第4話 冷えた温もり

 


 父親の気配が変わった事に、クラウンは気がついた。

 しかしどうやらその理由までは分からなかったようだ。


「お父様……?」


 不思議そうに首を傾げる息子を前にして、グランは一度腹から深い息を吐く。


(大丈夫、何という事もない行動が過大解釈されただけという可能性が残っている)


 今のクラウンの話なら、噂が事実かどうかはあくまでもグレーゾーンだ。

 それならば幾らでも手の打ちようはある。


 そう気を取り直して、もう一度口を開く。


「……その令嬢との間にあった事を、最初から順番に話しなさい」


 絞り出す様なその声に、クラウンは嬉々とした表情を浮かべた。



 グランの気持ちとは裏腹なその表情は、どうやら「自身の怒りに共感してもらえた」と勘違いしたが故の物のようだった。


 だからこそ、彼は何の悪気もなく、何ら隠し立てをする事もなく、ただ正直にあの日にあった出来事を一部始終報告する。



 ヴォルド公爵家のエドガーが、結婚相手を自分で選んだのだという話を聞いた事。


 そういう結婚相手を探すにはコツがある、と教えてもらった事。


 そして、その方法について教えてもらった事。



 此処まで話すと、クラウンはいじける様な表情を作ってこう言った。


「お父様はいつも『お前には既に婚約者が居る』って言うけど、俺は自分で選びたい」


 きちんと想う相手と連れ添いたい。

 それは、侯爵家の息子としては些か我儘な気持ちではあるが、感情的には理解できなくもない。

 

 しかし。


「エドガー兄様みたいに『淑女教育が行き届いてて器量の良い、従順な女』と結婚するんだっ!!」


 クラウンは目を輝かせてそう言葉を続けた。



 

 それは正に「夢見る少年」の姿だった。

 


 確かにそういう人間は、侯爵家に嫁ぐ人間としては良い人選だとグランも思う。


 特に最後の『従順な女』というのは大切な要素である。

 主に、自らの自己顕示欲を満たすという意味で。

 

 しかし。


(些か欲望に忠実過ぎる)


 そんな本心は、普通他人の前では隠しておくものだ。

 少なくともこの様に純粋な目をして語る物では無い。



 もしもここにエリザベラが居なかったなら、グランはクラウンにそんな風に指摘していたかもしれなかった。


 しかし現実として、その条件を満たすからこそ結婚した相手は、今この場に居合わせている。言えるはずがない。


(……機会があれば後で指摘してやるか)


 結局はその様に思うのみでこの思考を終了させる。



 そして。


「それで……?」


 と話の先を促した。

 すると彼はまた続きを話し続ける。



 エドガーの助言を得たクラウンは、その後以前から交友のあった同派閥の子息達を引き連れて会場を回り、目ぼしい相手を探した。


 そして、見つけた。


「山吹色のドレスを着た、花の妖精みたいにフワッとした感じの女だった。見目が良いし、俺と同い年くらいだったし、大人しくて従順そうだし。だからピッタリだと思ったんだ、俺の結婚相手に」


 だからクラウンは、エドガーの教え通りの行動を起こした。


 通りかかりに彼女のドレスをそれで汚し、そして。


「俺、謝ってから『そのドレスじゃこの場にそぐわないから、俺が新しい服を用意してやる。別室で着替えると良い』って言ってやったんだ」


 ここまで言うと、その時のことを思い出したのか。

 苛立ちが混ざった声でこう続けた。


「そしたらアイツ、俺を無視したまま母親の所まで行って『ドレスを汚したのは俺で、俺が“ああ”言ったから今日は帰る』って」


 それでそのまま母親と一緒に帰っていったんだ。

 そう説明し終わると「ね? ひどいでしょ?」とグランに同意を求めてきた。

 



 どうやら話はここで終わりのようだ。

 そう感じ取ってグランは考え、そしてすぐにほくそ笑んだ。


(それにしてもオルトガン、その程度の事で王城パーティーを途中退室するなど……下手を打ったな)


 そもそもパーティーを途中退席するのはマナーとしてよろしくない。

 地位が上の者が主催するパーティーでなら尚更だ。



 汚れたドレスのままパーティーに参加する事は、確かに主催者に対して心象が良くない。


 しかしそれを気にしたのならば「新しいドレスを用意する」と言ったこちらの好意に大人しく甘えれば良かったのだ。

 そうすれば途中退室する必要もない。


 それに。


(クラウンと密室に籠る事は、婚約の予定がある2人にとってはリスクになり得ない。加えて我が家の助力を得たとなれば彼女の待遇も良くなる)


 なんと言っても侯爵家からの助力である。

 周りが彼女に一定の配慮、基便宜を図る事もあるだろう。


 そうなれば、社交界での武器になる。


 

 彼女達が何故そんな下手を打ったのかは分からない。

 しかし相手の失態は、こちらにとっては大歓迎だ。

 失態を挙げた上でこちらの正当性を主張すれば、それだけ周りは聞く耳を持ってくれる可能性が高くなる。


(……まぁ、ドレスを故意に汚すというのは間違いなくやり過ぎだが)


 爵位に関係のない失礼な行為の露見は、爵位でどうこうする事はできない。

 しかしそれは『故意ではなかった』と全面にアピールし、こちらに落ち度はないと周りに思わせる事で十分どうにかなるだろう。



 この件に、事前の工作はない。

 それが故に、明確な証拠も出てくる筈はない。


 そうである以上、全ては心象の問題だ。

 だからこそ難しい操作ではある物の、同時に実現不可能という事もあり得ない。


(まずは権力で、周りに無理矢理にでも『故意ではなかった』と言わせよう) 


 人は思い込む生き物だ。

 そして何度も言った、または聞いた言葉は、人間の意識に深い刷り込み効果をもたらす。


 幸い、相手方よりもこちらが爵位は上だ。

 権力でゴリ押しすれば、言わせる事はできるだろう。


 そして。


(それらは、最初は無理矢理に言わされた言葉でしかない。しかし、次第に人は、それが自分の本心であるような錯覚を覚えはじめる)


 そんな風に独り言ちて、隣の妻へと視線を向けた。


 それは、同意を求めての事だった。

 しかしそこで予想外の彼女に遭遇する。


「……どうしたのだ?エリザベラ」


 顔を真っ青にして、彼女が震えていた。

 気づけば、先ほどグランの不安を払ってくれたあの温かな手がすっかり冷えてしまっている。


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