第9話 与えられた、たった一択



 彼には、どうしようもなく王子としての自覚がない。

 それが最悪の形で現れた瞬間が、正しく今だ。


 反射的に、そう思った。



 例え考え無しだろうと、熟考の末だろうと、彼の言動には等しく大きな力が伴う。

 そして。


(残念ながら、私にはそれを聞かなかった事にする権利など無い)


 彼がどんな人間かはいまいち測りかねる為確証は得られないが、文脈だけを読めばもしかすると「今後俺とお前は友達だ!」という安い意味だったのかもしれない。

 しかしもしそうだとしても、彼の地位とセシリアとは異性であるという事実が事態を軽く受け取ることを許さない。


 このやりとりが周りに知れれば、間違いなく変な勘ぐりをされるだろう。


 そう、例えば。


(第二王子が婚約者候補を指名した、とか)


 近い未来、そんな言葉がこの耳まで届いてくるだろう事は容易に想像できてしまう。

 そしてそんなもの、セシリアにとっては迷惑以外の何物でもない。


 だって、どう考えても面倒そうじゃないか。



 それに、だ。


(百歩譲って大人たちがそんな勘違いをしなかっとして、それでも周りから『王子のお友達』として認識される事には変わりない)


 それだって、セシリアにとってはひどく面倒で迷惑な事なのである。



 つまり。

 

(私にとってはマイナスばかり、何一つとして嬉しい要素が無い)


 

 聞かなかった事にはできない。

 ならば、せめてこの場でスパッとお断りしたい。


 それが今のセシリアの本音だった。


 しかし残念ながら王子の言葉を真っ向から切り捨てるだけの地位も、お断りするだけの正当な理由も、今はまだ持ち合わせていない。


 そういった準備が出来ていない状態で断るには、王族に対して失礼だ。

 そして高位な者に対する失礼は、極刑に直結しかねない。


 となれば、セシリアが取れる選択肢など一つしか存在しないのである。


「……ありがたき幸せにございます」


 苦虫を噛み潰したような気持ちになりながら、セシリアはよそ行き顔で彼に礼を述べた。

 すると彼が満足そうに「よし」と言って頷いたのだった。




 その時だ。


「……引き留めて済まなかったな。もう下がってよい」


 王がそんな事を言ってくる。


(口を挟むならもっと早く、別の言葉を言ってくれればいいのに)


 そんな風に思いながら、セシリアはワルターと共に素早くその場を後にする。



 つい先ほど登ってきた階段を降り、階下に両足を付けたところで、ワルターはセシリアにだけ聞こえる大きさの小声で告げる。


「面倒な事になったな」


 ため息まじりな父の声に「やはりお父様も、顔に出さなかっただけで実際には呆れていたのだな」なんて思う。


「そうですね。しかし今回のは完全に不可抗力、且つ選択肢がありませんでした」


 嘆く様に、セシリアが言う。

 そこには「出来る事なら『まったくありがたくも幸せでもない』と言ってやりたかった」という気持ちがありありと見て取れる。


 「余程嫌らしい」と思ったのか、ワルターはフッと笑みを浮かべた。

 しかしすぐに、真面目な顔になる。


「先程の言は、残念ながらそれなりの人数が聞こえていただろう。おそらくすぐに噂になる」


 父の言葉に、セシリアも頷く。


 貴族こそ居なかったが、あの場には複数名の護衛騎士や使用人達が居た。

 それに謁見の時間も、他よりも明らかに時間が掛かっている。


 これだけの条件が揃って、噂にならない筈がない。


「そうなれば、周りには間違いなく敵対意識を燃やしてくる者や、逆に王子の権力狙いですり寄ってくる者達が集まってくるだろう」


 まったくあの末王子、本当に面倒な事をしてくれたな。


 ワルターがそう、呟く様に声を漏らした。


 その言葉で、セシリアは確信する。


「やはりアレは、第二王子だったのですね?」

「あぁ、今年社交界デビューしたのは第二王子だ」


 そう教えてくれて、「なるほど」と頷く。


「しかし、あの王子はたしか『平凡王子』という渾名かあった筈だが……」

「あんな珍事を起こすような奴を捕まえて、一体どこが『平凡』なのか、是非とも名付け親に教えていただきたいところですね」


 セシリアがそう言うと、ワルターがうんうんと頷いてくれた。

 それを受けて彼女は安堵する。


(どうやら私の感性が周りと隔絶しているという訳ではないらしい)

 

 しかしまぁ名付け親についての事は、置いておくとしてもだ。


「そもそも何故王子は私に話しかけてきたんでしょう

? 幾ら『初めて見る顔だから』と言っても、あの場で話しかけるには少し理由が薄すぎる様な気が……」


 セシリアとしてはそんな薄い理由だけでマナー違反やらをする者がこの国の王子だなんて、出来れば思いたくない。


 だってそんな考えなしの阿呆が国の未来を担うなんて、想像するだけで寒気がしてくるではないか。



 

 『なぜ』と首を傾げるセシリアに、ワルターは「どう説明したものか」という顔になった。

 先ほどまでとは違い、その感情は顔の前面に出ているため非常に読み取りやすい。


「お父様、どうしましたか……?」


 どこか様子のおかしい父にそう尋ねると、彼は一瞬困った顔をした。


「あー……まぁ……いいか」


 しかしすぐに、抱いた宿題を放り投げる。


「その話は帰ってからにしよう」

「? 分かりました」


 彼にしては珍しい、歯切れの悪い言葉。

 そこに違和感を覚えたものの、しかしすぐに「お父様がそう言うのなら、きっと今共有しなくて問題のない情報なのだろう」と推察する。


 そしてセシリアも、すぐにその思考を放り投げたのだった。



 ***



「あぁ、なるほど。それで噂話の中に第二王子の名前が出て来たんだね」


 手をぽんっと叩きながら納得したキリルに、セシリアは思わず不満顔になる。


「……でもその噂って、たしか私が『第二王子を誘惑した』という内容なんですよね? 全くの事実無根なんですが」


 事実無根も行きすぎて風評被害である。


 一体どんな悪意が介在したらこんな噂にひね曲がるのか。

 ちょっと当事者を引っ張ってきて、詳しく話を聞いてみたいところである。


「まぁ社交界の噂なんて、どうせ大概が面白半分にある事ない事付け足して肥大化したアレコレだからね」


 本当の事なんてその中のほんの一握りくらいしかないものだよ。


 キリルがそう言ってセシリアを慰める。

 すると「そうですよ」と言葉を続けたのはマリーシアだった。


「噂話をする方々が求めているのは『正しさ』ではなく、『エンタメ性』なのですから仕方がありません」


 これについては諦めが肝心ですよ。

 そもそも我が伯爵家の人間は噂話の的になる事も多ですから、早めに慣れておくに越した事はありません。


「キリルお兄様や私は、もう慣れっこですよ」


 そう言って、マリーシアがほのほのと笑う。


(……確かに、噂話をいちいち気にしていては、社交界なんて歩けないのかも)


 なんと言う事もないと言いたげな態度で紅茶に口をつける兄姉の様子に、セシリアはそんな風に納得した。


 そして自身も「実害が無さそうな噂話については今後はあまり気にしない事にしよう」と心に決める。

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