エピローグ

第1話 甘い措置



 オルトガン伯爵、王都邸。


 セシリアは自身の私室で、ゼルゼンが淹れてくれた紅茶を飲んで深く息を吐いた。


(正直、想定外ではあった)


 何がなのかというと、それはもちろんクラウンの来訪だ。

 

 正直、最初はどうなるかと内心でうんざりした。


 彼が更に反抗してくる可能性は、無いでもなかった。

 しかしそれでも、ひどく低い可能性だったのだ。


 それこそ自分のことで手一杯で、こちらにかまけている暇など無いだろう。

 そんな目算があったのだ。


 だから彼が来た時には、思わず「その状況でまだこちらにちょっかいを出してくるか」と思った。


 勿論、警戒した。

 しかしそれは,まさかの形で裏切られた。


(これだから、人は実に興味深い)


 彼の変化は、セシリアにとっては吉報だった。

 詰まるところ、彼はセシリアのお眼鏡にかなったのだ。

 『好奇心』という名の、お眼鏡に。



 そして同時に、これでとりあえず今回の件には一段落付いたと言っていいだろう。

 それは間違いなく、状況の好転だ。


「はぁ、此処までとても長かった」


 セシリアは、カップの中で揺らめく紅茶の湖面に向かってそう呟いた。



 社交界デビューを果たしてから、既に約2カ月の時が流れている。

 その間、セシリアは初めての経験の中で貴族として振る舞い、そして常時頭をフル回転させてきた。


 そしてその思考は、事が自らに課せられた『義務』の範疇だったからこそ、ずっとセシリアの思考領域を圧迫し続けてきたのだ。

 それこそ公私の時間に関係無く、ずっと。



 本当は自分のしたい事だけして、興味のある事だけに思考を使っていたい。

 そんな性分の彼女は、間違いなくこの2ヶ月間を『義務』に忙しく過ごした。

 そして今、晴れてその『義務』から解放されたのだ。


 そして、だからこそ噛み締める。


(――うん、美味しい)


 セシリアが噛み締めたのは、自分のために入れられた紅茶の味だ。


 紅茶を楽しむ事は、セシリアにとっては進んでやりたいと思える事であり、安らぎの時間でもある。

 そしてそんなセシリア好みの少し渋めに淹れられた紅茶は、ゼルゼンがセシリアに贈る最大限の気持ちの表れである。

 

 


 そしてその送り主はというと。


「俺はレガシー様に賛成だ」


 少し顔を険しくしてそんな言葉をセシリアへと発した。



 彼はセシリアの友人であり、彼女に仕える執事でもある。

 だからこそ、せっかくの安らぎの時間をたまには満喫してほしいと、本心から思っている。

 これまでセシリアが頑張っていた事は、一番近くに居たゼルゼンが、誰よりも分かっているのだから。


 しかし「本当は水を差したくはないんだけど」と前置いてから、彼はこんな風に言葉を続ける。


「俺もあの助言は、クラウン様に対して甘すぎる措置だと思った」


 友人であり、執事である。

 だからこそあえて口に出さねばならない事だって、呈さなければならない苦言だってあるのだ。



 不服そうに、しかしその一方で少し申し訳なさげに告げられたその言葉に、セシリアは思わず苦笑した。


 例え口には出さなくとも、その言葉の裏にあった葛藤も心配してくれているからこその苦言も、内心を読み解こうとするまでもなく分かったからだ。

 


 そしてだからこそ、セシリアは「何という事もない」と口調で示す。


「別に甘やかしたつもりなんて無いよ。ちゃんと『自分で考えろ』って突き放したじゃない」

「助言の方が、直接的な指摘よりも余程頭を使うんじゃないのか」

「だからそんなの大した労力じゃないってば」


 そんな労力を使っておいて、一体どこが「甘やかしていない」んだ。

 そう言いたげなジト目に、セシリアはレガシーにしたのと同じ答えを返した。

 

 しかしそれでも彼は口をへの字にしたままだ。



 それもその筈、ゼルゼンから見ればクラウンは主人のドレスを汚した加害者だ。

 そしてドレスを汚すという行為は明らかな失礼に当たる。

 だからその行為に対して憤る事も「その様な行為を故意にした者にかける情けなど無い」思うことも、彼の立場からすれば筋が通る話だ。


 しかし彼は、セシリアの友人であり執事であるが故に、セシリアという人間の事もよく理解していた。


「どうせお前の事だ、『更生の余地があるなら手を貸してやりたい』とでも思ったんだろうけどな」


 ため息を吐きながら告げられたその言葉は、セシリアの真意のど真ん中を射抜いた。


「流石はゼルゼン」

「『流石』じゃない」


 「よく分かってる」と茶化したセシリアに、彼は呆れながらもしっかりと嗜める事を忘れない。

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