第9話 ズルい兄の友人とチョコレートカヌレ



「今社交界では『噂の件でモンテガーノ侯爵がオルトガン伯爵に媚びていた』という噂が流れているのです」


 その言葉を聞いて、セシリアは「やはり」と思った。


 これは、クラウンが公衆の面前で『劇』を演じた時から予測できていた事だった。

 だからセシリアにとってこれはそう驚くことではなかったのだ。

 次の言葉を聞くまでは。


「その噂は、ほぼ意図的に流されたと言っていい。ケント達の手によってね」


 そう告げたのはキリルだ。

 そしてそんな彼の声に、セシリアは思わず驚きの声を上げる。


「ケント様達が?」

「うん。まぁ例えケントが率先して動かなくても、噂はいずれ広まっただろうけど」


 そう言って、キリルはセシリアに悪戯っぽい笑みを向けてきた。


「セシリー、君は余程ケントに気に入られたみたいだね」


 昨日社交で会った時、彼に『お前の妹面白いな』って言われたよ。

 一体何をしたの?


 そう尋ねられる。


 しかしセシリアとしては首を傾げずにはいられない。


 ケントと言えばそれこそ先日のお茶会で初対面を果たしたばかりの相手だ。

 あの時以来彼と会話をした覚えは無いし、当日に何か面白がられる事をした自覚もない。


 などという思考を心中で巡らせていると、彼は「まぁそんなに気にしなくてもいいよ」と言って苦笑する。


「ケントのこの行動は、彼自身が『必要だ』と思ったからこそ起こした事だろうから」


 確かに一面では『セシリーの為』っていうのもあるんだろうけど。

 そう言って、兄はそちらについてはあくまでもついでの範疇を出ないことを、セシリアに教えてくれた。


 しかしセシリアには、やはりよく分からない。


(友人の妹の助力でないのなら、一体彼は何故率先して噂を流すなんて事を……)


 材料が足りない。

 だから分からない。

 そんな妹を見かねて、妹よりは少しだけ『ケント・ドルンド』という人間の骨格を知っている姉が助け舟を出してやる。


「一見軽そうに見えますが、その実あの方は、ご自分が『学生会』の一員であることに誇りを持っています。それこそ、未来の学校運営に想いを馳せるくらいにまで」


 その声は、敬愛とまでは行かないにしても確かにそれに準じる何かを持っていた。

 普段何かと毒舌気味な彼女にしては珍しい部類に入るだろうその態度を「それほどまでにケント・ドルンドという人間は優秀なのか」と受け取りながら、セシリアは与えられた議題について思考を走らせる。


 そして。


「……つまりケント様は、近い将来『学生会』という立場に収まるだろうクラウン様の伸びた鼻を、今のうちにへし折っておこうと考えたのですね?」

「正解」

「よくできました」


 セシリアがそんな答えを出すと、兄姉は2人揃って満足顔で頷いた。



 『学生会』は学校を仕切るメンバーだ。

 そしてその人選は、バランスを加味して各派閥から1人づつ選ばれる。

 しかし加味されるバランスの例外が『爵位』だ。


 つまり『学生会』とは、余程の不適格さがない限りはその年の各派閥の最高権力が選ばれる事になる。

 そして丁度セシリア達の年代で言えば、『革新派』の最高権力は侯爵家、つまりクラウンという事になるのだ。


 そんな人間が、下の者への見下した態度と権力によるごり押しを『正当な権利』だと認識してしまったら。

 なまじ権力があるが故に面倒な事になる。


 勿論それは『社交界』という枠組みでも言える事だろう。

 しかしマリーシアの言を聞くに、ケントはどうやらそちらよりも『学生会』もしくは学校運営への影響を心配しているようだった。


「まぁ今期は特に、エドガー様が居るからね」

 

 そこで苦労してるから、似たような片鱗が見える相手を放っておくことができないんだろう。


 そう言って、キリルが笑う。


 少なくともセシリアには、そんな兄の笑顔の裏に『友人を自慢したい気持ち』が見えて。

 

(キリルお兄様は、本当にケント様と仲が良いんだなぁ)


 そう思えば、少し2人の関係性が羨ましく思えてしまった。

 


 そして同時に、ケントの学校ないし『学生会』への愛を、改めて痛感した。


 しかし。


「それでは結局、矢面に立つのは私達ではないですか!」


 セシリアは「ズルい」と言って、語気を荒げる。



 暗躍することで、彼らは不利益を被ることなく利益だけ得られるだろう。

 しかし噂の渦中にあるセシリアは、そうはいかない。


 きっとまた、周りに噂され、探りを入れられる日々が待っているだろう。

 せっかく労力を割いてまで、こちらに有利になる形で事を収束させる算段を付けたのに。

 

「つまりあちらは『他人のふんどしで相撲を取って勝ち星を上げようとしている』という事なんでしょう?」

「『相撲』とはまた面白い例えをするものだ。確か東の方の伝統的なスポーツだったっけ?」

「お兄様」


 誤魔化そうとして話を逸らす策に出たキリルだが、まんまと末妹にそんな思考を見透かされて睨まれた。

 そんな彼女に、仕方がなく「あぁ、ごめんごめん」と言って、キリルは折れる選択肢を取る。


 そして「まぁ」と友人の悪癖を語ってみせた。

 

「ケントはその……変に勝負所を見極める目が肥えてるというか、要領が良いというか……」


 だから仕方がないとでも言いたげな兄に、セシリアは「ムーッ」と頬を膨らませる。

 しかし困った笑みを浮かべながらセシリアの好物・チョコレートカヌレを取ってくれる彼を見て、セシリアは「はぁ」とため息をついた。



 確かにこれに関しては、キリルに対して怒ったところで何の意味も無い。


 結局のところ、これは単なる八つ当たりだ。

 しかも、兄に甘える形での。


(……しょうがないか)


 セシリアは、差し出されたカヌレに手を伸ばしながら、彼のご機嫌取りに乗ってやる事にした。

 ……決してそのカヌレが美味しそうだったからではない。

 そう、決して。




 機嫌を直して好物をもぐもぐとし始めた末妹の様子に、兄はあからさまにホッとした。

 そしてここぞとばかりに話の矛先を微修正する。


「どちらにしてもそのお陰で噂の広がりが早いのは確かだし、今頃侯爵はさぞかし腸が煮えくり返っている事だろうね」


 キリルのそんな言葉に、マリーシアが「そうですね」と言いながら微笑む。


「侯爵の方も『向こうが謝って来たのでこちらが鷹揚に許したのだ』という主旨の噂話を流してはいるようですが、それを信じる人は限りなく少ないようですね」


 口は確かに弧を描いていた。

 にも関わらず、何故か恐ろしい雰囲気が醸し出されているのは、きっと目が笑っていないからだろう。


 その瞳は明らかに「こちらを貶めようとするなど100年早い」と言っている。


「これについては『劇』での事に加えて、ヘンゼル子爵夫人に巻いた種が芽吹いた結果もあるようですよ」


 そう言って、マリーシアは一度自分の喉を紅茶で軽く潤した。

 そして持っていたティーカップをソーサーの優雅な手つきで戻してから、両手を机上で重ねて姿勢を正す。


「『どうやら、侯爵が噂の件を全て事実だと認めた上で謝罪したというのが事実らしい』などという対抗噂話を同派閥の人間が実しやかに囁いているのですから、最早『革新派』は」


 そこまで言うと、マリーシアは人差し指でコツンッとテーブルを軽く叩いてこう続けた。


「内部分裂状態、ですよ」


 その言葉にセシリアは、思わずカヌレを楽しむ手を止めて目を見開いたのだった。


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