第26話 兄弟の戯れを聞きますか?▼
【メギド】
「メギド! 無事か!? そいつから何もされないか!?」
炎の外から聞こえてくるその激しい声に、ゴルゴタは先ほどまでのニヤけ顔は消え去り、明らかに不機嫌になっているのが分かった。
「………………」
黙っているゴルゴタは、首を掻きむしり始めた。頬を引っ掻いていたときとは違い、太い血管が傷ついて溢れるように出血する。
傷が塞がっては更に傷がつけられ出血するということを繰り返していた。
吹き出した血液が足元の草木にかかり、緑を赤く染め上げる。
「よせ。かなり出血している」
「…………クソ虫が……これだから嫌だぜ……虫ってのはどこからでも湧いてきやがる……気に喰わねぇ……」
私の言葉はゴルゴタには届いていないようだった。
タカシは燃え盛る炎の壁の外から尚も私の安否について声を荒げ続けている。私はこれ以上喚かれる前にタカシの口を魔法で塞ぎ、静かにさせた。
尚もゴルゴタは自分の首を強く引っ掻いている。その行動に見かねた私は不本意ながらゴルゴタに近づきその右手を首から引きはがした。
ゴルゴタの手についていた血が私の手につき、ぬるりとした不快な感触がする。
「よせと言っている。自身の身体を見ろ、血まみれではないか」
「…………気に喰わねぇ……」
ゴルゴタは私から手を奪い返し、爪の付け根を噛んでいた。いや、「噛んでいた」というよりは「食いちぎっている」と行った方が正しいだろう。
指から血が出ても気にせずにガリッ……ガリッ……と自身の指の肉を食いちぎり続けている。
「…………お前の提案については一度考えさせてもらう。用が済んだのだから『解呪の水』を置いてさっさと帰るがいい」
「そっかぁ……考えてくれるんだなぁ? キヒヒヒ……」
ガリッ……!
指を食いちぎっていたゴルゴタはやっと指を口から放した。指も、口のまわりも血まみれだ。
「兄貴……俺が何が一番気に喰わねぇか解るか?」
「……うるさい虫が乱入してきたことか?」
「ちげぇよ……ほぉんと兄貴は俺のことわっかんねぇんだなぁ? キヒヒヒ……」
舌で口の周りの血と、手についた血をゴルゴタは舐めとる。
「一番気に喰わねぇのはさぁ…………兄貴がソレを庇ってるってことだよ!!」
ゴルゴタは『解呪の水』を放り投げ、赤い龍の翼を羽ばたかせた。ゴルゴタの目的は言わずもがな、タカシを殺すことだ。
『解呪の水』が投げられた瞬間、私はどちらか選ばなければならなかった。
『解呪の水』を選択するのなら、タカシを見捨てなければならない。
タカシを選択するのなら、『解呪の水』を諦めなければならない。
ゴルゴタの動きは早く、それに対処するためには両方を取ることはできない。
そんな選択、考えるまでもない。
私の利益になるのはタカシではなく、『解呪の水』だ。
この身体の呪いを解けば、すぐさま私は力を取り戻し、再び魔王として王座に君臨し、優雅な生活に戻ることができる。
私はこうなってしまってからずっと、魔王城に戻って一刻も早く元の生活に戻りたいと考えていた。
センジュの安否も確認したい。
人喰いアギエラの復活を止めなければならない。
それには、考える間もなく『解呪の水』が優先されるべきだ。
これは戦いだ。戦いに多少の犠牲はつきもの。タカシの命ひとつで済むのなら安いものだ――――
私はゴルゴタを追いかけるように翼を羽ばたかせて飛びあがり、すぐさまゴルゴタの身体を掴んで取り押さえた。
――……?
身体を回転させ、ゴルゴタを下にして地面に叩きつけようとするが、ゴルゴタはそれを予想していたように羽ばたき、体勢を立て直して炎の魔法を近距離で発動させる。
私は水魔法を発生させてそれを相殺した。水蒸気で互いの視界が奪われる。
――私は何をしている……?
鋭い爪でゴルゴタは私の顔を狙って腕を振りぬいた為、回避する為にゴルゴタの身体から手を放すしかなかった。
手を放した後に、私はそのまま魔法を発動し、高出力の光線でゴルゴタの腕の付け根から右腕を切断した。光線は林も焼き払い、いくつかの木は大きな音を立てて崩れ落ちる。
「ヒャハハハハハッ!」
右腕が切断されても、ゴルゴタは動きを鈍らせることなく、左手で私の首を掴み、そのまま地面へと叩きつけた。
「がはっ……」
このままでは首を握りつぶされると悟り、私はゴルゴタの身体を氷の円錐で四方から貫く。私の首を掴んでいた腕も氷柱によって引きはがされ、首が折れるのは回避できた。
私に覆いかぶさり、馬乗りになっている状態でゴルゴタは氷の刃に縫い留められ、動きを止めた。だが、切断された右腕は新たに生えてきて私の首を再度掴もうとした。すぐに私はその手も氷柱を突き刺して固定する。
ゴルゴタは痛みに対して苦悶の表情を浮かべるわけでもなく、楽しそうに笑っていた。
笑っている口元から血が溢れ、唾液と混ざって私の顔に垂れた。それは生暖かく、酷く不快だった。
「キヒヒヒヒ……楽しいなぁ……兄貴ぃ……こうやって遊んだよなぁ……?」
昔の記憶とわずかに重なり、今の見るに堪えない現状に目を背けたくなる。
腹部の横から腕の方まで貫かれ、ゴルゴタは動きを止めていた。氷柱は返しの刃がついていて、そう簡単に抜けないように生成し、傷口から徐々にゴルゴタの身体は凍てつき始めていた。
通常であるなら、これは致命傷だ。
内臓が破壊されていて、傷口は大きく、そこから氷柱が抜ければ大量に出血するだろう。
だが、この男はその程度では死なない。
死ねないのだ。
「……なぁんで本気出さねぇんだよ……? そんなんじゃ、俺様を止められねぇ……分かってんだろぉ……?」
「呪印のせいで力が上手く制御できないだけだ」
「キヒヒヒ……ごふっ……」
吐血した血が私の服にかかった。
ゴルゴタは氷から逃れようと力を入れるが、力を入れて身体を動かすたびに氷の棘で皮膚が裂け、そこから新たに血が溢れる。氷柱はゴルゴタの血液ですぐさま赤く染まった。
氷を炎の魔法を発動させて溶かし、氷柱を折ってゴルゴタは身体の自由を得た。氷から無理やり剥がしたせいで、皮膚が剥がれた場所もあったがすぐにそれも塞がる。
私から離れて自分自身に炎を纏い、氷を一気に溶かした。
自由になったゴルゴタは落ちた自分の右腕を拾い上げ、その腕を焼き尽くした。肉が焼き尽くされたあと、その骨すらも燃えてなくなった。
そのままタカシの方へと向かうかと思われたが、そうしなかった。ゴルゴタは自分の身体を見つめ、腕の血を舐めとって笑った。
「へへっ……お優しいなぁ……兄貴は……」
「お前こそどうして手を抜く? 私を殺そうとすれば、今なら簡単なはずだ」
「ヒャハハハッ……ほんっと、兄貴は鈍感だなぁ……それとも、分かっててそう言ってんのか……? キヒヒ……あーあ、この服気に入ってたのに……もう使えねぇ……ひでぇことするよなぁ……?」
氷柱で射抜かれたせいで服は穴だらけで、ゴルゴタの血で白いファーはよもや真っ赤に染まっていた。
そもそもそれは魔王城にあった私の服だ。
他に服を持っていないゴルゴタは私の服を着る他ないのだろうが、やはり自分の服を台無しにしてしまったことには落胆せざるを得ない。
「で……『血水晶のネックレス』……どこにありやがる? 今は持ってねぇんだろ?」
「察しが良いな。あれは隠しておいた。私を殺せばもう二度と見つからないぞ」
私はこうなることも予見していた。
センジュが裏切る可能性、センジュが無理やり私と会話させられている可能性、センジュが拷問されて吐かされる可能性……あらゆる可能性を考えた。
そこで私は『血水晶のネックレス』だけは隠しておいたのだ。だから今は手元にない。ゴルゴタにそれを奪われたら魔族がゴルゴタによって統率されてしまい、アギエラが復活するまでもなく人間は数日と待たずに死滅するだろう。
「お前も持ってきていないではないか。互いに信用がないものだな」
「ふぅん……これが偽物だってお見通しなわけだ……ぺっ……」
ゴルゴタは口の中の血を吐き出した。
胸につけているものは偽物だ。精巧に作られてはいるが、細かな傷のつき方までは再現できていない。
ずっとそれを身に着けていた私だからこそそれが偽物だということが分かる。
「まぁ……今日は本当にからかいにきただけだからよ……『解呪の水』だって
「だろうな」
ゴルゴタが『解呪の水』を投げた方向を見ると、入れ物は割れて地面に水が染み込んでしまっていた。ただの水分だけなら回収できるが、魔分までは回収できない。
「ほら、兄貴ぃ……俺様の前でみっともなく這い
確かに、その泥を呪印にこすりつければ、もしかしたら呪印は消えるかもしれない。
だが……――――
「そんな無様な真似ができるか」
「キヒヒヒ……そう言うと思ってたぜ」
ゴルゴタの思い通りの展開となり、私が険しい表情をするとゴルゴタは嬉しそうに笑った。
「その顔、俺様は兄貴のその屈辱に歪んだ顔を見に来たんだ。ヒャハハハッ! いいねぇ……」
「…………」
「まぁ、久々に遊べて楽しかったぜぇ……ムカついて今殺そうと思ったけど、あのうるせぇ猿も殺さないでおいてやる。楽しみは後までとっておかないとなぁ?」
「手心を見せたことを後悔することになるぞ」
「それはお互い様だろぉ……? ゲームはギリギリだから面白れぇんだぜぇ? だから兄貴を殺さないで泳がせてやってんだ……兄貴がゲームから降りちまったら、なーんも張り合いがないからなぁ……キヒヒヒヒ……」
ニヤッと笑ったゴルゴタは、かなりの量の出血をして消耗している様だった。あれだけ自傷行為と戦いで血を流せばそうなって当然だ。
「ヒャハハッ……兄貴の大事なもん一個ずつ壊していってやる。全部奪いつくして俺様の受けた屈辱を全部兄貴に解らせてやるぜ……」
「ほう。私に対して“怒っていない”のではなかったのか?」
「怒ってねぇよ? 怒ってねぇけど、兄貴には俺様の屈辱を分からせねぇとなぁ……兄弟なんだからよぉ……平等じゃねぇと……なぁ?」
その言葉から、憎しみや怒りは感じない。
私は弟に憎まれていると考えていた。今もそう思っている。
私がしたことを考えれば、憎まれるのが事の道理だ。私を憎んだり、私に対して怒りをもつことが自然だと感じる。
だが、ゴルゴタは感情の回路までもが狂っているのか、私に対してそういう感情は持っていない様子だ。
言っていることと本人の感情が一致していない。
「……何をしても、お前に許されるとは思ってはいない。お前の気の済むようにしろ。私も好き勝手やらせてもらう」
「そうでなくっちゃなぁ……? まだまだ、楽しくなってくるのはこれからだぜぇ……ヒャハハハッ」
ゴルゴタは自身の赤い翼を大きく広げた。
「まぁ、俺様が言った提案は嘘じゃねぇから、考えておくんだなぁ……?」
「私は殺しには興味がない」
「どうかなぁ……? 実際に仇を目の前にしたら気が変わるかもしれないぜぇ……?」
そのまま羽ばたき、空へと飛びあがる。太陽の光でゴルゴタの姿は逆光になり、そのシルエットは空を舞う龍族のようだった。
「今は殺さないでおいてやるよ! せいぜい自分の玩具を壊されねぇようにな! ヒャハハハハハッ!」
そう吐き捨てて、笑いながら炎の壁の上空を飛び、魔王城方向に向かって去って行った。
私はそれを見送った後に炎の壁を収め、燃えている林の一帯を水で鎮火させる。
炎の壁を収めると、タカシは慌てて私の元へと『縛りの数珠』を構えたまま走ってきた。そして辺りを警戒しながら見渡す。その脚はガクガクと震えていた。
私は魔法を解き、タカシを喋れるようにしてやった。
「だ、だ……大丈夫か……!? 血まみれじゃ――――」
バシャン。
タカシに水をかける。
「がはっ……げほっ……げほっ――――」
バシャン。
バシャン。バシャン。
バシャバシャバシャバシャッ!
連続で私は四方八方からタカシに対して水をかけた。
タカシは水圧で立っていられなくなり、その辺に転がる。そして水をかけられている中、やかましく喚いている。
私がひとしきり水をかけ終わった後、水を吐き出しながらタカシは私に対して文句を言った。
「急になにする――――」
「何故来た?」
言葉を遮って冷たく私が言い放つと、タカシはバツの悪そうな顔をした。
「宿で待っていろと言っただろう」
「……お前が……心配だったから追いかけてきたんだよ。そしたら妖精族が血まみれで、お前を追ってきたらあの男がいたから――――」
「私がゴルゴタを止めなければ、お前は死んでいた。私の言いつけを守れ。庇いながら戦うことはできない」
「……悪かったよ……ごめん……」
タカシは心底反省したように俯き、目を泳がせる。
「それで、お前、怪我は大丈夫か……?」
「…………」
本気で私のことを心配している様子だった。
その気持ちには何の偽りも、狂気もなかった。先ほどまでゴルゴタと話をしていたせいで、私はその普通の応答にやけに違和感を覚える。
おろおろと狼狽し、胸の前あたりで手をせわしなく動かしていた。
「私の血ではない。おい、こんなときにふざけるな」
「え……? ふざけてないけど……」
「その手だ」
私はタカシの右手のキツネを指さした。
「これはお前がくっつけたんだろうが! ふざけてないの! これはお前のせいなの!」
タカシはいつものやかましい調子でそう主張していた。右手のキツネをぶんぶんと振り回し、私のせいだと言い張る。
そのふざけている調子に、私は妙に安堵した。
「やかましい。宿に戻るぞ。風呂に入らなければ気持ちが悪くて仕方がない。立て」
「納得できない……」
町まで歩くのは億劫だったので、立ち上がったタカシの上に乗った。
「結局こうなるのか……」
「当然だ。早く行け」
タカシの後頭部を軽く蹴って進ませた。それについてタカシは珍しく文句を言わなかった。
「……なぁ……何があったんだ? 妖精が血まみれで倒れてるし、お前も血まみれだし……」
「…………私とあの男は、色々としがらみがあるのだ。立ち入ったことを聞いてくるな。一先ずミューリンを回収して宿に戻って風呂に入る。それ以外はない」
私とゴルゴタが兄弟であることは話さない方がいいだろう。
いずれは知られるだろうが、今言っても混乱を招くだけだ。それに、私はあまり身の上の話をしたくはない。
相手への信用の有無の問題ではなく、純粋にそういった話は好きではない。
――『解呪の水』が当てにならなくなった今、魔道具を集める他ないな……
振り返って『解呪の水』だったものを見て、私は短くため息を吐いた。
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