…………なんでもないです。調子に乗りました。すいません……」
――変わった奴だな……
そう思ったが、転生者だとしたらこちらの常識が通じるとも限らない。
「……色々言及したいところはあるが、まずはこの町の状況を正しく知る必要がある。何があったのか話せ」
「…………あのー……聞いても良いですか? あなた魔王ですよね? その容姿……間違いないですよね? なんでその人の肩に乗ってるんですか?」
確かに初めて見たら誰でも疑問に思うだろう。俺も未だに疑問に思っている。もう誰も何も言わないが、俺はやっぱり疑問に思っている。
「質問の多い奴だな。そうだ、私が彼の美しき魔王、メギドだ。下のは私の家来だ。歩きたくないから――――いや、訓練の為にわざと負荷をかけている」
「今、歩きたくないって本音言ったよね?」
「お前は聴覚野が腐っているから、聞き間違いだろう」
「え……タカシさんって聴覚野腐ってるんですか?」
「腐ってねぇよ! 腐ってねぇことくらいカノンなら分かるだろ!? ってかチョウカクヤってどこ!?」
俺の身体はどこも腐ってない。多分。少なくともチョウカクヤがどこか分からないが絶対に腐っていないはずだ。そう思いたい。
「…………この騒動は魔王の仕業じゃないんですか?」
「私が先導したわけではない。…………お前、今世の中がどうなっているのか知らないのか?」
「え……えっと…………その……はい……ずっとひきこもりだったので……」
あれだけ大々的にゴルゴタが人間を滅ぼすと言ってから随分経つのに、この琉鬼という中年男は何も知らない様子だ。
この男にとっては俺たちが躍起になって人類を救ったとしても、まったく興味も持たないのかもしれない。結果的に自分が助かることになったとしても他人事のように感じるのだろう。
「……それで? 何があったのか言え」
「えーと……なんか、外で叫び声が沢山聞こえたので外を見たら……魔族が町を襲っていました……だから、俺は魔族がいなくなるまで隠れていたんです……詳しいことは分かりません……」
「それはいつ頃の話だ?」
「えっと……あのー……ほんと、2時間、3時間前とかの話です……えっと……ほんと、それ以外のことは知らないです……」
意味の分からないことを言っているときとは裏腹に、自信なさげに話していて徐々に琉鬼の声は小さくなっていった。
「……そうか。お前以外の生存者を探すから、ついてこい」
「魔王なのにこんなところで何をしてるんですか? どうなってるんですか……?」
「…………お前に聞きたいのだが、自主的にひきこもっていたのか? それとも閉じ込められていたのか?」
「……我は
バシャン!
メギドが琉鬼に対して水弾をかなり強く当てたようだ。座っている態勢を崩し、琉鬼は水弾の当たった頬を押さえてぐずぐずと泣き始めた。
俺はあまりにその光景が痛々しく、目を細めてしまう。
「ふざけていないで真面目に答えろ」
メギドの容赦のない尋問が続く。
「タカシお兄ちゃん、どうなってるんですか? そろそろ目隠し外しても良いですか?」
「駄目だ……見せられない……俺に水弾を当てるときよりずっと本気だ……何よりも当てられた側の消沈ぶりが目を覆いたくなるほど酷い……」
「気になります! タカシお兄ちゃん!」
「見ない方がいいよ。なんていうか、死体とか見るよりショック受けそう」
「うん。レインの言う通りだ。メルには見せたくない光景だな……」
ぐずぐずと泣きながら、琉鬼は決して顔を上げようとしない。
「はい……社会負適合者で……自分の部屋にずっとひきこもってました……自主的に…………」
「自分の置かれた状況を今更知りたくなったのか? 自主的にひきこもって外界の事になど全く興味がなかったのに」
「………………」
「食事の供給源の親がいなくなった途端に危機感を覚えたのか?」
「………………」
「自分はそれで私に向かって“こんなところで何をしているか”だと? 随分なご身分という訳だ。お前こそこの町で1人で生き延びてこの先何ができる?」
「…………うっ……うぅ……ぐすっ……うぅっ…………そこまで言わなくてもいいだろぉおおおお!! あぁあああああぁあああぁああぁっ!!!」
その
突然の事に俺たちはその光景を唖然として見ているしかできなかった。
「あぁあああぁああぁっ……あぁああぁああああぁっ……」
「あぁ、ミザルデ、ごめんね。驚かせちゃったね。よしよし……」
琉鬼の声に驚いたのか、ミザルデは泣き出してしまった。それを慌ててミューリンが宥めようとする。
普段は大人しく、あまり泣かないミザルデが泣くほどに琉鬼の声は怒りと悲しみに満ちていた。
「メギド……言い過ぎたんじゃないか? 俺は平気でも、やっぱ普通の人はメギドの言い方に傷つくんだって」
「私の知るところではない。面倒な奴だ。あいつを連れ戻してこい」
メギドはそう言って俺の上から飛び降りた。急に肩の荷が下りて身体が少し軽くなる。
「…………え? 俺?」
「あと佐藤、カノン行ってこい。ここにいても奴は死ぬだけだ。膵臓病もあるなら、あのまま放っておけば苦しんで死ぬ」
「暴れたらどうしたらいいですか? 頑なに外に出てこなさそうですけど……脳疾患も抱えてそうですけど……正直、どこまで強制したらいいか分かりませんね。精神的にどうしても無理だって言ったら、無理に連れ出してもあまり本人の為にならないかもしれないですよ」
「どうしても出たくないというのであればもう好きにさせろ。この惨状でたった1人に構っていられない。どの道、もうクロの背に乗せるのは無理だ」
「私は絶対にあんな異臭のする太った男を背に乗せない。移動方法については別途考えることだな」
そんなに臭かっただろうかと俺は考えたが、琉鬼本人もゴミの中でいたから魔族から免れたと言っていたし、嗅覚に優れているクロが「異臭」がするというのだから恐らくそうなのだろう。
「この町へは休息と補給のために来たに過ぎない。あの男の為に時間を割くことはできない。目的はここから北東にあるミューの町の『雨呼びの匙』だ」
「…………できるだけ説得できるようにする」
メギドは根は優しい一面もあるものの、常に冷静で物事を客観的に見ている。恐らく、俺たちが説得できなければ琉鬼は本当に見捨てられるだろう。
確かに結構変わってる奴だったし色々問題は抱えていそうだったものの、流石にこの状態の町に残していくことは出来ない。
「私は他の生存者を探す。二手に分かれるぞ。ツクシ、佐藤、カノン、クロはここに残れ。私とメル、レイン、ミューリン、ミザルデは生存者を探す」
「ツクシじゃなくてタカシな」
「こんな異臭のする場所にいなければいけないのか?」
「戦力的な分散を考えればそうなる。クロは外で待っていればいい。あの異臭のする男を風呂に入れてやれ。その辺りで腐っている生ごみよりもずっと異臭がする」
「えぇっ……俺らが風呂入れんの? 嫌だよ、なんで俺らが洗わなきゃいけないんだよ」
「風呂に入れない病気の奴もいる。散々私が水をかけたから服くらいは着替えるとは思うが、服を替えてもあの異臭は消えないだろうな」
「……まぁ、勧めてはみる……」
もし俺たちが風呂に入れなければならなくなったら、そのときは覚悟しなければならない。俺は抱きかかえていたメルをゆっくりと降ろしてメギドの方に誘導した。
「何かあったらクロが知らせろ。まだ魔族がいるかもしれないからな、気を緩めるなよ」
「あぁ、メギドたちも気を付けてな。メルも転ばないようにな」
「はーい!」
そう言って俺たちは二手に分かれて行動を始めた。メルはメギドに手を繋がれてたどたどしく歩いていた。あれで大丈夫だろうかと不安になる。
――まぁ、メギドがついていれば転ぶことはないだろうけど……
メギドたちから目を離し、遺された俺たちは顔を見合わせた。
「なぁ、佐藤……あれ、説得できると思うか?」
「……どうですかね。俺、あんまりあぁいうタイプと話したことないですから」
「そうだよなぁ。俺もなんていうか……新手すぎて驚いた。ひきこもってたみたいだし、なんか問題抱えてるんだろうけど」
どういった経緯でひきこもったのかは分からないが、正直、転生者という立ち位置が良く解らない。前世の記憶があるっていうのは色々弊害があるんだろうか。
「独特なタイプでしたけど、僕はあの手の人と話したことありますよ」
「カノンは精神的な方も治せるのか?」
「うーん……身体の傷とかウイルス性疾患とかと違って脳は難しいんですよ。ほんの少し間違えたら取り返しの事になってしまうので、余程の脳の構造を熟知している回復魔法士や脳専門医でなければ触ってはいけないことになっているんです。僕も勉強はしているんですけど、治せません」
「そっか。俺は詳しく解んねぇけどさ……今はできることをしないとな。クロ、ちょっと待っててくれ」
まだ叫び声のようなものが聞こえるその家の中へ俺たちは入っていった。
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