第15話 異変



 ゼルゼンが異変に気づいたのは、王族への謁見中の事だった。



 ゼルゼンは最初、謁見時のセシリアに関しては特に心配していなかった。


 というのもゼルゼンは事前に、マルクやポーラから「『王への謁見』とはあくまでも儀式的な物であり、それ以上のものを求められる事はない」と聞いていたからだ。


 礼儀作法や段取りを覚える事は、セシリアにとっては得意分野だ。

 ただ一つ不安があるとすれば階段の上り下りくらいのものである。


(セシリアならそんなの、朝飯前だ)


 そんな気持ちがあったのだ。



 だから『一応』と謁見の場を見上げていたゼルゼンは、一度最敬礼を解きかけたワルターとセシリアが再度敬礼をし直した気配に、「ん?」と片眉を跳ね上げた。


 最初はただの気のせい、見間違いかとも思ったのだが、辛うじて見えるセシリアの後頭部の前に少年の怒り顔が詰め寄ってくるのが見えて確信する。


(何かイレギュラーに遭遇した、か……?)


 遠いのであまりよく見えないし、聞こえない。

 しかし他者との謁見ではあんな場面は無かった筈だ。


 そして。


(気が抜けている時なら未だしも、気を張っているだろう今、セシリアがあの場で自らヘマする筈が無い)


 ならば、答えは一つ。


 彼女は今、自分では避けようのない『何か』に遭遇しているのだ。



 そこまで思い至ると、ゼルゼンの行動は早かった。



 一使用人のゼルゼンでは、今すぐあの階段を上っていって彼女の隣に付き添うことは不可能だ。

 しかし。


(あそこから降りてきた後、彼女の心労労う事くらいなら出来る)


 今、セシリアはおそらくあの場を切り抜ける為に、先程以上に頭を回転させている筈である。

 つまり、必要なのは燃料補給だ。


(軽食は激甘で決定だな)


 などと頭の中で考えながら、ゼルゼンは周りの邪魔やマナー違反にならない程度の速足で飲食スペースへと向かう。


 そして複数ある飲食物の中からまず、一口サイズのショコラケーキを数種類、彩(いろどり)も考えつつ皿に盛った。


 そして「次は飲み物を」と思った時に、不意に橙色が視界に入る。


(そうだな、これなら)


 ゼルゼンはその橙を手にとり、今度は零さない様に手元に注意しながら人混みを縫っていった。




 赤い絨毯が敷かれた例の階段の下までたどり着くと、既にマルクが、主人の為の軽食と飲み物を片手に待機していた。

 その隣に並んで主人の訪れを待つ体制に入ると、不意にちょっと嬉しそうな「合格です」という言葉が頭の上から降ってきた。


 見上げれば、満足げな顔のマルクと目が合う。



 主人の異変を感知して急いでやってきた事に対してか、それとも軽食類のチョイスについてか、はたまたその両方か。


 どちらにしても、マルクがこうして手放しに褒めてくれる事は珍しい。

 ゼルゼンはちょっと心がほっこりとした。




 そんなやりとりをしていると、じきに主人たちが階段を下りてきた。


 マルクがワルターに軽食類を渡し始めたので、ゼルゼンも自分の主人・セシリアを注視する。



 ゼルゼンの予想通り、彼女はやはり少し疲れた顔をしていた。


(うーん、多分「その他大勢の目は騙せるけど、俺じゃなくても近しい人間なら分かるくらいには疲れてる」って感じか)


 なんて分析をしながら、「どうぞ」とセシリアに飲食を勧める。


「ありがとう」


 そう言って、彼女はまず橙色の飲み物を手に取った。

 そして優雅な仕草でそれを口へと運び、コクリと飲み下す。


 そして。


(良かった、やっぱり正解だったか)


 少しホッとした様な表情になった彼女を見て、自分の選択の正しさを確信する。



 セシリアが飲んだのは、オレンジジュース。

 オレンジは、オルトガン伯爵領の名産でもある。

 つまりはセシリアにとって馴染のある味であり、同時に好んでいるジュースでもある。


 たくさん会話をする様な場では、こう言った果汁系ジュースはお茶や水よりも比較的喉が乾きやすいという欠点があるのだが。


(狙ってたリラックス効果は得られた様だな)


 これくらいでしか後押しができない現状が少しばかり歯痒い気もするが、できないのだから仕方が無い。


 今の出来る事を全力でするしかなく、そしてその全力が身を結んだのだから、きっと満足しても良い筈だ。


 そんな風に、ゼルゼンも小さく安堵する。


「こちらもどうぞ」


 お腹も空いてるだろう。

 そう思って、今度は一口ショコラケーキが3つ乗った皿をセシリアへと差し出す。


 すると彼女は「ありがとう」と言ってその皿を見た後、何故か突然フフフッと笑い出した。

 すると彼女が、何故か笑い出した。


(……何だ?)


 そう思って首を傾げていると、その疑問を感じ取ったセシリアが口元を手で隠しながらこう言った。


「ゼルゼンがこれを選んでいるところを想像したら、ちょっと面白くて」


 なんだそりゃ。

 ゼルゼンは、思わずそう思う。

 

 せっかく頭を悩ませて選んできたのに、ちょっと不服だ。


 でも。


(そんな事を想像して笑えるくらいまでの心の余裕があるんなら、まぁ良いけどさ)


 今日は仕方が無い。

 そう思って、広い心で許してやる事にする。



 先程上であった、何か。

 それについて、ゼルゼンはこの場で自分から尋ねるつもりは無かった。


(セシリアが話を振ってこないのなら、おそらく差し迫ったものじゃ無いんだろうし)


 もしも差し迫った事だったら、たとえそれが思い出すだけで不快になる様な事であっても、セシリアはきちんと説明してくれる。

 そういう信頼が、ゼルゼンの中にはしっかりと存在した。


 だからこの時のゼルゼンは、状況確認よりも主人の心の平穏を優先させたのだ。



 そうやってほんの少しの休憩を挟んだ後、2人はワルターの次の言葉で社交を再開する事になる。


「さて、セシリア。此処まででお前が今日しなければならない『必要最低限』は終わった。後は好きにしなさい」


 ワルターからの、自由時間の提示である。


 こうしてセシリアは、此処から単独行動を開始する事になったのだった。

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