第13話 愚痴る令嬢、漏れる苦笑
招待状付きの手紙には、その社交への参加有無に関わらず必ず返信を行わなければならない。
それがマナーというものだ。
しかし。
(うちには、沢山の招待状が届く。主に、一定の権力を持つこの家との繋がりを求めて)
それは一つの人気のバロメーターのような物だ。
だから決して悪い事ではないのだが、問題もある。
それは、数があまりにも多い事だ。
(しかも一過性のものじゃなくて毎年恒例なんだから嫌になる)
そしてそうなれば、返信が追いつかないのは必至だ。
だから、オルトガン伯爵家ではとある策を講じた。
幾つかの返信パターンを完全テンプレート化し、手紙作成の手順を形式化する。
そんな策を。
とはいっても、文章全てが形式化されている訳では無い。
そうしてしまえば一番楽ではあるだろう。
しかしそれでは、ほぼ確実に「手抜きだ」と思われてしまう。
それを避ける為に、手紙の内容を定型文で書く箇所とそうでない箇所に分けた。
(そうすれば、テンプレートが存在しないよりもずっと考えるべき事が少なくなって脳はある程度楽できるし、作業にメリハリが付くんだけど……)
そのお陰で余った脳の余力は、結局「定型文以外の部分に何を書くか」を考える為に使われる。
例えば領地の評判、子供が生まれたとか、結婚したとか。
そういう個人的な事を効果的に手紙に盛り込む事で、こちらへの相手の好意度を上げる。
つまりは、手紙で簡易的な社交をしてしまうという事だ。
これは、脳疲労を度外視さえすれば、実に効率的な社交方法であると言えるだろう。
何ていったって、社交の場に物理的に足を運ばなくて済むのだから。
「お母様にはこんな事を言うと悪いなと思うし、貴族にとって『しなければならない事』なのだから仕方が無いとは思うけれど」
セシリアが、ポツリとそんな言葉を零す。
その声にゼルゼンが視線で反応すると、ため息混じりのこんな声が後に続いた。
「これだけ招待状の返信に振り回されていれば、つい『昔の慣習のままだった方が良かったのに』って思っちゃう」
そんな呟きに、セシリアが一体何を言わんとしているのか分かったゼルゼンが、思わず苦笑を浮かべる。
この提案をしたのはクレアリンゼだ。
そのお陰で、手紙への返信効率は格段に上がった。
しかし彼女が伯爵家に嫁いでくる前までも手紙は多く来ていたのだ。
だからこのやり方が確立される前は『親交のある家への返信を優先的に行い、返信が間に合わない手紙は全てスルーする』というルールを作っていた。
セシリアは「そのルールに立ち返れたらどれだけ楽か」と言いたいのである。
因みにそんなルールが代々伯爵家にある事は、他貴族達も知っていた。
しかしそれでも「あわよくば」と、周りは招待状を送る事を辞めてはくれなかった。
だから当時、返信が無い事に対して「無礼だ」という者は限りなく少なかった。
そしてそう言ってきたごく少数の人間には「では2度と招待状の類を送らないでくれ」という言葉を逐一お見舞いしていた。
「でも、そんな昔には戻れないのよね」
至極残念そうな少女の声を聞きながら、ゼルゼンは手元の懐中時計の秒針を眺めていた。
そして待っていた時間のきっかり丁度になった所で、時計をパチンと閉じて懐にしまいティーポットを手に持つ。
慣れた手つきで紅茶をティーカップへと注ぎ込み、今度は横に置かれていた小瓶を手に取って蓋を開ける。
その中に入っている液体を一滴だけ紅茶に垂らせば、湯気に混じって花の香りがふわりと辺りに広がった。
主人の前にティーカップを置けば、彼女はすぐさまそれ手に取り、一口飲んだ。
そしてフゥと、安堵にも似た息を吐く。
それは、まるできつく縛られた結び目が自然と緩んだかのようだった。
顕著だった疲れの色が少し和らいだその様子に、ゼルゼンも少しホッとする。
そしてリラックスしたセシリアの口は、さらに軽くなった。
「私だって『招待状にはきちんと返信をすべきだ』とは思うし、『しんどいから嫌』だなんて駄々が通じる訳ないって分かってる」
彼女は何も、答えを求めてこんな事を言っているのではない。
言ったところで何も変わりはしない。
しかし、そうと分かっていても言わずにはいられない。
そんな愚痴も中にはあるのだ。
だから「これは私にとっての『しなければならない事』だし」と口を尖らせて言うセシリアの言葉を、ゼルゼンはただ静かに聞いている。
「でも招待が増えた理由が理由なんだから、こんな事言っちゃうのも仕方がないと思うの」
そう言ってティーカップへと視線を落とせば、小さく揺らめく水面の向こうに、心なしか疲れの取れた自分を見つける。
そんな自分の何の気無しに眺めていると、ゼルゼンがここでやっと口を開いた。
「なぁセシリア、やっぱり増えた手紙はモンテガーノ侯爵が関係してるのか?」
その声に視線を上げ、彼を見る。
「十中八九、そうでしょうね。だって増えた招待状はどれも見事に『革新派』、中でもモンテガーノ侯爵に近い人達からの物ばかりだもん」
セシリアがさらりとそう言えば、ゼルゼンは思わず顔を顰めた。
「それはまた……この状況じゃ疑わない方が難しいな」
あからさますぎると、ゼルゼンが苦笑いする。
「きっと、侯爵は私を社交の場に引っ張り出したいのよ」
私、あれがからずっと社交に出てないから。
そう言って、セシリアは微笑む。
「でも、すぐにソレと分かってしまう様な工作をして、一体どんな成果が出ると思っているのか」
その笑顔には、母譲りで姉似の『氷点下』が覗いていた。
それを見て「これはいかん」と、ゼルゼンはここで『奥の手』を召喚する。
「厨房で作ってもらったんだ」
それはセシリアが大好きなオレンジピール入りのカヌレだった。
それを見つけたセシリアの目が、キラリと喜色に煌めく。
もうどこにも『氷点下』は無い。
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