第32話
それからきっちり一週間後。生徒会長はコンクール申込が完了した旨を伝えに、秘かに翔太を生徒会室へ呼び寄せた。
そこで翔太が見たのは、書類に書かれた校長の署名捺印だった。
「なんで、校長が……。どうやって?」
訳が分からずにいる翔太に、会長は静かに答えて言った。
「副顧問がいるって言っただろ」
「はあ」
「校長がブラバンの副顧問なんだよ。校長も学生ん時ブラバンだったらしいよ」
「それ……会長は知ってたんですか」
「部活の顧問や副顧問が誰かなんてこと、ちょっと調べれば分かるんだよ。こっちには各クラブの情報や記録があるし、卒業アルバムの写真にだって載ってんだからな」
翔太は唖然としてぽかんと口を開けていた。
会長は続けて、言った。
「校長、喜んでたよ」
「え……」
「人数少なくても、やればできることもあるだろうから。頑張れってさ」
「マジで……」
「あと、ダメ押しで大島の判子も押しといたから」
「どうやって?!」
「そんな珍しい名前でもなし、どこでも売ってんだろ。大島の判子」
「……」
翔太はますます大きく口をあけて、会長をまじまじと見つめた。
会長は悪びれる様子もなく「曲はなにすんの」と言うと、一度だけふふっと微笑んでみせ、それからすぐにいつものクールな顔で、コンクールの日程の書かれた用紙を翔太に差し出した。
「ま、がんばれよ」
そう言うと、ぽんと肩を叩いた。翔太は返す言葉が見つからなかった。
生徒会室の壁にかかった年間行事予定に「吹奏楽部コンクール出場」の文字があるのが目に入ると、翔太は無言のまま会長に深々と頭を下げた。会長はそれ以上何も言わなかった。
夏休みにまさか部活をやることになるとは。それは大島と田口さん二人の嘆きであり、持田や斉藤たちの驚きだった。常山だけは翔太に味方していて「せっかくだから」と言ってくれていた。
翔太はそんなわけで、常山を除く一同の視線に多少なりとは申し訳なさと居心地の悪さを感じつつ、部活はとにかく毎日行うことになった。
というのも、小人数編成にしても、小人数にもほどがあるというほどの「小人数」。曲は自由でなんでもいいとは言っても、そもそもやれる曲に限りがある。
そこで考えたのが大島と田口さん二人による編曲作業だった。それも、実際に全員に音を出させながらの譜面作り。ワンフレーズを吹いては楽譜にし、消してはまた吹いて、また楽譜に書き。
パート譜を作ることから始めて、果たして本当に夏休み明けてすぐにあるというコンクールに間に合うのか翔太は不安だった。
が、文句を言える立場ではなかった。
大島にしても、校長の名前が出てきたからにはこれ以上のらくらやるわけにもいかず、夏の間は毎日バイトと弟の面倒をみて過ごすつもりだった田口さんも巻き込んで、とにかく体裁だけでも整えなければ洒落にならない気持でいっぱいだった。
斉藤と持田は夏休みの間バイトでもしようかと考えていたのを全面的に返上し、常山は毎夏行われているという自分のうちの道場の合宿への参加も取りやめ、全員が文字通り一丸となってブラバンの活動に取り組み始めていた。
翔太は悪いとは思ったものの、それでも、自分勝手ではあるがやっぱりブラバンがまともに機能していくことに喜びを禁じえなかった。
朝は十時にはもう部室へ行き、昼まで基礎練習や筋トレをする。
筋トレは斉藤には地獄でしかなく、運動部の連中にまざってグラウンドを走らされた時は心底ブラバンに入ったことを後悔した。が、そのおかげといってはなんだが十日もすると体がきゅっと締まってきたことで、ちょっと許す気持ちになったりもした。
一方、みんなを驚かせたのが常山で、あんなにも細く頼りない様子なのに筋トレにもランニングにも息ひとつ乱さず涼しい顔をしていて、戯れに持田が常山の腹を一突きしたところ怖いぐらいに固い腹筋に覆われているのを知って、全員がまた改めて常山に一目を置くことになった。
昼食はクーラーの効いた図書室でとり、一時間ほど昼寝して、また練習。
そうやって出来上がった曲。それは「情熱の薔薇」だった。
その曲を選んだのは田口さんだった。田口さんは「いい曲だろ」と翔太を見た。
翔太はブラバンのコンクールに出るのにその選曲はありなんだろうか? と内心不安に思った。というのも、いくら小人数の自由曲とはいえ、コンクールでは賞を取る為の傾向と対策があるから。有態に言えば、賞を取りやすい曲というのが厳然として存在するのだ。審査員好みとでも言うのだろうか。
翔太はもともとコンクールにおける音楽の優劣を争う基準というものに疑問を感じていた。一体、誰にそんなものを決められるのだろうか、と。そりゃあ技術やハーモニーや、いろいろあるのだろう。専門家が聴けば違いははっきりとあるのだろう。でも、それが正しくて、聴く者を感動させるかというのはまた別問題ではないだろうか。それと同時に、やっている自分達が楽しいかどうかなんてことも。
それでもコンクールに出るからには三位入賞ぐらいは目指したい。せっかく出るんだし。それが翔太の本音だった。
が、田口さんが決めたのは「情熱の薔薇」。翔太は田口さんが自分の趣味で言っているのだと思ったし、入賞なんてまるで考えていないということもはっきりと分かってしまって、不満というか、不安というか、正直な気持ちをどう言えばいいのか戸惑っていた。コンクールの審査に疑問を感じつつも、やはり賞だって欲しいと思う矛盾を。
賞を獲りたいのは、それによってブラバンが校内でも注目される存在になるし、今年はもうダメでも来年また一年生が入ってきたら入部希望者が現れるかもしれないという思惑もあってのことだった。
「なーんか、不満そうだな」
田口さんは翔太の気持ちを見透かすように言った。
「不満とかそういうんじゃないっすけど。これ、田口さんは自分とこのバンドでやったりしてるんですか」
「いや? やってないけど」
「なんでブルハ……」
それは斉藤たちも同じ気持ちだった。持田はてっきりクラシックをやるものと思っていたし、斉藤も常山もブラバンを題材にした映画みたいにビッグバンドジャズでもやるのかと思っていた。
だから田口さんがよりによってロックを持って来たのには驚くあまりぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
一年生を見渡すと、田口さんは言った。あの、野球部の応援に行った時のように頼もしく、優しく、部長然として。
「この曲、俺達には意味があると思うから」
「意味ってなんすか。そりゃあいい曲だけど……」
「俺、ダブっただろ」
「はあ……」
「学校辞めようかと思ってたんだけど、まだ、もうちょっといてもいいかと思って。そう思えたのは、翔太が暑苦しくせまってきたからっていうのもある」
「暑苦しいって、そんな、ひどい」
「デブ、もっちー、ツネちゃん」
三人は急に呼ばれて驚いた顔で、田口さんを見た。
田口さんは三人の目をじっと覗き込むように言った。
「お前らは俺の言ってること分かるよな」
三人はそれぞれ胸の中に翔太の「暑苦しい」場面を蘇らせた。ブラバンにかける馬鹿げた情熱。田口さんに来てもらう為の情熱的な努力。練習に捧げる情熱。仲間と、ブラバンを守ろうとする情熱。そして、ここから少しでも前に進もうという情熱。
常山が最初にこくりと頷いた。
「僕も学校辞めようと思ってたんですけど……」
「ツネちゃん」
「藤井くん見てたら、もうちょっといてもいいかなって思えたんです。藤井くんの情熱は、時々ちょっと頓珍漢でうわっすべりしているようなところもあるかもしれないけど」
「ツネちゃん!」
「でも、一生懸命だ」
翔太は「俺って頓珍漢でうわっすべりしてたんか……」と呟いた。
持田と斉藤は「知らんかったんか」「気づいてなかったのかと口々に言ったが、その顔は笑っていた。
「そういうこと」
田口さんがきっぱりと結論づけた。
「この曲でコンクール出るぞ」
「でも、この曲だと入賞は難しいかもしれないっすね」
翔太が力なく漏らすと、田口さんは目を大きく見開いて驚愕し、叫んだ。
「入賞するつもりだったんか! あつかましいな、お前! 身の程を知れ!」
「……やっぱり無理っすか」
「お前は本当にドリーマーだな! こんな初心者集団で入賞なんて、よく考えたな。俺、そんなこと考えもしなかったわ!」
しょぼんとする翔太。呆れかえる田口さん。そこへ斉藤がおもむろに割って入った。斉藤には翔太の気持ちも分かる気がしたし、何よりもここまで翔太に引っ張られてきたのも事実なので、加勢する気持ちだった。
「そう言わないで、努力ぐらいはしましょうよ」
「は? なに言ってんだ、デブ」
「できないって決めつけたら、なんもできないでしょ。不可能でもいいじゃないですか。夢ぐらい見たって。言うのはタダなんだし」
「デブ、お前……」
斉藤は翔太を振り返った。そしてまた田口さんに向きなおった。
「ここまで来たら、もうちょっと翔太の情熱に乗っかってみましょうよ」
「……異議なし」
持田が右手をあげた。持田も翔太にいつの間にか感化されている自分を自覚し始めたところだった。
翔太は感極まっていきなり持田に飛びついた。
「もっちー!」
「もっちー言うな」
抱きついたのを冷たく押し返された翔太は、今度は拒絶しそうにない常山に抱きついた。
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