第21話 手に呪いがかけられました。▼




【タカシ】


 朝起きて、俺はまだ寝ぼけまなこを擦りながら宿の一階に降りていくと、窓の外を見つめて黄昏たそがれている佐藤がいた。

 不安そうな表情を、朝の陽ざしが照らしている。


「おはよう、佐藤」

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「あぁ。それにしても早いな。よく寝れなかったのか?」

「そうですね……先のことを考えると、なんだかソワソワしてしまって。魔道具も上手く使えるかとか、魔法の練習をしたほうがいいかなとか……」

「ほんっと……メギドも佐藤みたいに真面目で勤勉だったらいいのにな。メルとメギド起こしてくるわ。作戦会議もしたいしな」

「そうですね。お願いします」


 佐藤は弱く笑っていた。よく見ると目の下にクマができているようにも見える。


 ――なんか、佐藤は色々思い詰めてるんだな……気の利いたことのひとつも言ってやれないけど……


 それに、まだ俺たちに馴染みきってない様子だ。

 元々無口なのか、人見知りで無口なのか分からないが、佐藤はあまり喋らない。

 急に「家来」とか言われても、やはり気持ちがついて行かないのは当然だ。メギドの横暴で粗暴で乱暴な態度にも慣れていないだろう。


 ――別に……メギドは悪い奴じゃないんだけど……


 メギドの部屋の前まで行き、部屋をノックする。


「おーい、メギド。起きてるか? 起きてないなら起きろー」

「起きている。大声を出すな」

「開けるぞ」


 部屋に入ると、髪の毛をポニーテールにして、昨日とは違う簡素な恰好をしているメギドがベッドに座っていた。

 メギドにしてはあまり華美な恰好をしていないので珍しいなと感じる。


「まだ開けていいとは言っていないだろう。いいというまで開けるな。分かったな」

「あぁ、悪い……朝食にしようぜ」

「そうだな」


 メギドは素っ気ない返事をして手元をじっと見つめていた。

 何やら小型のチューブを持っている。何の変哲もない、メギドが好きそうな造形美がある訳でもないそれをずっと見ていた。


「メギド、何持ってんだ?」

「これは……相手の動きを封じる魔道具だ」


 メギドはちらりとその小型のチューブを俺に見せる。

 すぐにメギドは手の中に握り込んだのでよく見えなかったが、一見、接着剤のように見えた。


「その接着剤みたいなのがか?」

「そうだ。手を出してみろ」

「え? もしかしてそれを俺で試そうとしてる?」

「効果を確認する必要があるだろう? いきなり実践では使えない」

「それで俺、大変なことにならない?」

「早く手を出せ」


 少しばかり嫌な予感がしたが、俺は素直に手を出した。


 ――まぁ……そんなに酷いことにはならないだろ……


 メギドはそのチューブ状の魔道具の蓋を取り、透明なジェル状の粘度の高い液体を俺の親指につけた。


「それで中指と薬指と親指をつけてみろ」


 言われた通り、俺は接着剤のようなものがつけられた親指と薬指と中指をくっつけてみた。

 この手の形は、俗にいう手の「キツネさんポーズ」だ。


「…………くっつけたけど……?」

「それで完了だ」

「……? 普通に俺の指がくっついたけど……」

「今、お前の指をつけて動きを封じた。凄かろう」

「地味!! 地味すぎない!? っていうかおい、ちょっと貸してみろ!」


 俺はメギドからその接着剤らしきものを奪い取った。

 パッケージに『強力接着☆トレナイ君』という文字が印字されている。


「ただの接着剤じゃねぇか!!!」

「こんな間抜けな魔道具があるわけないだろう。お前は騙されやすいな」

「どうすんだよ! 俺の指くっついちゃったじゃねぇか!」


 しかも、利き手の指がくっついてしまった。その指をメギドに見せつける。

 キツネさんポーズでメギドに訴える俺の姿はどれだけ間抜けなことだろうか。


「水で洗えばすぐ取れるだろう。大騒ぎするな」

「このトレナイ君って、マジで取れねぇんだよ……子供のころ同じようなことになって、大変だったんだ。無理やり剥がしたら俺の指の皮が剥がれるくらい凄いんだぞ……」

「では、自然に取れるまでそのままにしておけ」

「こんな間抜けな手の形のまま生活できないだろ! 少なめに見積もっても、ふざけてるようにしか見えないだろうが! ほら、見ろ! このキツネさんポーズ!」

「ほう。その手の形はキツネを意味するのか。知ったところで活用する場面はなさそうだな」


 メギドも同じ手の形をして、自分の手を見つめていた。そしてその手を俺のキツネの方へ向ける。

 これは完全にふざけている。


「こら! この非常時にふざけてる場合か! 俺を騙したことに対して言うことがあるだろ!?」

「そうだな。言うべきことがある」


 俺が憤慨する中、メギドは珍しく素直な姿勢を見せた。

「なんだ、いつも強情なのに素直に謝ることもあるのか」そう思った俺は逆に戸惑った。

 いつも強情なメギドに素直に謝罪されたら、この暴挙も許してやろうという気になってしまうだろう。


「お……おう。そうだそうだ。珍しく素直だな」

「いいか、相手の嘘を見抜き、騙されないようにしろ」

「そうそう、騙されないようにしないとな……――って、ちげぇよ!!」


 素直な謝罪がくるのだと思って期待した俺が馬鹿だった。


「悪いことをしたら謝罪だって、昨日言ってただろ! 俺を騙して俺の指をくっつけたことに対しての、しゃ・ざ・い!」

「これは悪い奴に騙されないための訓練だ」

「都合のいい屁理屈を言うなぁあ!」


 キツネのポーズのまま右手をぶんぶんと振り回して、必死にメギドに抗議した。


「指が接着されたくらいで大騒ぎするな。逆に考えろ、指が接着されたくらいで済んで良かったと。敵がお前のことを本気で騙そうと思ったら、お前はもっと惨たらしい目に遭っているぞ。指がなくなってからでは遅い。お前の指は私の髪飾りを作るために必要なのだ。いいな? ゴルゴタという男は私に汚い手で不意打ちをして大怪我を負わせた。馬鹿正直に向かっていって勝てると思うな。ありとあらゆる汚い手に備えろ」


 先ほどまで明らかにふざけていたメギドが真剣な口調でそう言うので、なんだかそうかもしれないという気持ちになってきた。


「お……おう……そう……だな、指がくっついたくらいで良かった……ような……?」

「分かればいい。食事をするぞ。食事が終わったら作戦会議だ」


 そう言ってメギドは先に一階に下りて行った。

 なんとも言えない複雑な気持ちになりながら、俺は自分のくっついてしまった自分の手を見つめた。

 指の接着を取ろうと思ってもやはりびくともしない。

 俺の手のキツネさんと見つめ合う。


「俺、丸め込まれてない?」

「でも、メギドはお前の手が必要だって言ってたコン」

「そうだよなー」

「今度から気を付ければ良いコン。メギドは悪い奴じゃないコン。コンコンコーン」

「うんうん」


 自分の手に話しかけて自分で答えるという行動をとりつつ、階段の方を見るとメギドがこっちを見ていた。

 一階に下りて行ったと思っていたので、先ほどの自問自答を聞かれたという羞恥心で俺はその場に凍り付いた。


「ひっ……あ……えっと……その……」

「…………悩みでもあるのか。その手のキツネの代わりにはなれないとは思うが、私が特別に聞いてやってもいいぞ」

「そういう反応が一番傷つくからやめてよ!」

「バカげたことをしていないでさっさとメルとレインを連れて降りてこい。変質者」

「その呼び方だけはやめてくださいお願いします」


 変なところをメギドに見られ、恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。顔が熱い。穴があったら入りたい。自分の右手を見る度に思い出す恥ずかしい記憶になった。


 ――心折れそう……今までで一番心折れそう……


 羞恥心で火をふきそうになりながらも俺はメルの部屋に行き、メルとレインを起こした。


「メル、おはよう」

「おはようございます……タカシお兄ちゃん、何してるんですか?」


 メルは俺の手を見て、不思議に思ったのかそう聞いてくる。

 今最も聞かれたくないことだが、こんなことをしていたらそう聞かれても仕方がない。


「あぁ……ほら、キツネさんだよー……コンコン」

「じゃああたしはウサギさんです! ぴょんぴょん」


 メルは小指と人差し指と親指をくっつけて、ウサギさんのポーズをする。

 先ほど受けた心の傷はメルの無邪気さによって少し癒された気がした。


「何してるの?」


 俺たちの様子を見て、レインはいぶかしい顔をして首をかしげた。


「手遊びだよ。手を動物の形に見立てて遊ぶの。これはウサギさん、タカシお兄ちゃんのはキツネさん、で、こうやると……イヌさん! わんわん」


 両手をイヌの形に組み、口の部分をパクパクとしてレインに見せる。


「ふーん……それ、面白い?」

「……それを言うな、虚しくなってくる……これは、メギドに接着剤をつけられてやむを得ずこうしているんだ……取れなくて困ってる」

「また魔王に虐げられてるの? 本当に仲いいね」

「どう見たら仲良く見えるんだよ……からかわれてるだけだって」

「そう? 仲良くなりたいからそうやって意地悪するんじゃない? 僕の知り合いの吸血鬼も仲良くなりたくて相手に意地悪してたよ」

「レインは吸血鬼族の知り合いがいるのか?」

「うん。転生前の話なんだけどね」

「そうなのか。まぁ、メギドが悪い奴じゃないのは分かるだけど……こう、抉り込んでくる一撃をいれてくるというか……」


 一撃で骨の髄まで砕けるような重い一撃を打ち込んでくるというか。


「昨日、国王が勢い余って君のお腹に剣が刺さりそうになった時、魔王怒ってたじゃん。大事に思ってなかったらあんなに怒らないよ」

「そ、そうか……?」


 そう言われると、確かにそんな気もする。

 確かに、いつも「髪飾りの付属品」とか「虫」とか「乗り物」とか言って俺を虐げてくるが、それはメギドの照れ隠しなんだよな。


 ――照れ隠しなら仕方ない……のか……?


 階段を降りながら、自分のキツネさんポーズの右手を見つめる。

 食事はもう用意されていて、メギドと佐藤はすでに席について俺たちを待っていた。俺たちもテーブルにつき食事を始めようとしたが、そこで俺は改めて気づいた。

 キツネさんポーズでは箸が持てない。


「先食べててくれ。俺、手洗ってくるわ」


 手を洗ってはみたものの、予想はしていたが俺の指はしっかりトレナイ君で接着させられていて、取れない。

 商品名の通り、全く取れる気配がない。


「まいったなー……全然取れない」


 諦めて俺は再びテーブルに着いた。一先ず左手で食事ができないこともない。と……思ったのだが、左手で持った箸で物が掴めなかった。

 箸を諦めてスプーンを使おうとするが、どうにも思うように食事ができない。


「タカシさん、何してるんですか?」

「右手が接着剤でくっついちゃったんだよね。洗っても取れなくて」


 佐藤に向かってキツネさんポーズの右手を突き出すと、苦笑いをしていた。

 というか、純粋にこのままでは恥ずかしい。


「タカシお兄ちゃん、あたしが食べさせてあげましょうか?」

「え? えーと……」


 そんなことをしてもらったら、メギドにまた少女性愛者ロリータコンプレックスだと罵倒されるような気がして気が引けた。

 だが、メギドは俺の方を見ておらず、食事に集中しているようだった。


「それは……気持ちはありがたいけど、大丈夫だ。絵面的にまずい気がする」

「えづら? うずらの親戚ですか?」

「あ、いや、何でもない。なぁ、メギド、接着剤を取る魔法とかないの?」

「指ごと取るという方法はどうだ?」

「それは無理。絶対無理。違うだろ、指から接着剤を取りたいんだよ。指を取りたいんじゃないんだよ」

「やかましいな。食事が終わったら私が切り離してやろう」

「本当か? 指の皮は無事だよな?」

「多少は持っていかれるかもしれないが、少しの犠牲は仕方がない」

「お前のせいだからな? それは分かってるよな?」


 食事をしている最中、ゴトゴトという音が窓の方からした。風が当たるような音でもない、物が当たるような音だ。

 音のした方を俺たちが見ると、15cmくらいの大きさの蝶のようなものが窓に張り付いているのが見えた。


「な、なんだ? 妖精族か……? 窓開けようとしてないか?」

「私が出る。お前たちは食事をしていろ」

「え? あぁ……」


 いつもならここで「お前が行け」と俺に言いそうなものだが、メギドは率先して外へ向かって行った。


「綺麗な蝶の羽でしたね。あたしも羽ほしいなぁ。空飛んでみたいです」

「空を飛べると障害物が少ないからいいよね」

「レインが大人になったらあたしのこと背中に乗せてくれますか?」

「僕の背中? 僕の背中に乗せて飛ぶ最初の人は決まってるんだ。その人の後ならいいよ」

「その人ってレインが探してるノエルってやつか?」

「うん。ノエルは僕のこと抱きかかえて飛んでくれたから、今度は僕がノエルを乗せて飛ぶの。それが夢なんだ」

「人類の危機が去ったらゆっくり探しに行こうぜ。宛があるといいんだけどな……」

「あの……ノエルってどちら様ですか?」

「僕の大切な人なんだ。ノエルはね――――」


 レインが佐藤に向かって説明をし始めた時、メギドが入口の方で俺たちに声をかけた。


「私は少し用事ができた。お前たちはここで待っていろ」

「え、俺の手は?」


 俺の言葉を無視したのか、聞こえなかったのかは分からないが、メギドはそのまま出て行ってしまった。


「なんだよあいつ。行っちまった」

「何かあったんでしょうか?」

「まぁ、何かあってもあいつなら大丈夫だろ」


 気にはなったが、俺は食事の続きをすることにした。

 相変わらず手が自由に使えずに、食事は難航した。



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