第7話 グランの悪知恵



 グリムは、執務机の上へと視線を落とした。


 そしてそのまま、5分経ったか、10分経ったか。

 そうなってやっと、彼はゆるゆると視線を上げる。


「バエル、改めて確認がしたい。俺の質問に簡潔に答えろ」

「はい」

 

 グランの有無を言わさない命令口調に、バエルが短くそう応じた。



 するとグランは「まず、1つ目」と口を開く。


「『クラウンがセシリア嬢のドレスを汚した』という事実は、もう言い逃れ出来そうにないのだな?」


 グランがまず思ったのは、「起きた事実をただの言い合いや喧嘩へとすり換える事が出来ないか」という事だった。

 

 しかしそんな主人の願望を、バエルはすぐさま打ち砕く。


「両者のやりとりには目撃者が多くおります。『セシリア様のドレスが汚された』という事実は隠しようがありません」


 そもそもセシリアの黄色のドレスに付いたのは、紫色のシミだった。

 そのどうしようもなく目立つコントラストが、事実を無かった事にするのを許さない。


 そんなバエルの声に、グランは「そうだよな」と独り言ちる。



 今回の問題の根幹が、その事実だ。

 その事実が噂上で揺らげば、この噂の信憑性も下がるし、問題の『王族案件』にも成り得ない。


(だからこそ「これが成れば」と思ったのだが)


 その事実をぼかす事は、どうやら無理そうである。




 そう結論づけて「2つ目」と続ける。


「セシリア嬢のドレスに付けられた汚れは、現在『故意にクラウンが起こした結果だ』という噂なのだな?」


 次に考えたのは、「ならばせめてこれをクラウン過失にする事はできないか」いう事だった。



 欲しいものを手に入れる為に行った、故意。


 それだけでも自己中心的な印象なのに、よりにもよってその行動が『令嬢のドレスを汚す事』だ。


 淑女に対して、おおよそ紳士が取るべき行動ではない。

 そのため故意である以上、弁解の余地がない。



 しかしそれは、逆に言うと「『故意である』という前提が崩れれば、まだ弁解の余地は残されている」という事でもある。


 そして今大切なのは、実際に故意かどうかではない。

 「周りに故意だと思われているかどうか」である。



 が。


「はい、そのように噂がされております」


 そんな希望の目を、バエルは主人の目の前で容赦無く摘み取った。


「どうやらシミを作った時のやり取りが、周りに『アレはあからさまな故意だ』と思わせるには十分な物だった様です」


 当時、両者のやり取りの目撃者た数多く存在した。

 その時に各々が抱いた共通認識がソレらしい。


 しかも目撃者が多い理由が「クラウンの声が大きかったから注目された」のだという。

 それを聞いて、グランは頭を抱えずにはいられない。


「本当に、なんてバカな事をしてくれたのだ」


 思わず、そんな本音がポロリと溢れる。


 つまりクラウンは、公衆の面前で自ら自白をしたようなものだ。

 これでは言い逃れもできそうにない。




 グランは、深い深いため息をついた。

 そして「……3つ目」と言葉を続ける。


「ドレスが汚されるよりも前に、セシリア嬢がクラウンに無礼な事をした。そういう言い訳は周りに通用しそうか?」


 言い逃れができないのならば、責任を相手になすりつけるしかない。


 つまり「先に手を出したのは向こうだ」という事して、相手の自業自得感を演出する。

 そういう事だ。


 

 しかしそんなグランの一縷の望みを、やはりバエルは思い切り一刀両断する。


「少なくともドレスを汚すまでの間、お2人の間の会話と呼べるやりとりはありません。ですから強いインパクトを持つ元来の噂には、どうしても押し負けるでしょう」


 「実はそれ以前に2人に何らかの接点があった」という可能性は、すでにバエルの緻密な調査によって潰されている。

 

 この方法で対処するためには、少なくとも偽りの証人を立てる必要性があるが、そんな綱渡り、一体誰がするというのか。


 事は『王族案件』の可能性を秘めているのだ。

 そんなものに虚偽なんてもので関わりたい人間など、誰も居ないだろう。


 それに、下手にゴリ押しをして、もしも教唆を暴露されたりなんてしたら。

 モンテガーノ侯爵家の立場が一層悪くなるだろう事は間違いない。


 そのリスクを思えば、工作をしない方がいいのは明らかである。




 工作を諦め、グランは声を引きずるように「4つ目」と口にする。


「セシリア嬢が王族主催のパーティーで途中退出をした理由が例の『暗黙の了解』にある事は、社交界では既に通説なのか?」


 これは、クラウンの言葉を第三者が、そして当事者本人が、それぞれにどういう意味で受け取ったのかを確認するための物だった。


 もしもどちらかが「これを『暗黙の了解』と汲むには少し強引すぎる」と言いだせば、世論はグランが言い逃れできる方向に転がり始めるかもしれないそう思ったのだ。


(これは、ハマれば結構良い線をいくのではないか?)


 グランは自分の言葉にほくそ笑む。


 しかしそれも、所詮は空想。

 一瞬だけの白昼夢夢に終わる。


「現在において、他貴族達はその認識に違和感を抱いておりません。それにセシリア様サイドは、暗に『その認識である』という主旨の意思表示を当夜に既にされています」


 そう告げたバエルは、続けて当夜のセシリア達親子のやり取りについて、グランに話して聞かせた。



 その説明を全て聞き終わって、グランは悔しげに唸った。


 グランが聞いても、当夜の彼女達の言動は確かに『暗黙の了解』を示していると分かる。


 むしろ。


「彼女達の心象操作の結果なのか……?」


 そう思えてならない。


 まぁその予想が当たっていても、外れていても。

 残念ながら周りの意識は、グランにとって都合の悪い方向へと既に統一されてしまっている。


 そしてそれは、少なくとも現時点では容易く崩れそうにはない。


「……因みに、この件を子供同士の諍いとして納めることは出来ると思うか?」


 そうすれば、少なからず悪評は付くだろうが、家にまで影響がある事態にはならない。


 ……否、実際にはこの悪評が続く間は社交に多少の弊害が出るだろう。


 加えて、これは「全ての非を認める」という事が前提になる。

 そしてグランにとって、それは自身のプライドを犠牲にする行為に等しい。


 しかし。


(それなら早急に解決できる目処が立つ。王族の耳に入る前に処理できれば、『王族案件』という名の最悪には至らない)


 プライドよりも地位と命の方が大事である。

 そう思い至ったのだ。




 グランのそんな言葉に、バエルは少し考える様な表情になってから口を開いた。


「……秘密裏に和解をしただけでは、少なくとも噂の一人歩きは続くでしょう。噂を収束させる事を最終目標とするのなら、和解を広く知らしめる事が必須条件でしょう」


 バエルは、主人が「手っ取り早くこの件を片付けてしまいたい」と思っている事は十分に分かっていた。


 しかしその上で、バエルは「準備が必要だ」と進言する。


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