第45話 戦争を終わらせてください。(2)▼




【70年前 メギド7歳】


 地下牢にたどり着いたとき「ガシャン!」という音と共に大きな声が聞こえた。


「兄ちゃん! ここから出せよ!」


 その檻を必死に揺らすのは弟のゴルゴタだ。相当に憤っているらしく、叫ぶように釈放を求めてくる。


 ガシャガシャガシャガシャ!


 ゴルゴタのいかなる力を持ってしても、その鉄格子は魔法が組み込まれてる特別製の檻でビクともしなかった。


「元気そうだな……げほっ……ッ……」


 吐き気を懸命に抑えながら、私は弟の檻の前までよろよろと歩き進む。まだ気持ちが悪い。胃液しか吐くものがないのに吐きそうだ。


「兄ちゃん……? どうしたんだよ……すげぇ具合悪そうだけど……人間にやられたのか!?」

「違う……空間転移を2度もしたものでな……かなり疲弊しているだけだ」

「…………センジュから聞いたけど、何日も飯も食ってないし、寝てもいないんだろ……? そんな状態で空間転移2回もしたらよ……」

「大したことはない。お前も、食事をろくに摂っていないと聞いているぞ」

「だってよ……母さんが殺されて……兄ちゃんは俺の事閉じ込めて……飯が食えるわけねぇだろ!」


 ゴルゴタは私よりもずっとショックを受けていた。

 母上の遺体の前で、喉が切れるのではないかという程に泣き叫び続け、その前から消して離れようとはしなかった。ずっと母上の身体をゆすりながら、母上を呼び続けた。

 それが、普通の反応なのだろう。

 私は……泣くことができなかった。今もそうだ。胸が抉られるほど苦しいと感じても、涙は不思議と出てこない。


 私は牢屋の近くの壁にもたれて座り込んだ。


「はぁ……はぁ……分かっている……お前が激情に駆られて人間を殺しに行くと言って暴れるから閉じ込めたのだ……」

「当たり前だろ!? あいつら、母さんを殺したんだぞっ!?」


 無駄だと分かっていても、必死に牢の鉄格子を捻じ曲げようとゴルゴタは力を入れ続けている。

 涙を浮かべ泣きながら、声を震わせて私に対して抗議してくる。


「……駄目だ。人間との争いはここで終わりにする……互いの種族全体のことを考えれば、それが最善策だ」

「なんでだよ!? なんで……なんでなんだよ!? わっかんねぇよ!! 兄ちゃんは……人間が憎くないのか!!?」

「…………憎いさ。人間の王と対峙したとき、殺意を抑えるのに苦労した」

「人間の王……? なんで抑えるんだよ……殺してないのか……?」

「争いを治める交渉材料だ。殺すわけにはいかない」


 ガンッ!


 牢をゴルゴタが思い切り拳で殴った音が地下牢の空間に大きく響く。


「兄ちゃん……ふざけんのもいい加減にしろよ……! 今なら、弱ってる人間どもを根絶やしにできる! 俺と、兄ちゃんと、センジュでやるんだよ!! 俺たちならあいつらを1匹残らず始末できる! 今が好機だろ!? 俺をここから出せ!! 正気になれよ!!?」


 半狂乱のゴルゴタに「正気になれ」と言われたことに対して、笑いすら込み上げてくる。


「正気になるのはお前の方だ。争いは終わりだ……それに変更はない。第一子の私が魔王となり、母上の跡を継ぐ」

「…………兄ちゃんは……母さんが死んだってのに、悲しくないんだな」


 ゴルゴタは身体を震わせながら、ボロボロと涙をこぼして俯いていた。小さな体を小刻みに震わせながら、屈辱の色を濃く滲ませる。


「……悲しいさ」

「嘘だっ!! 悲しかったら……憎かったら……! 人間を滅ぼすことを選ぶはずだ!!」

「人間を滅ぼす為に戦って、これ以上何も支払う訳にはいかない。お前も解れ」

「解んねぇっつってんだろ!! クソ野郎が! 俺をここから出しやがれ!! 出さねぇとぶち殺すぞ!!!」


 泣きながら、怨嗟の海にその涙をこぼし続ける。

 どれだけ鉄格子を長い時間ゆすっていたのか解らないが、良く見れば血が滲んでいた。

 それでも尚、ゴルゴタは鉄格子を掴んでガシャガシャとゆすり続けている。


「……手から血が出ている。やめておけ。絶対にその牢は突破できない」

「ふざけんな! ふざけんなふざけんなふざけんなぁっ!! 俺を出せ! 早くしろぉっ!!」

「…………その考えを改めるまで、お前をそこから出すわけにはいかない」


 ゆっくりと立ち上がり、私はゴルゴタに背中を向けた。

 泣きながら憎しみをまき散らす弟を一瞥し、地下牢を後にしようと歩き出す。


「待てよ兄ちゃん!」

「…………」


 ガシャガシャガシャガシャ!


「兄ちゃん!」

「………………」


 ガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャ!


「兄ちゃん!!!」


 地下牢から出て扉を閉めるとやっとゴルゴタの声は聞こえなくなった。だが、頭の中で私を呼ぶゴルゴタの声が残響し、私は決断が鈍る。

 だが、弟を戦場に送り込むわけにはいかない。絶対にそれだけは避けなけらばならない……。


「はぁ………」


 地下牢へと続く重厚な扉に私はもたれかかり、ずるずるとその場に座り込む。

 そのまま膝を抱えて自分の腕の中に顔をうずめ、暫く動けないままあらゆることを思考する。

 何度考え直しても、どれだけ考える時間を割いても、この決断以外には存在しない。

 解っていても、苦しむ弟の姿は私の決意を揺るがせるには十分だった。


「メギドお坊ちゃま、こんなところにいらしたんですね」


 頭を上げなくとも、センジュだということは分かった。いつもセンジュは私の居場所を見つける。


 ――センジュにはお見通しという訳か……


「雨に濡れた御召し物を交換されませんと、風邪をひかれますよ」

「……私は風邪などひかない」


 顔を上げないまま、私はセンジュに対して返事をする。

 センジュは少しの沈黙の後、私の身体や衣服に付着している水分を分離させ、私の身体を乾かした。


「お隣に座ってもよろしいですかな? メギドお坊ちゃま」

「…………好きにしろ」

「では、お隣に失礼いたします」


 センジュは私の隣に正座で座った。

 何を言う訳でもなく、ただ私の隣に座り続けた。沈黙に耐えかねたわけではないが、私はセンジュに切り出す。


「……あの人間はどうした?」

「心配ございません。気絶はしておりますが、時期に目を覚ますでしょう。表面上に出血はありましたが、内臓などには損傷はないようです」

「そうか……目を覚ましたら、鏡鳥かがみどりを使って終戦通達を行う。私が王位を継承し『血水晶のネックレス』で魔族を縛り、この戦いは終わりだ」


 私は下を向いたまま独り言のようにつぶやいた。


「…………昔から……このセンジュ、何百年も生きておりますが、メギドお坊ちゃまほど聡明な方は見たことがありません。メギドお坊ちゃまの此度こたびのご判断は、まさしく歴史に残る英断となるでしょう」

「………………」


 そうセンジュに褒められても、私は全く嬉しい気持ちにはならなかった。


「ゴルゴタにもそう言い聞かせるのか?」

「……ゴルゴタお坊ちゃまは、それを良しとは絶対にしないでしょう」

「お前はどちらに付く気だ? 母上を殺された恨み、憎しみ、殺意……お前が必死に抑えているのは知っているぞ」

「ほっほっほ……メギドお坊ちゃまには敵いませんな」


 から笑いをしているが、センジュの心は負の感情を抑え込むのに躍起になっている様子だった。


「わたくしは……ヨハネ様が亡くなられた時も、アッシュ様が人間に殺された時も、そして此度クロザリル様が人間に殺された時も……何もできませんでした。その自らを呪わしく思い、悔しいと思う気持ちに偽りはありません」

「…………」

「ですが、私はヨハネ様が築き上げた魔王家の執事でございます。執事は主に従うのみ。いずれ……ゴルゴタお坊ちゃまとメギドお坊ちゃまは魔王を継ぐ際に揉めるだろうとは思っておりました。魔王はたった1人ですから。御2人とも、十分に魔王たる素質をお持ちです」

「答えになっていないぞ……はっきり言え」


 私がそう言う事は、センジュを困らせるということは分かっていた。だが、はっきりとしておかなければならない。


「……わたくしは……正直に申し上げますと、どちらかを選ぶことはできかねます。メギドお坊ちゃまと、ゴルゴタお坊ちゃまの両方を大切に思っておりますので」

「…………そうだろうな」

「ですが……これ以上人間と争えば、ゴルゴタお坊ちゃまは命を落とすことになるでしょう。それはメギドお坊ちゃまも同じこと……わたくしは、これ以上失うのは耐えられません。先も恥ずかしながら、年甲斐もなく“復讐の鬼になる”などと大口を叩きましたが……そうなりたくはないのです」

「……あぁ」

「ですから…………わたくしはメギドお坊ちゃまの英断を誇りに思っております。まだ7つでありながら憎しみに囚われないそのお心、本当に立派になられました」

「…………私を子供扱いするな。私は次期魔王だ。歳は関係ない。私は誰よりも賢いからな」

「ほっほっほ……左様にございますね」


 センジュは少し黙した。

 センジュが黙ると雨の音がやけに大きく聞こえる。


「ゴルゴタお坊ちゃまには、少しずつでも理解が得られるよう、わたくしが説得いたします。メギドお坊ちゃまに全部背負わせるわけにはいきません。いつでもこのセンジュに、なんなりと申し付けてくださいませ」


 言うべきか、あるいは言わぬべきか、私は躊躇ためらったがセンジュを信じて言うことにした。


「…………弟を頼んだぞ」

「ええ。かしこまりました」

「……あいつが自分自身を楯に脅迫してきても、毅然きぜんとした態度をとれ」

「自分を楯に……でございますか?」

「あいつは……よく指の皮を齧ったり、好戦的で剣術、組手など自分が傷つくことを率先してしているだろう? 他にも色々あるが……要するに、軽症の自傷行為癖がある」


 牢の鉄格子を血が滲んでもゆすり続けているのも、ある種の自傷行為と言える。


「確かにそのようなことはありますが……」

「今は軽症だろうが、自分の身を傷つける行為に慣れ、鈍麻していく。ストレスでどんどんエスカレートする可能性がある。牢から出さないと自殺するなどと言ってくるかもしれないな」

「それは……毅然とした態度がとれるかどうか、不安でございますね」


 そう言われたとき、センジュは上手く対応できるだろうか。

 私もそうされたらうまく対応できるか自信がない。


「ゴルゴタの自傷行為癖は構ってほしいという気持ちの表れでもある。母上の気を引きたくて、無意識にそうしていたんだろうな」


 母上はゴルゴタのにも十分に愛情を注いでいたが、どちらかと言えば私の方を溺愛していた節がある。


「…………私は身体が弱く、母上は私にばかり構っていたからな。寂しいと感じていた部分もあるだろう」

「………………」

「追い詰めるほど何をするかわからない。些細な変化も私に報告しろ」

「……かしこまりました。メギドお坊ちゃま」


 ひとしきり話をし終わったので私が立ち上がると、センジュも同じくして立ち上がった。


「お食事を召し上がる気になられましたか?」

「……鏡鳥を集める」

「メギドお坊ちゃま、恐れ多くも申し上げますが、お食事を召し上がってください。お食事をしていただくまで、メギドお坊ちゃまの後をお食事を持ってついて回ることになりますよ」


 センジュがあまりにも口やかましく「食事をしろ」というので、私はセンジュの言う事を聞くことにした。


「はぁ……空間転移の負荷で気分が悪いのだ。食べても吐いてしまうかもしれないぞ」

「それでも何か召し上がっていただかないと。倒れてしまいます」

「……気乗りしないが、仕方がない。ゴルゴタにも持って行ってやれ」

「かしこまりました」

「それから……“すまない”と……いや、なんでもない。忘れてくれ」

「…………かしこまりました。メギドお坊ちゃま」


 センジュはそれ以上は私に何も言ってこなかった。

 食堂に向かい、用意されていた食事を気が進まないながらも口に運んだ。もう随分冷めてしまっていたが、やはり元が美味しいものは冷めてしまっても美味しかった。


 ――兄ちゃん!!!


 食事をしている際にも、ゴルゴタの呼び声が私の頭の中にこだましていた。


 ――…………他に……何か方法はないのか……? 閉じ込める以外の方法は……


 私は作業的に料理を口に運び続ける。


 ――あいつの気が変わるまで……待つしかないのか?


 私は作業的に料理を咀嚼した。


 ――私は、誰よりも賢いはずなのに、こんなときどうしたらいいか分からない……


 私は作業的に喉の奥に料理を送り込む。


 ――心的外傷も軽視できない。拘禁反応が出るかもしれない……決まった時間に外に出すか? いや、駄目だ。牢に入れるときも相当に苦労したのに、出したらゴルゴタは絶対にいう事を聞かない……また牢に入れるのは無理だ……


 カチャ……


 ナイフとフォークを私は皿の上に置いた。


 ――心を救う方法が分からない……そんなことに興味を持ったこともない……


 私は目の前の、死んでいる魚の瞳孔が開いている目を見つめた。


 ――心を……救う……?


 私の心は、いったい誰が救ってくれるというのだろう。




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