第12話 何事も、数があれば大変で



 うーんと唸りながら、セシリアは私室の机に突っ伏した。


 見るからに集中力が切れた様子の主人に、世話焼き執事が苦笑交じりの声をかける。


「ちょっと休憩するか?」


 特にここ1、2日くらいの間。

 彼はセシリアが大分お疲れモードになっている事を分かっていた。


 だからこそ、彼女の後頭部に向かってこんな風に遠回しの労いの声をかける。


「この間のグリムから貰った花のエキス、まだ残ってるから入れてやる」


 何に入れるのかは、2人の間では既に常識だ。

 勿論、紅茶にである。


「……ありがとう、お願い」


 ゼルゼンの提案に、セシリアは机の下で足をパタパタとさせながらそう答えた。


 そして。


「どちらにしても集中力が切れてしまったら効率的に物事を進める事は出来ないし、休憩が適当だよね」


 言い訳じみた言葉で、自分を正当化する。



 そんな彼女を横目に見ながら、ゼルゼンはまた苦笑した。


(別に少し休憩するくらい、誰も咎めたりしないのに)


 そう、心中で独り言ちる。

 


 彼女は少々『貴族の義務』を前に真面目になり過ぎるきらいがある。


 そもそも行う義務があるからといって、何も休みなく行う義務がある訳ではないのだ。


 しかしその辺に、この主人は中々融通が効かない。



 それを適度に休憩させるのもまた、専属執事としてのゼルゼンの仕事である。


(仕方がないヤツだよな、ほんと)


 手のかかる主人に休憩の紅茶淹れる為、ゼルゼンは机に手を付いて立ち上がる。



 つい今まで向かっていた、セシリアの隣に置かれたその机。


 その上には書きかけの手紙がある。



 手紙の代筆業務。

 それは主人の要望聞いた上で主人の代わりに手紙をしたためる仕事だ。


 そして主人から一定の信頼と、貴族への手紙を書くにふさわしい言葉遣いや字の美しさなどの、一定のスキルが必要とされる仕事でもある。


 その仕事を当事者であるセシリアと共に、彼は今行っている。




 社交界デビューから、最初の1週間強。

 それまでは、セシリアの周辺も実に平和だった。



 モンテガーノ侯爵家の第二子息、クラウン。


 彼との例の一件があった為、セシリアはデビュー以降から現在まで、まだ一度も対外的なお茶会や夜会に顔を出していない。


 その為、連日忙しそうに社交をこなす他の家族達をよそに一人、実に彼女好みの何にも急かされたりしないゆっくりとした時間を過ごしていたのだ。



 勿論、その間セシリアへの社交の招待状は一定数寄せられていた。


 伯爵家でも3本の指に入り、当主であるワルターは王城の『財務部』に対して顔が利く。


 そういう訳だから、普段交流があろうが無かろうが、オルトガン伯爵家宛の招待状は毎年それなりの数が届くのだ。




 そういう物が、大体1日に2、3通程送られてくる。


 セシリアはそれらを、ティータイムや邸内散策などの合間に、行っていた。

 時間的にも精神的にも余裕があった当時のセシリアにとって、それは全く苦になって居なかったのだが。



 数日前、その平穏は突如として崩れ去った。


 その予兆があったのは、モンテガーノ侯爵からセシリア宛にお茶会の誘いがあった日の事である。



 赤ペンを片手に父と楽しい時間を過ごしたセシリアは、その日の昼下がり、ゼルゼンにこんな事を言っていた。


「招待しても来てくれない、他の社交に出る予定も無い。そうなれば、きっと向こうは他貴族経由で社交への招待をしてくる」


 それは確信じみていた。

 予想というにはあまりに生ぬるい、そう思わせるに足る声色だった。


「で。そうなった場合、多分手紙を書く手が足りなくなる。だからその時は、ゼルゼンに手紙の代筆をお願いするからね」


 心の準備をしておいて。


 彼女はそう言って、ティーカップを片手に微笑んだ。



「本来なら、返信手紙は本人の直筆が望ましいけど、返信が遅くなる事もそれはそれで相手に対して失礼だから」


 だから、捌けない分の中からモンテガーノ侯爵経由だと思われるの招待状は全てゼルゼンに回す。

 ゼルゼンはそれへの、返信を書いて欲しい。


 そんな主人の言葉に、従者であるゼルゼンが断る理由もない。

 その時彼は「本当にそんな事になるのだろうか」と半信半疑のまま頷いた。



 そして、その数日後。


 その言葉の通り、セシリアの元には大量の招待状が押し寄せ始めたのだった。




 ティーポットにお湯を注ぎ、茶葉を蒸らしている合間に、ゼルゼンはこっそりと自身の肩を揉んだ。

 

 つい先ほどまで慣れない業務に従事していたのだ、肩が凝るのは当たり前である。



 そんな彼を、セシリアはボーッと眺めていた。

 そしてポツリとこんな言葉を零す。


「……幾ら断り文句の定型文があるって言っても、こんなに分量があれば時間も掛かるよね」


 その言葉を受けて、ゼルゼンは彼女の机上を無言で見遣る。

 そしてその上にある未返信の手紙を遠目に数えて、小さくため息をついた。



 返信が必要な手紙の残りは、少なくともあと10通。


 今日既に書き終わった手紙が10通ほどあるから、現在は総量の丁度半分を熟した事になる。


 つまり。


(今までやったのと同じくらいの時間と体力が、まだ必要だって事だ)


 そうしなければ、今日の作業は終わらない。

 彼女の呟きには十分に同情の余地がある。


「昨日も片付けたのに、全く減らない……」


 セシリアのそんな呟きに、ゼルゼンは「確かに」と思わず頷く。

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