第13話 キリルの『やらかし』 -アウト編-
話を真面目に聞くのは、苦痛なのですぐに辞めた。
代わりに声を耳の右から左へと通過させながら、巧みな相槌でバッサバッサと捌いていく。
そして空いた思考でこんな事を考え始めた。
(さっきからずっと、こちらを侮っている感が否めないんだけど……もしかしてこれが、お父様の言っていた『周りとの違い』なのかな)
もしかしたらテンドレード侯爵を始めとした他貴族達はみんな、10歳の子供ならば彼の緩んだ社交の仮面が暴けないのも、彼の話の元ネタを知らないのも、全部普通の事なのかもしれない。
(なら、当分は彼らに「普通の子供だ」と思われていた方が得かなぁ)
その方が変な諍いに巻き込まれる事も、変な貴族にすり寄られる事も、悪目立ちして誰かに嫌われる事もなさそうだ。
つまり、平和に過ごせる。
(争い事は見るのもするのも巻き込まれるのも僕は嫌だし、しばらくはこうして大人しくしておこう)
キリルはこの時、密かにそんな誓いを立てた。
一方、この時テンドレード侯爵は些か調子に乗っていた。
出鼻は少し挫かれたが、それ以降は素直にこちらの話を聞き、感嘆したり称賛したりして来る彼に「好感触だ」と思ったのだ。
確かにオルトガン伯爵家は、つわもの揃いだ。
ワルターの領地経営の手腕も、クレアリンゼの社交手腕も素晴らしい。
加えてワルターは王城内では非常勤として『財務部』に出入りしている為、そちらに顔が利く。
もしも彼を自派閥に引き込めたなら、領地経営のノウハウが手に入り、クレアリンゼが作り上げた様々な人間に繋がるパイプを利用する事が出来、ワルター伝手に国庫の融通もある程度可能になる。
つまりオルトガン伯爵家は、味方になればとても美味しい。
是非とも欲しいと思って今まで何度もアプローチを掛けてきたものの、悉くあしらわれてきた。
しかしその子供はどうだろう。
今こうして、まんまと従順な態度を示してきているではないか。
(今の内に手懐けておけば、彼が伯爵家を継いだ時には我が『保守派』の仲間入りだ)
彼の目には、成功する未来しか見えなかった。
だからとても、心が踊る。
彼は知らない。
まさしく今のテンドレード侯爵の様な人間に付け込まれない様にする為に、オルトガン伯爵家の子供達は代々、社交界デビューまで『外』に出ず、その間に人格形成をほぼ全て終える。
大人と渡り合えるくらいの思考力と曲げてはならない自分の芯を、10歳になる頃にはもうきちんと持っているのだという事を。
そしてキリルの気持ちの良い相槌に乗せられて、彼の口から遂に『虚言』が出る。
「先の戦争では私の率いる兵が率先して、勝利を勝ち取った。なにを隠そう、その際にあちらの大将首を持ち帰ったのは、この私だ!」
自慢げに告げられたその言葉に、キリルは内心で酷く眉をしかめた。
確かに侯爵の言う様な戦争は存在する。
実際に貴族を纏め上げ率いたのも、彼で間違いない。
しかし戦端が開かれ前線で戦いが始まった直後、率先して貴族を纏めた彼はその貴族たちを――抑え付けた。
『確実に勝利しなければならない』という名目の下、彼は傘下に入った貴族たちが戦地へ赴く事を悉く却下した。
そして無理矢理、勝機を待つことに注力させた。
貴族達はみな、私兵を持つことを王から許可されている。
貴族からの反乱の可能性があるにも関わらずそれが許可されているのは、こうした有事を貴族に押し付ける為である。
その理由を考えれば、私兵を持ちながら国の為に戦地に赴こうとしない彼のこの言動は、王の意向に背いた行為だ。
だから普通はその言い訳を公式記録に長々と残すものである。
しかし当時の公式記録に残っている『この措置の理由』は、結局彼のこの一言だけだった。
もっときちんとした理由があるのなら、きちんとそれを公式記録に残しただろう。
そうしなかったのは、その言葉以上の理由が無かったからに他ならない。
それらを全て書き記した上で『そんな彼の言動からは「自分に危険が及ばない様にした上で確実に勝ちを拾いたい」という思惑が見える』と、オルトガン伯爵家個人が所有する非公式記録には書かれている。
そしてそんな筆者の考えに、当時の記録をかき集めて自分なりに検証してみた当時8歳のキリルも、激しく同意した。
確実に勝ちを拾うために、自分は出陣しない。
その部分については、百歩譲って良しとしよう。
それが領主としての判断なら、心象的には非常に良くないが仕方が無い。
他領の領地経営に口を出せない様に、他領で雇っている兵士の動きに意見を付ける事は出来ないのだから。
しかし自分だけが動かない場合、戦争終結後には即刻出陣を決めた他貴族達から吊るし上げを食らう事になる。
だから彼は他領の動きを、自らの権力で抑え込んだのだ。
そうすれば後で「何故すぐに援軍を送らなかったのだ」と追及されても「私の指示に従って援軍を送らなかったお前も共犯だ」と言い返せば、相手も黙らざるを得ない。
誰だって非難はしたいが、されたくはないのだから。
侯爵が保身の為の工作をして援軍を送らなかった間にも、戦いは続いていた。
前線では多くの人が傷つき、死んでいった。
保身の為の決断のせいで、国民が無辜に命を失っていく。
その現実を前に何も思わなかったのかと、当時のキリルは憤った。
そして同時に、その戦乱の中にあっても他者の為に戦った人々を、その功績を、誇りに思った。
助力が無かったしわ寄せで、死ななくても良い命が散ったのは確かだ。
しかしそんな中でも国民たちを守り、命を落とした。
そんな兵士たちの死は決して無意味では無かったと、キリルは思う。
彼らが戦ってくれたからこそ生きた命は、確かにあったと思うから。
だからこそ、キリルは侯爵が言った虚言が許せない。
どんなに綺麗な言葉を並べても、彼がしたのは戦場を駆けた人々の上前を撥ねる行為だ。
参戦を許可しない侯爵に怒り、戦場に駆けつけた貴族も居る。
彼らは終戦後、きっと侯爵からの風当たりが強くなるだろう事は承知していただろう。
それでも人々の死を見ていられなくて、彼らは権力に背いたのだ。
自らの行く先を顧みず「ただ誰かの為に」と戦った人が居たからこその、勝利だ。
なのに、彼はその人たちの手柄を横から奪い取ったどころか、公式に認められた彼らの功績さえも捻じ曲げて、虚言を子供に吹き込んだ。
それも、利己的な考えのために。
それは間違いなく、当時動いた人達全てに対する冒涜だ。
(あぁ、本当は諍いなんてしたく無いのに)
キリルは心中で嘆く。
「大人しくしておこう」という誓いを立てたのも、ついさっきだ。
本当なら大事にはしたくない。
しかしそれでも、彼のしたことに見なかった振りは出来そうにない。
朝、キリルは父からこんな言葉を貰っていた。
「やり返して構わん」
そんな事、出来ればしたくは無いけれど。
しかし、キリルの根底が『こればかりは譲れない』と叫んでいる。
今、キリルの手の中には『事実』と『正論』という名の武器がある。
大義名分は、「ただの間違いに対する指摘」だ。
やり返す準備は、もう出来ていた。
しかし諍いが嫌いだというのも、間違いなく彼の本心だ。
だから一度だけ、チャンスをやる事にする。
「それは少しおかしいですね。確か公式記録では大将首を持ち帰ったのはテンドレード侯爵ではなく、バーミリオン男爵だったと思いますが」
不思議そうな顔を作って、キリルが尋ねた。
するとテンドレード侯爵の目が僅かに泳ぐ。
こちらがそれを知っている事は、きっと彼にとっては想定外の事だったのだろう。
「そ、それは奴に貸しを作ってやっただけだ。奴もそれなりに頑張っていたからな、私がその頑張りに免じてその功績をアイツにやったのだ」
つまり俺が偉い。
そう言いたげに、侯爵は胸を張ってみせた。
(あぁそう、そういうスタンスなんだね。――これは間違いなく、アウトだ)
この瞬間、キリルの中の何かが吹っ切れた。
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