第16話 呼び止められて

 


「なるほど、そんな事に……」


 ゼルゼンが話に区切りを付けたところで、マリーシアが「ふむ」と考える様子を見せた。


 そしてその斜め向かいでは、キリルがゼルゼンの方にからかい混じりの視線を向ける。


「ゼルゼン、君『セシリアの付き人が自分で良いのか』なんて、そんな事思っていたの?」


 ニッと笑ってそう言った彼は、間違いなくゼルゼンで遊ぼうとしている。


 パーティーで感じたあの貴公子の姿は、残念ながらここには無い。


「……王城に出発する前、セシリア様から『貴方にとってもこのパーティーは執事デビューだ』と言われ、ちょっとそれを意識し過ぎただけですよ」


 そう言って彼のからかいを、ゼルゼンはサラッと流す。


 しかしそれはあくまでも、外面だけの事だ。

 ゼルゼンの心中は「揶揄われてたまるか!」だった。



 たとえ心中でとはいえゼルゼンがここまで彼に反抗心を持った理由は、彼らの関係性の中にある。



 キリルはゼルゼンよりも3つほど、年上だ。


 そしてセシリアの『初めてのお友達』に抜擢されて以来6年もの間、ゼルゼンはキリルにとって「よく目に留まる人物」となった。


 中でもセシリア付きを希望して執事見習いとなってからはその傾向が顕著で、自身の執事・ロマナと同じくマルクの厳しい指導を受け始めた事で、セシリア、マルク、ロマナと、彼に関する噂のソースが増えていく。



 そういう6年間だったが故に、キリルは今ではもう、ゼルゼンに対して幼馴染の様に接している。


 そしてゼルゼンの方も、立場上言動にはあまり示さないものの、心情的にはそれに近い状態になっているのだった。




 しかし、そんな2人の仲よさが見え隠れするやり取りの脇で、セシリアは何やら変な顔をしていた。


(別に緊張の理由をなすりつけた事を怒ってるっていう感じじゃないけど……)


 じゃぁ何故そんな顔をしているのか。


 せっかくの美しい容姿を何とも形容しがたい表情に歪ませている主人に「どうかしましたか?」と尋ねれば、彼女はちょっと困った様な顔をした。


「……ゼルゼン、私達のあの入場シーンって、あまりにも、その、……言葉を盛りすぎじゃない?」


 なるほど、その変な顔の原因はそっちか。

 そんな風に独り言ちながら、「確かに本題はそちらだった」と思い出す。


「お父様とお母様の『男神と女神の姿絵』にキリルお兄様の『貴公子』、それにマリーお姉様の『天使』、そして私の『妖精』って、少し身内びいきが過ぎるよ」


 大げさ過ぎて、なんかこう……痒い。

 そう言葉を続けたセシリアに、ゼルゼンは首を横に振る。


「実際にそのような単語を呟く貴族の方々も居ましたので、周りが皆様に対して抱く感情と私の先程の評価の間には大きなズレは無いと断言します」


 その言は、一見すると説明している様にも聞こえるが、要約すれば「まだ分かってないな? セシリア」である。


「貴族然としている時の皆様は、外見が良いというのに加え、衣類や装飾品のセンスも相まって、世間的にはあのように見えるのです」


 これを機に、皆様にもそれを認識していただけると、使用人としては安心なのですが。


 そう付け足しながら、セシリアを見やる。


「もしも無自覚に相手を惹き付ける等という事態になれば、そのフォローに回るのはご本人、もしくは使用人です。誤解を解くのは、思いの外大変だと思いますよ」


 それはセシリアに対する警告の様なもののつもりだった。


 あまり無自覚に愛想を振りまくと、もしかすると『面倒』を呼ぶかもしれないぞ、という。


 しかしそれは、どうやら別の人間に刺さった様である。

 キリルの後ろでロマナがブッと吹き出したのが、その証拠だ。


(もしかして、キリル様には過去にソレ関係の何かがあったのか……?)


 吹き出した声にキリルが不満げなジト目を向けているのを見ながら、漠然とそんな風に思う。


 因みにその視線は、吹き出しの張本人には残念ながら全く効果を発揮していない。

 むしろ彼は「何か間違っていましたか?」とでも言いたげな視線を返している。



 そんな2人のやりとりを、ゼルゼンは敢えて見なかった事にした。

 そして自分の主人に視線を戻す。


「まぁセシリア様の場合は今回初めてのお披露目でしたし今回の騒動もあります。今後周りの認識は、変わっていく事があるかもしれませんね」


 「皆はまだ、セシリアの本性を知らないからなぁ」などと心中で考えながらそう言えば、今度はセシリアが、ゼルゼンに対してジト目を投げてきた。


 どうやら心の声まで伝わってしまったらしい。


 それにしても。


(ジト目までもが兄妹揃ってよく似てる)


 なんて考えながら、こちらも兄弟子同様に「俺、何か間違った事言った?」と視線を返す。



 そんな仲良しの攻防の横で、マリーシアは「仲が良いのは良い事よね」なんて言いながら紅茶を一口優雅に呷った。


 そして「それで」と話を本題へと戻す。


「私達に対する周りからの外見的評価がゼルゼンの言う通りなら、確かに第二王子が今回のパーティーでセシリアにだけ直接声を掛けてきた理由も分からなくはないけれど」


 そう言って、コテンと首を傾げる。


「昨日の『やらかし』はそれとはまた別の要因が絡んでいるのではない?」


 噂は『社交界デビューの場で第二王子とモンテガーノ侯爵家の子息を誘惑した後、あろうことかパーティーを途中退場した令嬢が居るらしい』というものだ。


 まだモンテガーノ侯爵家の子息の話が全く出ていない。




 姉にそう指摘されて、セシリアは「あぁそうだった」と思い出す。


 そして。


「そうですね、では話を戻しましょう。――その後の事です」


 と、話の続きについて語り始めた。



 ***



 父と分かれたセシリアは「どうしようか」と少し考えた後、少し会場内を歩くことにした。


 特に行く当てのない、散歩の様な物だ。

 しかし予定が無いからといって、いつまでも王の謁見待ち行列の周囲に立っているわけにもいかない。

 そう思ったのだ。



 セシリアは、まだ飲み終えていないオレンジジュース入りのグラスを片手に歩き出した。

 するとその意図を瞬時に察知したゼルゼンが、すぐさまそれを取り上げる。


 否、傍から見ると『受け取った』という言葉の方が正しいだろう。

 彼は何もセシリアから物理的に無理やりグラスを奪い取ったわけでは無いのだから。


 しかし完璧な所作でそれを受け取った彼の瞳の奥には「お前、歩くなら絶対零すからそれ渡せ」という、明らかな圧力が宿っていた。


 その為一見任意に見えたグラスのやり取りも、セシリア側からすると十分『取り上げられた』と感じるに足るものだった。




 ともあれ、こうして一組の主従は人込みの中を歩いていく。


 目的地が無いが故の、貴族の所作が許す最低速度で散歩。

 しかしそれも、すぐに終わりを告げた。


 少し歩いたところで、徐に彼女を呼び止める声が上がったのだ。


「セシリア、か」


 それは疑問の声では無く、確認だった。


 斜め後方、そのすぐ近くから名前を呼ばれて、主従は揃って振り返る。

 するとそこに居たのは、両親よりも何十歳と年上の男だった。

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