奔走する者と、機を待つ者。
第1話 寝耳に水
グランは最初、特に何の違和感も感じずに会場へと入場した。
公式の場で爵位が下の者が上の者対して話しかける事は、基本的にマナー違反とされている。
そして大々的に開催している社交場は全て『公の場』と認識される為、今日は紛れもないマナー適用範囲内である。
そしてこういう場では、上位貴族から話しかけてもらう為にと、爵位が下の者は色々な努力をする。
彼の目に留まり易い位置取りをしたり。
一押しの話題を少し大きな声では話したり。
そうやって、自身の存在をアピールするのだ。
しかしこの日、グランの目にはその動きがいつもよりも緩慢に見えた。
だから勿論、最初はグランも違和感を抱いたのだ。
しかし。
(……否、気のせいか。不特定多数の周りから避けられるような心当たりは無いしな)
そう思えば、その違和感はすぐさま思考から切り離される。
そうしてグランは気を取り直し、目ぼしい貴族達に声をかけて社交を行い、主催者に挨拶をされたので世間話をし。
そうやって夜会の約3分の1の時間を過ごした頃。
(……何だか落ち着かない)
グランは2度目の違和感を感じていた。
何故だろう。
そう思って、話しながらこっそり周りの様子を盗み見ると、すぐに異変に気がついた。
(何故、周りが皆こちらを見ている……?)
『侯爵』という地位と『派閥の重鎮』という立ち位置のお陰で、グランは比較的他貴族達から注目されやすい。
しかしそれにしても今日は少々度が過ぎる。
しかも。
話の切れ目に、今度は盗み見るのではなく、普通に視線を周りへと振った。
するとまるで蜘蛛の子でも散らしたかの様に、彼らの視線がサァーッと離れる。
しかし視線を話し相手に戻してから再び周りを盗み見ると、やはり視線はこちらに集中していた。
尚且つ、今度は所々で何やらコソコソとした様子で会話をしている様に見える。
その会話の内容は生憎と聞き取れないが。
(これではまるで、腫れ物に触るかの様ではないか)
そんな感想を抱かずにはいられない。
そしてここで少しだけ、周りからその様な扱いを受ける理由をについて考えてみた。
彼が最初に思い付いたのは、見た目的な理由だった。
例えば、服や髪型がおかしい。
または、何かが付いている。
そういう事ならば視線が集まる事もあるかもしれない。
(しかし、おそらくそれは無いだろう)
後ろに控える筆頭執事を横目に確認しながら、グランはそう独り言ちる。
というのも、社交にとって外見の大切さは計り知れない。
そして外見というのは、相手と会話をせずに相手を測るための重要なファクターである。
そして話す前から相手に倦厭されてしまっては、正直言って仕事にならない。
そしてその事は、侯爵家の筆頭執事である彼ならば知っていて当然だ。
だからこそ彼が動かない今、外見的要因が原因だという事はあり得ない。
(しかし、ならば一体何が原因なのだろうか)
そんな風に考えるが、他には何も思い付かない。
その現状は、グランを酷く不安にさせた。
しかしだからといって現在進行形の社交を疎かにするのも得策ではない。
だから、世間話を続ける。
「うちの二番目の息子も今年社交界デビューをして――」
その瞬間。
雑談相手の5人の顔色が僅かに、しかし確実に変わった。
1人2人なら未だしも、5人全員である。
(この話題の中に、周りの視線の理由があるのか……?)
直感的にそう判断し、グランが彼らに対して訝しげに問う。
「今日は何やら周りの様子がおかしい。その理由は何なのだ?」
グランがそう尋ねると、彼らの社交の顔が完全に凍った。
5秒ほどの沈黙。
それだけ待っても一向にとけない強張った笑顔に、グランは痺れを切らして再度問う。
「理由は何だ?」
しかしそれでも問いに答える物は居ない。
それどころか、先ほどまで合っていた目さえ合わなくなってしまった。
皆どこか気まずそうにして、目を逸らしたりしている。
もしかしたら、ほんの少し語気が荒くなってしまったのが良くなかったのかもしれない。
しかしこの間にも、周りからの視線はグランへと注がれ続けている。
それが彼を、酷く居心地悪くさせる。
だから少し対策を取った。
5人の中の1人を、名指しにする事で。
「グレーズ子爵、答えろ」
有無を言わせないグランの物言いに、指名されたグレーズ子爵はビクリと肩を震わせた。
その声は、完全な命令だった。
そうなってしまうくらいには、彼の我慢は既に限界だったのだ。
グレーズ子爵というのは、このグループの中では一番気が弱く、グランに対しては特にYesマンな人物だ。
(こういう言い方をすれば、コイツはきっと答えてくれるに違いない)
そう思ったのだ。
そしてその予想は見事に的中した。
「……その、少し噂になっていまして」
グレーズ子爵は、おずおずと口を開いた。
そんな彼に「噂?」とオウム返しすれば、ピヤッと肩を震わせながら彼が続きを口にする。
「その……『モンテガーノ侯爵の第二子息が、オルトガン伯爵の第二令嬢を王族主催のパーティーから追い出した』という噂が……」
告げられたその言葉を理解するのに、グランは少しばかり時間を要した。
そしてやっとその言葉の意味を理解した後で、やはり思う。
「何だ、それは」
静かな驚きが、そのまま口をついて出た。
全くの『寝耳に水』だ。
心当たりが全く無い。
しかし、それが本当だったなら。
(それは、非常にまずい)
そう思い至り、慌てて思考を稼働させる。
何がまずいかといえば、それが『王族主催のパーティー』での出来事だという噂な所だろう。
主催者である王族に何の断りも無く、他貴族をパーティーから追い出す。
もしもそんな事があったのなら。
(否、実際にあったのかどうかが問題なのではない。そういう噂が立っている事自体がまずは問題だ)
そんな風に思いながら、グランは思わず心中で青ざめる。
真実がどうであれ、噂を聞いた他貴族達には「爵位を笠に着た行い」に見える事は必至だ。
しかも、一度パーティー会場に入った王族の招待客を、彼らの断りも無く追い出す行為は、「王族の意志をないがしろにした」と取られてしまっても文句は言えない。
もしもこの噂が、王族の耳に入ったら。
そして、もしもその事で王族に咎められる様な事になれば。
グランの防波堤になってれる者は誰も居ない。
何故ならここは王国であり、王政を布いているこの国の最高権力者は王なのだから。
ドクリ。
心臓が嫌な音を立てた。
思わず唾を無意識に嚥下しながら、グランは混乱した頭で考える。
(その噂は本当なのか。……否、そんな事はどうでも良い。この噂を消さなければ)
噂が流れる事自体が問題なのだ。
そしてその噂は、この会場内の空気を見るに相当な範囲に広がってしまっている。
しかし。
(噂の存在自体、初めて知ったのだ。情報が足りない。収束を焦るばかりに此処で下手な事を言ってしまえば、却って状況が悪くなる可能性だってある)
グランも、かれこれ社交歴25年になる。
余計な口が新たな火種になるという事は、既に経験則として知っているのだ。
だから、今出来る最大限の応急処置に出る。
「それはまた、事実が随分と歪曲されているな。まぁ社交界の噂など大抵はそんなものばかりだが」
焦る心をひた隠しにて、グランは笑顔で笑い飛ばした。
するとそんな彼に呼応して、周りの空気が安堵に緩む。
「あぁ、そうですよね。噂に一々踊らされるなどと、私達もまだまだですな」
「本当に。もし噂が本当なのだとしたら『王族案件』になるかもと、柄にもなく少し焦ってしまいました」
「はははっ、お互いに噂話の道化にはならん様にせんとなぁ」
周りが口々にそんな事を口にする。
それらを聞きながら、グランは無理やりに笑顔を作り続けたのだった。
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