第3話 上げて、落とす。クリティカルヒット


 家に着くと、グランはまずメイドに指示を出した。


 指示の内容は、『妻とクラウンをリビングへと呼び出す事』。


 そう言うと、メイドの顔が困ったように少し曇る。


「クラウン坊っちゃまは既にお休みです」


 そう告げられて、近くにあった時計を確認した。

 

 時刻は午後10時を回ったところ。

 確かに10歳の子供にとっては寝る時間なのだろうが、事が事だし夜中ではないのだ。

 高が知れている。


「叩き起こして連れてこい」


 再度そう指示を出すと、メイドはほんの一瞬不服そうな顔をした。

 しかしすぐに「かしこまりました」と一言置いて、彼女はその場を後にした。




 グランがリビングで待っていると、先にやって来たのは妻・エリザベラの方だった。


「どうしたのです? 夜会帰りにこんな所に呼び出すなんて珍しい」


 そんな風に言いながら部屋へと入ってきた彼女だったが、すぐに真面目な顔になった。


 どうやら雰囲気から「只事ではない」と察した様だ。

 グランの右隣へと座ると、彼女は彼の右手を両手で包むようにして握り、それから尋ねる。


「どうしたのですか?グラン」


 いたわる様な、優しい声。

 そして、右手に宿った暖かな温もり。


 その二つが、波立っていたグランの心をほんの少しだけ落ち着かせた。

 そしてすっかり疲れて重くなってしまった口を、引きずる様にして開く。


「夜会で面倒な噂話を聞いてな」

「……もしかして、クラウンに関わる事ですしょうか?」


 まるで最初から答えを知っていたかのような的確さで、彼女が正解を射抜いた。

 そんな彼女に、グランは思わず驚いた表情を浮かべる。


「エリザベラ、何故それを……?」


 彼女は今日、別の夜会へと出席していた。

 もしかしてソレを彷彿とさせる何かがそこであったのか。


 そんな風に不安になれば「どうという事はありません」という言葉と共に苦笑が返ってくる。


「『寝ているクラウンをわざわざ起こすように貴方が指示を出していた』と、メイドが言っていたから」


 その声に、グランは「なるほど」と独り言ちた。

 そんな彼に「それよりも」と先を急かす。 


「それで、どんな内容だったんですか? その噂は」


 エリザベラがそう尋ねた、その時だった。



 扉が外からノックされ、すぐにメイドの声が後に続く。


「旦那様、クラウン坊ちゃまをお連れしました」

「入れ」


 その声を合図に、扉が開いた。


 その向こうに居たのは、つい今まで寝ていたと分かるような息子の顔。

 そんな彼を目の前にして、彼に対する憤りが思い出したかのように心の奥から噴出し始める。


 しかし手に与えられた温もりがギュッとグランを握った事で、ハッと我に返る。


  

 グランは一度、深く深呼吸をした。


 そうやってついカッとなって開口一番怒りを口にしそうになっていた自分をグッと抑え、「此処に座れ」と指示する。


 するとクラウンが入室しながら、少し不服そうに口を開いた。


「どうしたの? お父様」


 「寝てたのに」と愚痴を溢しながら、息子が目を擦りつつ自分の向かいに座った。

 それを目視してから、グランはゆっくりと口を開く。


「今、社交界では『お前が王城パーティーからオルトガン伯爵家の第二令嬢を追い出した』という噂が流れている」


 グランのそんな説明に、クラウンはキョトンとした表情になった。


「え? 何で俺がそんな事するの?」


 何それ?

 そう言葉を続けた彼からは、全く嘘を付いている気配は感じられない。


 そんな彼を前にして、グランは心底安心した。


(何だ、やはりただの噂だったか)


 そんな風に思い、ホッと胸を撫で下ろす。


 噂が存在する以上、何かしらの対処をせねばならない。

 しかし同じ噂への対処でも、事実に沿った噂への対処と事実無根の噂への対処とでは難易度が全く違う。


 言うまでも無く、後者の方が難易度は数段低い。



 当事者であるクラウンが噂を否定した事で、グランは少しばかり心の余裕を手に入れた。


 そして「そもそも2人はまだ挨拶もしていない。接点が無いのにトラブルなど起きる筈もない」と、今更ながらに思い至る。




 セシリア・オルトガン。

 あの日見た山吹色を、グランは不意に思い出す。



 遠目から見てもすぐに分かった、周りと隔絶したその容姿。


 それは6年前に偶々顔を合わせた時に抱いた「良い女に成長するだろう」という予想の正しさを物語る姿だった。


(やはりあの時、唾をつけておいて正解だったな)


 思わずそう独り言ちる。



 当時まだ4歳だった彼女に将来の可能性を見て、グランはその場で当家への嫁入りの打診をしておいた。


 結局その話は今まであまり進展していない。

 しかしその理由は、「社交界デビュー前だから」という伯爵家内の独自ルールに基づいたものだった。



 結局色々あってなし崩し的にその理由を渋々受け入れる結果になっていたのだが、その効力もデビューを機に失せた。


(これからアタックできる機会は幾らだってある。今日はその第一歩だ)


 そう思い、王城パーティーのあの日、グランは未来の娘へと挨拶をする為に、結婚相手のクラウンを連れて彼女の後を追いかけた。



 しかし残念な事に、挨拶の時は訪れなかった。

 どうにも間が悪いらしく、追いかけても彼女に近寄れなかったのだ。


 結局、今だに彼女と言葉を交わす機会は訪れていない。



 そんな訳だから、2人の間に接点は無い。

 接点が無いのだからトラブルになる筈もない。

 トラブルにならないなら、パーティーから追い出すなんていうことにもならない。


 そう思ってうんうんと頷いた時だった。


「……あぁそういえば」


 クラウンは、思い出したかのように口を開く。


「パーティーの途中で勝手に帰っていった無礼な奴なら居たな」


 その言葉に、グランはひどく嫌な予感がした。


 何故かは分からない。

 しかし聞かなければならないような気がして、グランは恐る恐る口を開く。


「……何がどう、無礼だったのだ?」


 そんな問い掛けに、クラウンが「聞いてよ」と口を尖らせた。

 それは、珍しく自分の話を聞いてくれそうな父親に甘える子供の姿である。


 

 普通ならただの可愛い子供の姿に見えただろう。

 しかし彼の中の予感が、そう思わせてくれない。


 そんな彼が、こう言った。


「だって俺が折角『汚れたドレスを着替えさせてやるから来い』って言ってやったのに、俺を無視して帰ってったんだよアイツ」


 その言葉に、グランはソファーに座っているにも関わらず、思わず膝から床へと崩れ落ちそうになった。


 

 グランは一度、安堵した。

 だから油断していた。



 息子の無邪気な告げ口は、そんな彼のノーガードな心を容赦無く抉り取った。


 それは間違いなく、今日一番のクリティカルヒットだった。

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