第5話 忍び寄る『王族案件』の恐怖


 心配顔で彼女を覗き込むと、その視線がゆるりとグランへ向けられた。

 そして青い顔のまま、問われる。


「グラン、以前公爵子息が子爵令嬢と婚約した事があったのを覚えていますか……?」


 その問いに、グランは「何故今その話を?」と訝し気な表情になった。


 しかし彼女の問いには「Yes」だ。


「確か、今から16、7年前だったか」


 頷きながら、そう零す。


 

 公爵家と子爵家の婚約、それは爵位的には極めて珍しい。

 当時もその件で話題となり、様々な噂が社交界を賑わせた。


 結局その婚約は結婚まで行きつかずに終わった。


 公爵家の子息は別の家の令嬢と結婚し、子爵家の令嬢はそれを機に自領へと引き篭もった。

 確か、未だに結婚はしていない筈である。



 そんな風に記憶を芋づる式に引っ張り出し、しかしやはり何故今その様な話を持ち出したのかが分からない。


 そんな彼に、エリザベラが言葉を続ける。


「その時の言葉や状況と、今回の2人のやり取りには類似点が多いのです」


 その声にグランは首を捻る。


(類似点などと、一体何を言って……)


 そこまで考えて、次の瞬間、グランは思わずハッとした。



 例の2人には、婚約解消となったきっかけがあった。


 そのきっかけが当時の社交界で広く噂され、次第にその時の出来事から『暗黙の了解』が一つ出来上がったのだ。


 それが。 


「令嬢のドレスを汚して『着替えてこい』と言う事は、『お前にこの場は相応しくないからとっとと此処から立ち去れ』という暗喩……」


 思考の一部が、思わず口から零れ落ちた。



 すると、エリザベラは青い顔で彼に向かって頷いてみせる。


「その暗喩に従えば、噂の『追い出した』という部分もあながち間違いでは無くなります。そうなれば――」


 エリザベラの声は、最後まで言葉を言い終える前に掻き消えた。

 しかし、その先は聞かずとも分かる。



 もしも言葉を受け取った相手が、一連のクラウンの言動をその暗喩だと思ってパーティーを中座したのだとしたら。


 否、当時はそうでなくとも今そう主張されたなら。


(あの噂は、全てがほぼ真実だという事になってしまう)


 それは、こちらの言い逃れが難しくなる事を意味している。



 現実を少しひね曲げて口にするくらいならば簡単だが、その根本から否定するような事を口にするのは何かとボロが出やすい。


 それだけ言葉に注意しなければならないし、曲げられない事実との矛盾が発覚した時点で全てを信じてもらえなくなる。


 その難易度は桁違いだ。

 舗装された道路を歩く事と、たった一本のロープの上を歩く事。

 心情的にはそのくらいの差さが存在する。


 しかも。


(やはりネックは王族主催のパーティーであるという事だ。これでは『王族案件』になりかねない)


 そう思えば、グランだって青ざめない筈がない。



 『王族案件』。


 それは「王族に対して不忠があった」または「王族の権限に抵触する何かがあった」可能性がある場合に、当該案件を王族預かりとする事である。



 その成否は全て王族に委ねられており、該当貴族は召喚されて王族の前で聞かれた事に全て答えねばならない。


 そして、その裁決によっては爵位のはく奪や家の取りつぶし、更には不敬罪の適用まであり得る。


 それほどまでに、『王族案件』というのは重いのだ。


「そ、そんな昔の話、クラウンが知るわけないだろうっ!そんなの意図でした訳ではないことくらい、周りも少し考えればすぐに分かるだろうにっ!!」


 グランは叫ぶように声を荒げた。

 すると、その声に息子がビクリと肩を振るわせる。


 その顔は困惑に満ちていた。

 彼は大人達の話について行けていないのだ。

 だから1人、場違いにもそんな顔をする。


 

 しかしそんな子供に構うことができる大人は、今この場には居ない。

 両親共が、今は自分の思考で手一杯なのだ。



 背中にじっとりとした嫌な汗をかきながら、グランは言い訳を口にした。


 こんなところで叫んだところで何も変わりはしない事は分かっている。

 しかしそれでも言わずにはいられない。


「そ、それに、所詮は子供同士の諍いだ! ……そうだ、十分当人同士の問題で収まる話じゃないか」


 言い訳を並べたて自分を正当化させる事は、今のグランにとっては心のバランスを保つ為の処世術だった。


 そして同時に、心の底からの願望でもあった。

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