第31話
「生徒会長の入れ知恵」と大島が言ったのは、当たっていた。いや、入れ知恵というより、完全に生徒会長の仕業だった。翔太は一連の企みを持田にも斉藤にも言わずに、ひっそりと進めていた。それも、野球部の応援に行くことが決定的になるのと時を同じくして。すでにその頃から作戦は始まっていたのだ。
生徒会に一年間の活動予定を書かされた時、翔太はもうすでにコンクールの情報を調べていて、応募に必要な書類もきっちりプリントアウトして持っていた。
翔太たちのようにろくに人数もいないブラバンでも参加可能な小人数編成の部門、課題曲ではなく自由曲で出られること、編成は自由であることなど調べはついていた。即ち、翔太たちでも「出場可能」であるということを。
しかしこれは翔太にとってもある種の賭けだった。顧問が書くべき書類を勝手に投函しようとしていたのだから。
大島の名前で各項目を埋め、応募する。何も難しいことはない。応募すればコンクールの参加校として登録され、あとは後日送られてくるであろう日程などの指示に従うだけだ。
が、問題はそこだ。あくまでも生徒である翔太が無断で応募したという事実は変えられない。罪に問われたら、また停学を食らう可能性は十分ある。そうなったら、ほとんど100%の確率で翔太は留年するだろう。
田口さんを悪く言うつもりはないが、やはり翔太は留年は避けたかった。
それに、問題はまだあった。応募用紙には学校のハンコが必要で、それをどうやって押印するか。翔太には学校のハンコなんてものがどういうものかも分からなかったし、誰が持っていてどこにあるのかも知らない。これがなければ書類が完成しない。
翔太は誰にも相談することができず、その間にも時間が過ぎて行くことに焦りを感じていた。こんな事をしているうちにコンクールの締切が来てしまう。
こんな時どうすればいいのか。誰かに相談できないものか。ずっと悩んでいるうちに、翔太の脳裏にある人物の姿が浮かび上がってきた。
それは天啓。折しも翔太は放課後の食堂前のベンチに座って紙コップのコーヒーを啜っている時だった。
紙コップのコーヒーに入った氷は薄いコーヒーをさらに薄くさせるが、唇に触れる氷の冷たさは心地よかった。制服の白シャツの胸元に風を送り込み、ほっと息をついた。
その時ふと仰ぎ見た食堂の二階の窓。翔太は閃いた。そうだ、生徒会だ。
部活のことで何かあったら生徒会へ……って、最初に言っていたではないか。最初というのは、もちろん新入生への部活紹介の時のことだけれども。
翔太とてブラバンを廃部にしようとする生徒会を信用しているわけではなかった。が、生徒会の、即ち生徒会長の言うことが正論で、もっともだという気持ちもないではなかった。
ちゃんと活動して頑張る部活に活動費を用意してやることは至極当然だし、財政的に無駄があれば排除するのも当然だ。これまで癒着や腐敗があったのなら、会長がそれらを改善しようとするのもまた当たり前すぎるほど当たり前ではないか。そういった意味では会長の正義漢は信じられるような気がした。
自分達がまっとうにやれば、会長は力を貸してくれるはずだ。
翔太はコーヒーを飲み終えると、さっそく生徒会室へと続く階段を上がった。
生徒会室に入るのはこれが二度目だった。一度目はブラバンの存在を確かめるため。あの時も会長そっけない態度ではあったものの、ちゃんとブラバンのことを教えてくれた。翔太が賭けたいのは、そこだった。会長の冷たさも厳しさも表面上だけのものだ、と。
生徒会室の扉を叩くと、中から「どうぞ」と返事があった。
翔太はそろっとドアを少しだけ開けて中の様子をうかがった。室内は会議中らしく、会長と平井の他にも数名の生徒がいて、なにやら真面目に議論している真っ最中らしく皆一様に半分怒ったような険しい顔をしていた。
「あのう……」
「あれ、ブラバンの。どうした」
平井が立ち上がった。翔太はほっとして、中に入り後ろ手にドアを閉めた。
「平井、今、会議中」
一人の生徒会役員がじろっと翔太を睨んだ。が、平井は気にするでもなく、
「なんか用事?」
「用っていうか、その、部活のことでちょっと相談があって」
「トラブル?」
「いえ、そういうんではないんですけども……」
翔太は上目づかいにちらっと会長の顔に視線を向けた。会長は背筋を伸ばしてきちんと椅子に座っており、手元に束ねたプリントをめくっていた。
「会長にちょっとお話が」
「……俺に?」
会長は翔太の言葉にプリントから目をあげた。
ホワイトボードに書かれた議題や机に置かれたプリントの文字をさっと読み取る限り、どうやら夏休み明けの文化祭について話し合いがされているところらしかった。
文化祭。この、文化とはほど遠い学校にもそんなものがあったか。翔太は首を伸ばしてプリントの文字をさらに読もうとした。
すると会長は翔太の視線を遮るように、
「今、三役会の途中だから。一時間してから、もう一回来て」
と言うと「出ていけ」と言わんばかりに手を一振りした。
「……三役会ってなんすか?」
翔太は小声で平井に尋ねた。
「会長、副会長、議長、会計だけでやる会議。役員全部集める前の会議の下準備みたいなもん」
「はあ」
平井はドアを開け「悪いな」と翔太の背を押しながら外へと追い出した。
一時間もどこで時間を潰そうかと翔太は迷ったが、そのままドアにぴたりと体を寄せると耳をくっつけて会議の様子を窺った。
安普請なドア越しに生徒会役員たちの声が低くくぐもって聞こえる。文化祭に参加できるクラブの展示や、各クラスの参加について話し合っているらしかった。
何をそんなに激しなくてはいけないのか分からないが、議論は時として大きな声になり、喧嘩ごしの言葉が飛び交っていた。
しかし会長の声だけはいつもと変わらぬトーンで、静かに淡々と彼らを治めているようだった。翔太はその様子からも、やはり会長に頼るよりほかないと決意を新たにしていた。
結局翔太がじっとドアにくっついていたのは二十分ほどだったろうか。会議の終了を告げる声と、がたがたと椅子を引く音。急に緊張が解かれたように明るく喋りだす平井の声。翔太は猛スピードでドアの前を離れ、階段を飛んで下りた。
階下で待っていると生徒会役員がぞろぞろと階段を下りてきて「おや」という顔で翔太に目を留めた。翔太は彼らに「おつかれさまでーす」と頭を下げて見送り、再び生徒会室の扉を叩いた。
今度は臆することなく、返事も待たずにドアを開けた。
「終わりました?」
平井はちょっと面喰ったような顔をしたが、すぐに笑いながら「一時間後って言われなかった?」と翔太を招じいれた。
会長はホワイトボードに書かれた文字を丹念に消していた。
「で、なんだって」
「ブラバンの活動予定のことなんですけども……」
言いかけて、翔太はちらと平井を見やった。平井がこれを聞いてもいいのか、ダメなのか?
その疑問に平井自身が気づいたらしい。平井は「俺、コーヒー買ってくるわ」と言うとさっさと部屋を出て行った。
翔太は平井が会計という役である以上に、会長の右腕のような役割をしていのが理解できたような気がした。日頃ひょうひょうとしている平井も、実は相当な切れ者らしい。
会長と二人になった翔太はほうと大きく息を吐いた。それから、会長の背に向けてくっきりと言った。
「コンクールのことなんですが」
「コンクール」
会長がオウム返しに繰り返しながら翔太を振り向いた。
「活動予定にも書いてあったと思いますが」
「……」
「あれ、たぶん、ていうか、絶対、大島も田口さんも嫌だって言うと思うんです」
「……かもな」
「めんどくさいから」
「……だろうな」
「でも、俺は出たいです」
「……」
「そりゃあまだコンクールとか出れるレベルじゃないのは分かってます。でも、目標とかあった方が絶対上手くなるし。練習するじゃないですか。練習しないと上手くならないわけだし」
「……で?」
会長は半身だった体の正面を翔太に向けた。いける。翔太は鞄からすでに書きこんだ書類を取り出した。
「ここに、コンクールの申込用紙があります」
「ほう」
「ハンコ」
「判子?」
「ここに、ハンコ押さないと応募できないんです」
「……判子以前に、これ、誰が書いた」
「……俺っす」
「……」
会長は書類を読む目をあげた。
「ようするに」
「はい」
「コンクールに出たいが、大島はこれを書くのを拒否するだろう、と」
「はい」
「だからお前が大島の名を語って記入した。そういうことだな」
「はい」
「で、判子がいる、と」
「……はい」
「それで、俺にどうしろと?」
「なんとかしてください」
「……なんで俺に頼む?」
「え」
翔太は思ってもみない返答に言葉に詰まった。なんでって、会長なら何とかしてくれると思ったから。それでは答えにならないだろうけれども、他になんと言えばいいのだろう。でもここまで手の内明かしたらもう取り繕う言葉や誤魔化しはいらないはずだ。そんなものはそもそも会長には通用しない。
「会長ならなんとかしてくれると思って」
「……」
「会長はブラバン潰したかったみたいですけど、でも、なんだかんだ言ってちょいちょい俺らをフォローしてくれたりするじゃないですか。だから俺は会長は本当はブラバンに対して結構好意的なんじゃないかなと思って……」
一息にそう言うと、翔太は今になって急に鼓動が早くなり、会長の視線をまともに受けていることがいたたまれなくなって下を向いた。
「別に俺はブラバンを潰したいなんて思ってない」
「でも」
「ここは勉強のできる進学校でもないし、スポーツに特化した名門でもない。ただの工業高校にすぎない。しかもどっちかっていうと馬鹿寄り。でもな、そういう馬鹿でもなんかやりたいとか、やればできるとか思いたいじゃん。生徒会はそういう手助けをするのも仕事のうちだと俺は思う。中退者数が県下一なんてのもどうにかしたい。義務教育じゃないから本人の自由とか勝手なんてのは屁理屈だ。勝手にやった結果がどうなるかなんて、考えれば分かることだろう。生徒会が学校の自治組織として存在するなら、全校生徒の為になることをやるべきなんだ」
「……」
「水泳部は海パンだけでいいから金かかんないとか。空手部が強いのは喧嘩慣れしてるからなんて言われたら、さ。悔しいだろ。頑張ってんのはみんな同じなのに。水泳部も空手部もあいつらめちゃめちゃ練習してるだろ。毎日朝練やってるなんて、あいつらぐらいのもんだよ。だから強い。だから、それを慕って毎年部員が入る」
「じゃあ俺らも……」
「ブラバンだって楽器はあるわけだし、お前らが頑張れば他にもやりたいって奴出てくるんじゃねえの」
会長は机に置いた書類を取り上げた。
「この申込、俺が預かる」
「どうするんすか」
翔太はまだどきどきする胸を押さえながら、会長を見つめた。会長はにやりと不敵な笑みを浮かべ、
「お前さ、ブラバンにもう一人、副顧問っているの、知ってるか?」
「え!」
「まあ心配すんな。申込は俺が手続きしておいてやるよ。大島と田口には黙ってろ」
副顧問って、誰だ? 翔太はそんなこと知らなかったし、もちろん一度も考えたこともなかった。ブラバンが復活して、校内でも目立って活動するようになっているというのにその存在は姿を見せたことがないのだから、やる気のない大島以上にやる気のない奴がいるということか。
誰ですか、それは。翔太が尋ねようとすると、ドアが開いて平井が紙コップ片手に戻ってきた。会長は書類をまとめて鞄に入れると、どさりと椅子に腰を下ろし眼鏡を外した。
さも疲れたというように眼頭を押さえると、
「平井、ブラバンはコンクールに出るから参加費がいるんだってよ」
「ほー。コンクールって出るのに金いんのか。でも賞金は出ないんだろ」
「当たり前だろ」
「なんだ、つまらん」
「あのう」
翔太はもう一つ、聞きたいことがあった。会長が頼りになるのは、分かった。あと、もう一つ。
「なに?」
「会長と田口さんって、なんかあるんすか」
「なんで」
会長が眼鏡をかけ直し、さっきまでとは打って変わって冷たい目でぎろっと睨んだ。
「なんでって……」
一番初めに、ブラバンの存在もあやしかったのに会長だけはちゃんとブラバンの部長が誰かを知っていたし、田口さんのライブにも来ていた。なのに口ぶりは冷たく、田口さんも会長のことを口にする時は憎々しげに言う。あからさまに敵対するというよりは、何か確執のようなものが感じられ、二人が相対する時、互いの名を口にする時、そのいちいちに火花が散るような緊張が走るのを無視することはできなかった。
翔太がなんと言おうか考えているうちに、平井がすかさず口をはさんだ。
「同級生だよ」
「え?」
翔太は面喰って平井を見た。会長が一言「平井」と制するように名前を呼んだが、そんなこと気にする風でもなく平井はにやりと笑って、言葉を継いだ。
「田口と会長、同じ中学出身」
「そうなんですか?」
「……そうだよ」
「それだけ?」
「それだけ」
「なんかあって、仲悪いんすか?」
「……別に」
会長は怒ったようにむすっとした顔で平井と翔太の両方を睨んだ。もうこれ以上何も言うつもりはないというのが、その表情から読み取れた。
平井も意味ありげに笑うだけで、
「とりあえず、お前らブラバンは練習しとけよ」
と言うだけだった。
その時翔太の脳裏を突如として田口さんのライブを見に行った時のことが蘇った。
そうだ、あの時、会長はなんと言った? どのバンド見に来てんのか尋ねた時、会長は「中学の同級生がやってるバンド」と言ったではないか!
では、なぜ会長はそれがブラバンの田口さんだとはっきり言わなかったのだろう? 一体二人の間になにが? なにかトラブルが?
問い質したかったが、これ以上突っ込んで会長の機嫌を損ねると元も子もないと思い、翔太にしては珍しく一歩引いておくことにした。
会長がブラバンの為に骨を折ってくれるのは、この馬鹿高校の生徒の可能性の為というのは本当だと、思う。それは信じられる。でも、ブラバンにこうも肩入れしてくれるのは、やはり「なにか」あるのだ。
翔太は生徒会室を後にして部室へ向かった。
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