第67話 琉鬼から返事はない。▼




【タカシ パイの町】


 俺と佐藤とカノンで琉鬼の家の中におそるおそる入ると、中は本当に酷いありさまだった。

 魔族が壊していったというよりは、先ほど琉鬼が暴れ狂っていたから壊れているという様子だ。何かが腐ったような匂いがする。

 食器棚ごと倒れていて、机も椅子も全部なぎ倒されていた。足が折れているものもある。余程激しく暴れたのだろうと思われる。


「…………お邪魔しまーす……」


 俺はどこにいるか分からない琉鬼に対して、小声で呼びかけた。


「……二階から声が聞こえますね。二階に行ってみましょう」

「なんか、二階の方から凄い匂いがするんだけど……」

「気が進まないですね」


 3人でゆっくりと二階に上がっていくと、ますます異様な匂いが強くなっていった。廊下にゴミがそのまま散乱している。食べ物、クシャクシャの紙、何かの容器。

 生ごみが腐った匂いと、なにやら青臭い匂いと汚物の匂いが混じったような匂いがしてタカシらは思わず口元を押さえる。


「……おえっ……」


 俺は喉元まで胃液が込み上げてきた。必死に吐くのを抑え、声のする方向へと進もうとする。


「おい……琉鬼……いるんだろ……? メギドが言いすぎて……悪かった……うぅっ……」


 中から返事はない。


「……ぐっ…………うぅっ……ちょ、ちょっと待って」


 慌てて階段を下りて、俺は流し台にそのまま胃液を吐いた。胃の中から胃液が込み上げてきてそれが止められない。

 流し台にも腐った生ごみや、食べ残しの残飯などが捨てられており、そこから更に俺は気分が悪くなって尚更えずきながら胃液を吐き続けることになる。


「げぇっ……おえっ…………」

「タカシさん、大丈夫ですか……?」

「はぁ……はぁ……ぐっ……はぁ……ヤバイ……キツイ……マジで」

「佐藤さんは大丈夫ですか?」

「俺もかなり気分が悪い……」


 佐藤は口元を押さえて真っ青な顔をして顔を背けていた。佐藤も吐きそうなのだろう。むしろ、この状況で吐きそうではないということのほうが驚くに値する。


「カノンさんは……平気なんですか……?」

「まぁ、生ゴミの腐った匂いと精子の匂いと排泄物の匂いって感じですけど、大丈夫です」

「具体的に言うなよ……おえぇっ……」


 それらが単体であってもキツイと感じるのに、それらが複合的に混じった匂いは想像を絶するほど酷い匂いがした。

 クロやメギドはこの異臭を感じていたのだとしたら、よく表情や態度に出さなかったなと関心すらする。


「はぁ……はぁ…………あの異臭の中だったら、魔族も判別がつかねぇだろうな……」

「落ち着きましたか? 僕だけで行きましょうか?」

「…………いや、もう一回行く。っていうか、何回でも行く……」


 俺は息を整えて再び二階に上がった。すると同時に部屋の中から「ドンッ!!」という壁やドアを琉鬼の怒鳴り声が聞こえた。


「出てけよ! 俺に関わるな!!」

「なぁ……メギドの言い方がきつかったのは悪かったよ……うっ……あいつは、いつもあんな感じなんだ」

「うるせぇええええ!!!」


 ドンッ!!! ガシャン!! ドンドンドンッ!!


 琉鬼は中で暴れているようだった。だが、部屋の中から出てくる様子はない。壁や扉、床を殴ったり蹴ったりして暴れている。

 琉鬼に聞こえない程度の小声でカノンは俺と佐藤に囁いた。


「僕がなんとかします」


 扉の前に立って、カノンは優しい声で中にいる琉鬼に話しかけ始めた。


「琉鬼さん……でしたよね? 僕は回復魔法士をしているカノンと言います。あなたの骨折した脚を治した者です。返事は気が向いた時でいいので、聞いてください」


 中で暴れていた琉鬼はカノンの柔らかい声を聞いて、暴れる手を止めた。それでも中からガサガサという音は聞こえる。


「僕もずっと家から出られない生活をしていたんですよ。あなたの気持ちを全て推し量ることは出来ませんが、少しくらいは分かります。僕は他人と関わって傷つくのが嫌だったんです。誰も自分のことを分かってくれない、誰も自分の本当の価値に気づいてくれない。ずっと自分は独りなんだって思いながらも、それでも見捨てられることが本当に怖かったんです」


 俺と佐藤は話しているカノンの後ろ姿を黙って見ていた。酷い悪臭、異臭に吐き気を感じながらも、俺と佐藤はカノンの話に耳を傾ける。


「つらかったですよ。毎日時間は一刻一刻と過ぎていくのに、自分だけはカーテンを閉め切った暗い部屋で独り、取り残されていくんです。時間が経つにつれて、部屋からもっと出られなくなっていって、もっと外が怖くなっていくんですよね」


 ガサガサという音はするものの、琉鬼から返事はない。


「僕には兄がいるんですけど、兄は両親に期待されてました。僕は……兄よりも劣ってましたし、全然駄目でしたよ。はははは……両親も出来損ないの僕よりも兄を溺愛していて、僕はもう、いないものとして扱われてました」


 琉鬼から返事はない。


「でも、そんな中、兄だけは僕のことを見捨てなかった。僕が暴れても、兄の大切な物を壊しても、兄は僕をいつでも許してくれて、僕の身体の方を心配してくれました。でも……屈辱的でした。何もかもを持っている兄に優しくされるのは惨めな気持ちでしたよ」


 琉鬼から返事はない。


「そんな兄が、魔王メギド様と成り代わろうとしているゴルゴタという魔族に連れ去られてしまったんです。外の事を知りたがっていましたね? 外は今大変なことになっているんです。人がたくさん死んで、魔族が好き勝手暴れているんです」


 琉鬼から返事はない。


「僕も最近魔王様に会って詳しいことは良く解らないんですが、ゴルゴタという魔族が人間を滅ぼそうとしていることだけは確かです。僕は兄も、それに人間たちも助けたい……僕は兄のおかげで外に出られるようになったんです。僕も兄の背を追いかけて回復魔法士になりました。まだまだなんですけど……でも、努力して、兄に追い付くために必死に勉強したんです」


 琉鬼から返事はない。


「あなたも、きっかけがないと外に出られないと思います。いえ、きっかけがあったとしてもそう容易には出られないと思います。でも、出るなら“今”です。色々悪いことが重なって、出ざるを得ないという状況かもしれませんが、これは神が与えてくれたチャンスと前向きに捉えてください」


 琉鬼から返事はない。


「現にあなたは二階の屋根に上って出られたじゃないですか。魔王を退治するんだって。その意気ですよ。ほんの少しでいいんです。ちょっとだけでも前に進んで行けばいいんですよ。そのちょっとを積み重ねて徐々に歩いて行けば。人それぞれ歩幅は違いますけど、あなたはあなたの歩くペースでいいんです。だから、ここを開けてください。この町から避難しましょう」


 琉鬼から返事はない。


「魔王様もずっと魔王城にずーっと閉じこもってましたから、あなたと自分の重なる部分があって自己嫌悪をしたのかもしれません。あなたにとっては酷い出会い方でしたから極悪な魔王に見えているかもしれませんが、そんなことはありません。ちょっと変な魔王ですけど、心根は優しい方ですよ」


 琉鬼から返事はない。

 先ほどまでと打って変わって静かすぎるほど何の物音もしない。


「……なぁ、カノン……いくらなんでも静かすぎねぇか?」

「……!」


 カノンは急に扉をガチャガチャと開けようとしたが、扉は開かない。鍵がかかっているようだ。


「蹴破ります!」


 ドォンッ!


 大人しそうな見た目と、その大人しく優しい内面からおおよそ想像できないような動きをして、カノンは扉を思い切り蹴破った。

 扉が開くと、中から更に強い異臭がした。ゴミだらけで足の踏み場がない。ゴミの山が出来上がっている。


「琉鬼さん!」


 俺と佐藤もカノンに続いて中に入った。

 すると、琉鬼は膝を抱え込んだままゴミの中に座っていた。ずぶ濡れの服を着替えてもおらず、酷く濡れたままだ。手にはナイフが握られていて、腕からは血がわずかに出ているのが見える。

 部屋には色々なものがあったが、特に目に付いたのは天井から吊ってある輪状になっている縄と、そこら中に穴が開いている壁だ。とにかく床にはこれ以上ないほどゴミが敷き詰められている。

 俺たちが中に入って琉鬼を見ると、声を殺して泣いている様子だった。


「……返事をしてくれないので、自殺したかと思いましたよ」

「…………しようとした。でも……痛くて……無理だった……」

「診せてください。治しますよ」


 カノンはゴミの山の上を歩きながら琉鬼に近寄り、白く、細い指のついている手を琉鬼に差し出した。


「感染症にかかってしまうかもしれません。診せてください」


 琉鬼はカノンに出血している腕の部分を見せた。俺からはその腕は少ししか見えなかったが、毛深いその腕にはいくつもの古傷がついていた。


「琉鬼さん……一緒に出ましょう。他の生き残っている人と一緒に避難するんです。大丈夫、やり直せますから。僕だってやり直せましたし」

「…………本当に今からやり直せるのか……? もう俺……36歳だし……」

「変わろうとして踏み出すのに、年齢は関係ないですよ」


 見た目からすると40代半ばくらいに見えるが、どうやらそれよりも若いらしい。

 カノンの優しい言葉で琉鬼は再び泣き出した。顔を膝に埋めて声を上げて泣いている。


「外に出る為に、まずお風呂に入って着替えましょう。服もずぶ濡れですよ。身体を冷やしてしまいますから」

「…………うん…………うん……っ……」

「僕らは外で待ってますから、お風呂に入って服を着替えて出てきてください。待ってますからね? 自害しようとしないでください。まだ希望はあります。僕らがあなたの希望になりますよ」

「……わがっだ……っ……ズッ…………ふろ入って……っ……きがえる……」

「はい。待ってますからね。あなたを」


 カノンが俺たちに目配せしたので、俺と佐藤は部屋から出て、そのまま家から出た。クロは俺たちを見るなり険しい表情で何歩か俺たちから遠ざかった。


「酷い匂いだ……私に近づくな」


 そう言ってかなり遠い場所へと下がった。どうやら、あの空間にいたことで俺たちにもかなり匂いがついてしまったらしい。

 自分で服の匂いを嗅いでみるものの、自分の匂いは分からない。


「なぁ、俺、臭い?」

「大狼族の嗅覚的にはかなり臭いんでしょうけど、僕らの嗅覚程度だとそれほどではないですね。それに、あの匂いに少し慣れてきてましたから、今は感じないと思います」

「……魔王様に会った時に“近寄るな”と言われそうですけどね」

「洗濯して風呂入らないとクロも背中に乗せてくれないだろうしな。っていうか、カノン、俺はお前の話で感動したぜ……お前、そんな大変な過去があったんだな……絶対に兄貴を取り戻してやるからな」


 カノンの話を思い出して少しばかり目頭が熱くなっている俺は、指で目を擦りながらカノンにそう言った。


「あぁ…………言いづらいんですけど…………あの話は作り話です」

「え?」


 俺と佐藤はその言葉に面食らって目を見開いた。


「自分とかけ離れすぎている相手からの励ましよりも、似た境遇の相手からの方が心に響きやすいんです。だから、あぁ言ったんですよ」


 少し恥ずかしそうにカノンは顔を指先でカリカリと引っ掻きながら弱く笑う。


「……え? そ、そうなのか?」

「凄いですね。俺たちも見事に騙されました……」

「回復魔法士として患者さんは沢山診てますからね。その中の患者さんの話を混ぜて少し話しただけですよ」

「なんだよ……思わずちょっと涙ぐんじゃったじゃんか」

「ははははは、すみません。琉鬼さんには内緒ですよ?」

「あぁ。分かった」


 俺たちは琉鬼を待っている間に、この町の現状や、これから行く先の町の状態の予想などの話をした。

 この町の状態を詳しく調べていないので分からないものの、他の町でも同じような状態になっていると予想される。


「俺の住んでる村、大丈夫かな……佐藤ってどこの町の出身なんだ?」

「元々はシグマの町の出身なんですけど、住んでいたのはオミクロンの町でした」

「そっか。カノンは?」

「僕はエータの町です。片田舎ですよ」

「そうなのか。俺は村から殆ど出た事ないから、行ってみたいな。今、各町がどうなってるのか分からないから……不安だよな」

「そうですね……シグマの町は早々に襲撃にあって滅びましたよ。魔王城から東側は結構被害が甚大じんだいみたいです」

「これから東側に向かうんだろ? あんまりひでぇ状態じゃないことを祈るばかりだぜ……」


 話をしている中、何やら物音が二階から聞こえた。カチャカチャというような、かわらが擦れるような音だ。

 俺たちがその音のする方向を見ると、琉鬼がまた屋根の上に立っていた。立って、腰に手を当てて、もう片方の手で空を指さしている。

 今まで着ていた服とは違う服を琉鬼は着ていた。風呂にもちゃんと入ったらしく、ベタベタだった長く薄い髪はフワフワになって横に広がっている。

 頭に赤いハチマキを巻き、黒い半袖の皮のジャケットを着て、左腕には包帯を巻いていた。左目には眼帯をつけている。どこからどう見ても、変な恰好だった。


「お、おい! そんなところにいたら危ないって!」

「ふっふっふ……闇の眷属けんぞくたる我は不滅! だが、闇の眷属の血を継ぐ一面はあれど、我は正義の味方! 強気をくじき、弱気を助ける! その名も! 雇われ戦隊シャチクナンジャー! 体調レッド!! とぉぅ!!!」


 グキッ……


「あぁあああぁああぁあああ!!!」

「……………………」


 こいつ、駄目かもしれない。


 俺は、屋根から飛び降りて再び足を骨折している琉鬼を見てそう思った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る