第6話 筆頭執事・バエルの調査結果
翌日の夕方。
グランは執務机の前に座っていた。
深酒をしたわけでもないのにガンガンと頭が痛むのは、きっと昨日一睡も出来なかったせいだ。
そのせいで椅子には座っていても、執務など全く手につかない。
気持ちも作業進度も、どう考えても最悪。
それがグランの今である。
そういう訳だから、彼の醸し出す空気はひどく悪かった。
そんな中、コンコンコンという音が室内に響き渡る。
執務室のドアの、ノック音。
それに、不機嫌さをまるで隠す気のない低い声が「誰だ」と応じる。
その声に、室内にただ1人待機させられていたメイドの肩が大きくビクリと飛び跳ねた。
彼女は、それが自分に向けられたものではないと分かっていた。
それでもこの公爵家当主の機嫌の悪さには、怯えずにいられない。
そんなメイドの様子にまるで気付かない彼が睨んだ、ノックされたその扉。
その向こうから「バエルです」という冷静な声が返ってきた。
それは、グランが昨夜から今か今かと待ち望み続けた人物の声である。
「入れ」
短く急かすその声に、扉が開く。
そして現れたのは、彼の筆頭執事。
昨日グランに追従して例の夜会に出席した執事の彼だ。
バエルは昨日、直々に『今社交界で流れているクラウンの噂について』の調査を命じら、すぐに動き始めた。
そんな彼が、今大きな茶封筒を小脇に抱えてやってくる。
即ちそれは主人への報告準備が整ったという事だろう。
入室すると、まずバエルは『人払い』という名目で室内に待機していた震えるメイドを部屋の外へと解放した。
そして。
「ご指示いただいた件について、調べてまいりました」
ホッとした様子のメイドの背中が扉の向こうに消えたところで、そう言いながら彼は封筒の中身を取り出す。
そしてそれを彼に手渡してから、その概要を誦じた。
まずは、事の次第について。
基本的には昨日クラウンが話した内容と、ほぼ変わらない。
つまりそれは、事実に非常に近い噂が周りに拡散されてしまっているという事実を確定づける物である。
残念な事だが、それが現状だ。
グランは苦い顔で深く頷く。
次に、噂について。
これについては、どうやら方向性の違う物が幾つかか存在しているようだ。
一番多いのは、昨夜グランが聞いた「モンテガーノ侯爵の第二子息が、オルトガン伯爵の第二令嬢を王族主催のパーティーから追い出した」という主旨の物。
つまり、クラウンが悪者になっている噂である。
因みに、ここでの『追い出した』というのは、やはりアレを「『暗黙の了解』に触れる」と解釈した結果の様だ。
次に多いのは「モンテガーノ侯爵の第二子息がオルトガン伯爵の第二令嬢に誘いを掛けたが、こっぴどく振られていた」という物。
つまり、クラウンが笑い物になっている噂である。
これは一種の真実だ。
何故なら事実を客観的に見れば、おそらくそういう一面を秘めている事象なのだろうから。
これは『王族案件』に触れる最初の噂よりは、幾分かマシだ。
しかし笑い物になっている以上、決して良い噂とは言えない。
そして次に多かったのは「モンテガーノ侯爵の第二子息を、オルトガン伯爵の第二令嬢が誘惑した」という噂である。
しかしこれはごく少数の人間の間で流れている物だ。
しかもそのメンバーの名を聞く限り、オルトガン伯爵家への私怨が内包された結果だろうという事は容易に想像がつく。
そしてその事は、おそらくそれを聞いた人間の大半も十分に理解しているだろう。
その為なのか、周りもあまりその噂を真に受けた様子は無い。
そのため、噂の主流は先の2つという事になる。
その他にも、変わり種として「モンテガーノ侯爵の第二子息が、オルトガン伯爵夫人の逆鱗に触れた」というのがあったらしい。
何故ここで夫人の名が出てくるのかといえば、思い当たるのは『ドレスを汚されたセシリアの向かった先が母親だった』という件だ。
おそらくそこで何らかのやりとりがあり、それを見た者がそんな噂をしているのだろう。
しかし、だとしたら。
(伯爵夫人の逆鱗に触れた、か。これは少々マズイな)
グランはそう、独り言ちる。
オルトガン伯爵夫人といえば、社交会では有名な人物である。
主に、社交の熟練度において。
まるで最初から「相手がどうしてほしいのか」「どうしてもらったら嬉しいのか」が分かっているかの様に立ち回る。
結果としてそれは、相手を不快にさせることなく必要な情報を取る事に繋がり、時にはその先に両者にとっての『有益』を生む。
そんな彼女だから貴族達に好印象を与え、そのお陰で顔も広い。
そして顔が広いという事は、社交界における影響力の大きさにも直結する。
もしも本当に、そんな彼女の逆鱗に触れたのならば。
(噂の広がりは、今頃大変な事になっているだろう)
それは容易に予想できた事だった。
だから次の言葉を聞いた時、グランは驚きはしたものの、一方で納得もした。
「『クラウン様の不利になるような噂話』の及んだ範囲は、貴族達の約80%に上ります」
「80%……そんなにか」
その圧倒的な数値に、グランは思わずため息を禁じ得ない。
確かに「他人の失敗や不幸話」は、貴族達の大好物だ。
だからそういう話は大抵、通常よりも噂の広まりが早いのだ。
しかしそれにしたって、この期間で全体の約8割というのは高すぎる。
(これは、明らかに伯爵夫人が絡んでいるな)
しかも、そこには相手の本気度合いが窺える。
そしてそれについてはバエルも同意見だった。
「念のため複数の情報網を使って確認しましたので、この数値にはほぼ間違いありません」
告げられたその声は、苦々しさを隠せていない。
でも、すこし苦味の取れた声で「しかし」と言葉が続けられる。
「幸いにも、この件はまだ王族の方々の耳には入っていない様です」
「……それは今日聞いた報告の中で、唯一の僥倖だな」
そう応じたグランは、しかしその言葉とは裏腹にため息をつかずにいられない。
それは、バエルの言葉の中に「まだ」という言葉が付いてしまっているからだろう。
そしてグラン自身、その「まだ」に同意せざるを得ない。
早急にどうにかしなければ、その「まだ」という名の猶予期間が終わり『裁判』の場に引き摺り出されてしまうかもしれない。
これでは安堵など、出来るはずがない。
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