第8話 社交界というものは


「謝罪は受け入れた上で、あちら側の態度を理由にきちんと筋が通る理由を目に見せた上で断った。その判断は、最良だったと思うよ」


 そんな彼の言葉は、正しく太鼓判だった。


 そんな物を受け取って、まさか嬉しくない筈がない。

 思わず頬を緩めたセシリアだったが。


「でも、まぁその何というか……セシリアって、何でそんなに『引き』が強いんだろう?」


 その一言で、喜びなんかあっという間に霧散した。


「……そんな事、私が一番知りたいです」

 

 こんな事で『引き』が強くて、誰が嬉しいものか。

 そう言いたげに、セシリアは思わずジト目になって兄を見やる。



 するとそんな2人の様子を横目に見ながら、マリーシアがクスリと笑う。


「まったく……侯爵もバカですよね」


 満面の笑みで毒を吐いてから、優雅な仕草でティーカップに口をつける。

 そんな姉を真似するかのようにセシリアも自分のカップに口を寄せていると、好物のたまごサンドを片手に、キリルこんな風に言う。

 

「この件で侯爵側が踏んだ最悪手は、間違いなくクラウンが非協力的だった事だろうね」


 そうでなければきっとセシリアももう少しあちら側に対して協力的になれただろう。

 それこそ、多少実力が足りない『劇』共演者のフォローをしてやるくらいには。


 そんなキリルの指摘はきっと正しかっただろう。


 しかし結局クラウンは、自らの態度によってその機会を失った。

 それは正しく悪手である。


  

 しかし。


「侯爵側の悪手は、なにもそれだけでは無いですけどね」

「そうだね。『役者を変更することもなく一方的に壇上へと上がる』、そんな愚行を犯しいてれば、マリーからあんな酷評を貰っても仕方がないな」

 

 そう言い合ってから、セシリアとキリルは互いの顔を見合わせて笑う。



 この愚行は間違いなく侯爵自身の判断だというのが、3兄妹の予測だった。

 そしてそんな愚行の結果、案の定クラウンは自爆した。


 それはもちろんセシリアの誘導もありきだっただろう。

 しかしそれにしたって、自爆した事にさえ気づかずに鼻歌まじりで帰っていくくらいの残念さなのだからどの道何かしらの自爆はしただろう。



 見栄のために彼が為した失態は、きっと彼のこんな思考から来ている。


 途中までは丸ごとお父様の言葉の受け売りだし、問いの答えは良く分からないが、相手はまるで『それが常識だ』と言わんばかりだ。

 ならきっと結局はそうなるんだろうし、適当に答えても大丈夫だ。



 そんな思考回路を展開した彼だが、間違いは判断基準を『敵側』に置いた事だったのだろう。

 

「彼はきっと、相手が自分にブラフをかけるだなんて夢にも思わなかったのでしょうね」


 取り繕い、騙し合う。

 それが社交の本質だというのに。

 

 そう言ったのは、マリーシアだ。



 姉の言葉に頷いて、それからセシリアは心中でこう思う。


(彼は分かっていない。社交界で言質を取られる事の、恐ろしさを)


 だからこそ、そんな適当な事が言えたのだろう。




 あの時、セシリアは「きちんとこちらに有益な内容ならば検討はしますよ」と言ったも同然だった。

 それに対するクラウンの返答は、要約すると「分かった」だ。



 社交場での物言いは、後々に撤回することが難しい。

 それは数多くの人の目があるからであり、「前言撤回は格好悪い」というイメージがあるからでもある。


 彼はあの時、「父親がそう言っていた」という切り口で会話をしていた。

 つまりそれは、間接的ではあるにしろ「当主の意向だ」と伝えた事に他ならない。


(それが例え子供の戯言だったとしても、そういうスタンスを取った時点でアウトだ)


 これもまた、社交場では十分に常識の範疇であり、それを知らない彼を役者として立てることは、やはり時期尚早だとしか言いようがない。


 セシリアがそう、当時を再評価した時だった。


「ねぇセシリー。もしも君が彼の立場だったら、どう答えるのが最善だったと思う?」


 キリルからそんな風に出題されて、セシリアは「ふむ」と少し考える。


「そうですね……まずはつまらない見栄など張らずに素直に『私には分からない』と答えます。『お父様の意向次第だから』、と」


 そうすれば、答えを一旦保留にして議題を一度持ち帰ることができる。





 持ち帰るという時点で、それは相手に対して「考える時間をくれ」と言ったも同然だ。

 それは即ち、会話の主導権がオルトガン伯爵家側にある様にも見えてしまう。


 この場合、侯爵が当初想定していただろう収穫物、『伯爵家が侯爵の配下に下ったと周りに認識させる事』は完全に阻まれた形になる。

 しかしこれは、相手に問われた時点で少なからず結果がマイナスに転ぶように、誰でもないセシリアが仕向けた事だ。

 最初からマイナスにしかなり得ないのなら、よりダメージが少ない方を選ぶしかない。



 どうやら答えと表情から、キリルはそんなセシリアの思考をも読み切ったようである。

 いつもの調子で苦笑を浮かべながら「容赦なかったからね」と言った。


 すると、マリーシアが「当たり前だ」と言わんかばかりに声を上げる。


「侯爵の行いは、我が伯爵家と領地や領民を攻撃する行為に他なりません。徹底的に行なって然るべきです」


 その言葉は、まるでセシリアの思考をそのまま代弁したかのようだった。


 例の応接室でのやり取りの際に、セシリアは既に起こるかもしれない未来をある程度予測できていた。

 そしてその時セシリアも「そうなったら見逃してはやれない」と思ったのだ。


 だからあの時忠告したのである。

 和解『劇』は止めておいた方が良い、と。



 そして同時に、こうも思った。


 もしそうなってしまえば、新たな着火剤を得て、噂は再び燃え上がる。

 そしてその火を消す事はひどく難しいだろう。


それこそ、彼らがこちらに構う暇など無いほどに。



 セシリアがそこまで思い至ったところで、タイミングよくマリーシアがクスリと笑った。

 その瞳は、どうしようもなく好奇に満ちている。



 そんな彼女の瞳に、セシリアは「あぁなるほど」と思った。

 そして、一応確認の言葉を告げる。


「――その様子ですと、既に何か社交界で動きがあったのですね?」


 その声に、マリーシアの笑みが一層楽しそうに深まった。

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