第25話 ゴルゴタの提案を聞きますか?▼




【メギド 現在】


「なぁ……兄貴ぃ?」


 私の弟――――ゴルゴタはもう幼い頃の面影はほとんど残っていなかった。

 幼い頃のような無邪気な笑顔はもうそこにはなく、ただ笑っている表情はひたすらに狂気を感じる。

 ゴルゴタはゆらゆらと『解呪の水』をわざとらしく振って見せた。

 鋭い爪でカチカチと硝子を叩き、そのまま引っ搔くと不快な高音が響き、私は顔を歪ませる。

 敵意はない様子であった為、展開していた魔法を消して私はゴルゴタに向き合う。


「そんな険しい顔すんなって? 兄貴は昔っから仏頂面だよなぁ? たまには笑えよ」

「可笑しくもないのに、何故笑わなければならないのだ。それに硝子を引っ掻くな。耳障りだ」

「堅ぇな……いーっつも本ばっか読んでてさ、ぜーんぜん俺と遊んでくれなかったよなぁ……? ヒャハハハ……」

「そんな昔の話を蒸し返す為に来たわけじゃないだろう」

「キヒヒ……」


 ゴルゴタは笑ってはいるが、目は全く笑っていない。

 冷たく、淀んでいる赤い瞳の闇は深く、何を捉えているのか全く分からない。私の方を見ているようで、私のことなど少しも見えていないように感じる。


「俺様はさぁ……別に兄貴に怒ってるわけじゃねぇんだぜ? 俺様はお袋を殺した毛のない猿が憎くて仕方ねぇんだよ……そう言ってんだろ? ずぅーっとさぁ……? この世にソレがいるってだけでグチャグチャに引き裂いて、1匹残らず潰して内臓をそこら中にぶちまけてやりたくなる。今も……ソレ必死に堪えてんの。ヒヒヒ……」


 ゴルゴタの話を聞けば聞くほど、幼い頃の面影が薄れていくことに私は落胆し、言葉を失う。

 もしかしたら、昔の善良な心が少しでも残っているのではないかという期待が喉元まで込み上げてくるが、それを問うたところで結果は知れている。

 期待したところで何の収穫もないことくらい、今のゴルゴタを見れば解るからだ。


「それでよ、冷やかしついでに兄貴に提案があってきたわけ。兄貴が嫌がると思って血まみれの服と身体をちゃーんと洗ってきたんだぜぇ?」


 身体を一回転させて、服に血がついていないということを私に見せた。

 洗ったと本人は言っているが、ゴルゴタからは血の匂いが消えていない。

 血の匂いと共に石鹸の香りがするが、どちらかといえば血の匂いの方が濃く感じる。一体どれだけ人間や魔族を殺せばこれほどまでに強い血の匂いを放てるのだろうか。


「その提案とやらに、私が聞く耳を持つとでも?」

「まぁそう言わずに聞けよ、お兄ちゃん。なぁ……回復魔法士を何人かとっ捕まえたのよ。なんでか分かるか?」

「知る訳がなかろう」

「ヒヒヒヒヒ……兄貴は連れねぇなぁ……?」


 私はニヤニヤと笑ってさっさと答えを言わないゴルゴタに、少しばかり付き合ってやることにした。


「家来が傷を負ったときに回復させる為ではないのか」

「はぁーい残念。ぜんっぜんちげぇ。兄貴は俺様のこと、ぜんっぜんわっかんねぇんだなぁ。兄弟なのにざーんねん」

「狂っている者の考え方など、私が分かるわけがないだろう」


 ゴルゴタの挑発的な口調に、私は苛立った。

 私が苛立っているのを見ると、満足そうにゴルゴタは更に笑う。


「ヒャハハハッ! 狂ってるって? 兄貴にしては面白れぇこと言うんだなぁ?」

「どこをどう見てもお前は復讐に狂っている。正気とは思えない」

「狂ってんのは兄貴だろぉ? 俺様たちの生活をめちゃくちゃにした猿どもを庇うなんざ、正気の沙汰とは思えねぇなぁ……?」


 私に対して「怒っているわけじゃない」と言っていたのも嘘ではないようだが、私に恨みを持っていないわけでもないらしい。

 私は憎まれても仕方ないことを弟にした。だから私を襲ったのも当然の道理だと思っている。

 私も弟に対して憎しみや恨みは存在しない。


「……早く本題を言え」

「そうそう、本題ね……。俺様が回復魔法士をとっ捕まえたのはさぁ、お袋をぶっ殺した勇者を生き返らせる為なのよ」

「……何故そのようなことをする?」


 そう尋ねると、ゴルゴタは一層に顔を歪めて笑った。

 嬉々とした表情で心底楽し気にその理由を答える。


「決まってんだろぉ? そいつを俺様が散々いたぶってボロ雑巾みたいにして“殺してください”って言わせる為さぁ! ヒャハハハハハッ!」


 少しでもまともな理由を想像していた私が愚かだったようだ。

 ゴルゴタのあまりの狂気と憎悪に、私は返事をすることすらもできなかった。


「もう楽しみで楽しみで……毎日毎日拷問方法考えちゃってさぁ……だって何度でも生き返らせれば何度でも殺せるんだぜぇ? 最高だよなぁ……? キヒヒヒヒ……一生俺様の玩具にして遊ぶんだ……悲鳴を聞くのが楽しみでなぁ……」


 ゴルゴタは自分の顔の皮膚を自身の爪でガリガリと引っ搔いていた。引っ掻いては血を流し、皮膚が再生しては更に何度も爪で頬の肉を裂いている。

 血を洗ってきたと言っていたが、再びゴルゴタの手や服は瞬く間に血に染まっていった。

 その様子を見て、違和感を覚えた。

 異常行動に対しては常に違和感を覚えているが、私が気になったのはその異常行動に対してではなく、ゴルゴタの右手の掌の火傷のようなただれの方だ。

 顔の傷はすぐに何の痕も残らず再生するのに対して、その右手の爛れはどうしてついた?

 最後に見た時は右手に爛れなどなかったはずだ。


「その右手、どうした?」

「あぁ……コレね…………あのクソッたれな剣を抜こうと掴んだらこうなったんだよ……キヒヒヒヒ……」

「随分無茶なことをするな」

「心配してくれんのかぁ? 優しいなぁ……兄貴は……」


 そう言ったゴルゴタは狂気の中に僅かな哀愁を漂わせている。苦しそうな笑顔で私からの返事を待っている様だった。

 しかし、私はなんと答えていいか分からず、返事をすることができなかった。


「それでさぁ……上級の回復魔法士の情報知らねぇ? 魔王になると毎日毎日苛立ちとの戦いなわけ。兄貴もよく魔王なんかやってたよなぁ……毎日誰かしらぶっ殺さないとイライラしすぎて頭がおかしくなっちまうぜ……ヒャハハハハッ……なぁ? だからすぐ壊れねぇいたぶる用の玩具を早く手に入れたいわけよ」

「……なら、魔王などやめてしまえばいいだろう」

「あぁ? 俺様達は魔王を辞めたくても、辞められねぇだろうが。俺様達は前魔王からの直結の血筋なんだぜ……俺様か兄貴がやらねぇと、他のヤツじゃこの『血水晶のネックレス』は使えねぇんだ。でもさぁ……兄貴の温ぃやり方にはウンザリなんだよなぁ……? だから俺様が魔王をやるしかねぇってこった」


 ゴルゴタは胸についている金色の十字架を私に見せる。血が十字架に付き、赤く染まった。


「お前の苛立ちは、たとえ人間を滅ぼし尽くしても消えることはない」

「へぇ……? 随分俺様のこと……知ったような口を利くんだなぁ……? キヒヒヒ……」

「それに『死の法』を犯すというのは、そう簡単ではないぞ。仮に本当に生き返ったところで、両名ともどうなるのか分からない」

「まぁ……俺様が直接やるわけじゃねぇからどうなったところで関係ねぇよ。アレだろぉ? 死神に呪われるってヤツ? 貴重なサンプルが取れていいじゃねぇか」


 生き返らせた者たちがどうなろうと、ゴルゴタにとってはどうでもいいようで楽観的な意見を笑いながら述べている。

 母上が忌避していた『死の法』を犯すその行為に、私は嫌悪感を滲ませる。


「…………それで、私に提案があると言っていたな?」

「そうそう……提案ってぇのは、兄貴にも分けてやるって話よ」

とは……?」

「どうしちまったんだよ兄貴ぃ……察しの良い兄貴が随分鈍い事言うんだなぁ……? キヒヒヒ……」

「言っただろう。狂っている者の考えなど解るはずがない」

「そうは言うけどよ……兄貴もホントは憎いんだろぉ? 殺したくてウズウズしてんだろぉ? 我慢すんなよ、身体に悪いぜ……? だからそいつを生き返らせたら、兄貴も存分にいたぶって良いって言ってンのよ。最高の提案だろぉ? ヒャハハハッ」


 冗談の類ではなく、本気でゴルゴタはを最高の提案だと言っている様だった。


「…………お前の悪趣味さには吐き気がするな」

「ククク……ありがとよ。それで、俺様なりの謝罪の気持ちってことで、直々にこの『解呪の水』持ってきたわけ。俺様達、兄弟なんだから殺し合いくらいするよなぁ……? でもちょっと兄貴のことイジメ過ぎちまったから、怒ってるかと思ってよぉ……」

「回りくどいのが好きだな、お前は。本当は人喰いアギエラの復活の儀が難航しているから手伝えと言いたいのだろう? 見え透いているぞ」

「はぁん……あっそう。まぁ、手伝ってくれんなら手っ取り早いとは思ってるけどぉ?」

「それで、私の機嫌を取りに来たわけか」

「ま、そんなとこ。キヒヒヒ……」


 ここでその申し出を断れば『解呪の水』をゴルゴタが素直に渡してくるとは思えない。

 だが、私が「その話に乗ろう」と言ってもゴルゴタは私の嘘にすぐに気づくだろう。


 ――結局、無理やりにでも奪い取る他ないのか……


 どう答えるかということに集中しすぎていた私は、背後から何かが走ってきている音に直前まで気付かなかった。

 大分近くになり、声がした時点でようやくそれに気づく。


「おーい! メギド! 何があったんだ!?」


 その声がタカシであることは瞬時に分かった。

 タカシの声がした瞬間、先ほどまで笑っていたゴルゴタは一瞬で冷たい表情になり、鋭い目つきで殺意をむき出しにして睨みつけた。

 すぐさま私はタカシがこれ以上こちらに来ないように炎の壁を生成する。

 私とゴルゴタを囲み、舞い踊るように炎は空に向かって消えていく。

 炎と共に木々が燃える音、匂い、眩い光が辺りに充満した。


「…………」

「………………」


 私たちは沈黙した。

 この場に響いているのは周りの木々が燃える音と、タカシが私の安否を確認する声だけだ。何やら喚いている声が炎の外から聞こえる。


「邪魔が入ったな」

「………………」


 先ほどまで多弁だったゴルゴタは沈黙したままだ。

 ただ虚無を宿した目で私の方を凝視していた。



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