第19話 条件が満たされて
「わざとじゃない」という言葉と、相反した表情。
それら両方を掲げてみせたその子息からは、悪意が如実に感じられた。
彼の声は、存外大きなものだった。
そのせいで、近くの貴族たちは皆「何事か」こちらに視線を向けている。
そんな中、セシリアはというと。
(……これは、また面倒な)
心中で思わず顔をしかめる。
先ほど見た時から、彼が『何者か』は分かっていた。
同時に、彼らの悪巧みにも気付いていた。
そしてキリルとマリーシアの『やらかし』から、「こちらに心当たりがなくてもあちらが仕掛けてくる事は往々にしてある」という教訓を既に得ていた。
それなのに。
(こんな物理的な攻撃の可能性もあると、なぜ思い至れなかったのか)
例え心当たりのない何かで誰かが絡んできたところで、事後対処でどうとでもなると、心の奥底で鷹を括ってはいなかったか。
そう自問すれば、すかさず自分の怠慢の証拠が返ってくる。
それに。
(何も「『面倒』事は1日に一度だけ」なんて決まり、どこにもない)
そう、つい先程謁見の場で『面倒』事に巻き込まれたから「これ以上はない」と心のどこかで思っていた。
これも、セシリアの完全な落ち度である。
それらは全て、セシリアの反省すべき点である。
しかし現状は進行中である。
いつまでもここで後悔ばかりをしているわけにはいかない。
(目下の問題は、このドレスをどうするか)
そんな風に、心中で独り言ちる。
ドレスが汚れているという事実は、実に問題である。
というのも、汚れたドレスでパーティーに参加し続ける事は、主催者への不敬にあたるのだ。
それは「ここではその装いが許される」と言っているも同然。
つまり格式の低さを指摘する振る舞いに他ならない。
しかも悪い事に、今回の主催者は何を隠そう王族だ。
このままではセシリアに不敬罪が適用される可能性だってある。
例えセシリア自身は被害者であっても、だ。
もしその様な事態になりセシリアが「自分は被害者だ」と主張し「彼には悪気があった」と証言したところで、残念ながら一蹴されて終わりの可能性が高い。
それは一重に、彼の身分がセシリアよりも上だからである。
貴族社会は縦社会。
決定的な証拠がない限り、目下の者の証言は目上の者のソレに勝つことはできない。
そういう世界に、今日セシリアは足を踏み入れたのだ。
そんな自覚を改めてして、セシリアはグッと拳を握りしめる。
すると、そんなセシリアにこんな声が向けられた。
「あぁ、そんなにドレスを汚してしまって」
誰が、どの口で。
わざとらしい嘆き口調の彼に、セシリアは思わずそう吐き捨てたくなる。
しかしそんな気持ちは理性で押し込めて、代わりに大きく息を吐く。
もちろん周りにそうと分からない様に、ゆっくりと静かに。
そうして一度溜め込んだ感情をリセットしてから、自分の気持ちに向き合った。
これが例えばわざとでなかったなら、セシリアだってこんな気持ちにはならなかっただろう。
誰にでも失敗はあるし、そうでなくともここは今日デビューを飾った私たちにはまだ慣れない場所である。
緊張したり、いつも以上にはしゃいでしまったりする事もあるだろう。
その結果の失敗ならば、まぁしょうがないと思うことも出来たと思う。
しかし、彼は違う。
彼の思考や表情を読もうとするまでも無い。
彼は自身が抱く悪意を全く隠そうとしてはいないのだから。
悪意をもってソレを行い、「この俺が声を掛けてやっているのだからありがたく思え」と上から目線な感情を抱き、そのくせ空々しい言葉を並べ立てる。
まずはそれが、腹立たしい。
しかし、何よりも。
(このドレスは、使用人たちが選りすぐってくれて着飾ってくれたものだ)
それだけじゃない。
そもそもこのドレスは今日のための特注だ。
作ってくれた職人たちの労力が割かれている。
そして。
(作るための代金は、領の税収の一部だ)
セシリアにとってその全ては、間違っても蔑ろにしていいものではない。
それを踏みにじる様な行為をした彼が、実に腹立たしい。
そんな思考を巡らせながら、セシリアは――ふわり微笑を浮かべた。
それは気持ちと反比例する表情だった。
しかし、だからこそ罠として正常に機能する。
その罠に、彼は全く気付かない。
だから笑顔の彼女に「好感触だ」と勘違いした少年が、意気揚々と引っかかりにやってくる。
「その格好ではこの場にそぐわない。よし、仕方が無いから俺が新しい服を用意してやる。別室で着替えると良い」
さぁこちらだ。
そんな風に続いた彼の言葉を聞きながら、セシリアは思い出す。
朝の、父とのあの会話を。
やり返して、良いんですか?
そう尋ねたセシリアへと返された答えは、「構わない。しかし『正当な理由』と『度の過ぎない行動』を用意する事」というものだった。
そして。
(私の脳内では、既に条件が満たされてる)
ならば躊躇は必要ないだろう。
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