第2話
終業のチャイムが鳴ると、生徒のほとんどが一気にいなくなる。部活に行く者、バイトに行く者、即座に帰宅する者いろいろだが、その行動の早さときたら学校になど用はないとでも言いたげなほどのスピードで、翔太は自転車の群れがどんどん正門を通り抜けて行くのを校舎の窓からぼんやりと眺めていた。
そもそもこの学校では部活動というのはあまり盛んではない。大手を振って活動していると言える部活の方が少ない。それも運動部ばかりで、文化部で唯一存在をアピールしているのは軽音楽部ぐらいなものだった。
それもそのはずで、軽音楽部ときたら放課後になると倉庫からアンプやらドラムセットやらを出してきて、教室で爆音で練習するのだから無視することの方が難しい。軽音楽部があるからブラバンの存在がうやむやになっているのだとしたら、それは翔太にとって絶対に抗議すべきことだった。ブラバンと軽音楽部ではまるで違うということを理解して貰わなければ。でも、誰に? 生徒会に?
翔太はまたしても不安に駆られていた。こんな学校でも生徒会とかいう自治組織があることには驚いたが、一体どんな連中が役員なのだろう。とりあえず入学以来目にする上級生は金髪と茶髪と眼鏡とオタクの両極端ばかりなのだが。
翔太たち三人は食堂の二階へ続く外階段をあがっていき、いくつか並ぶ扉のプレートに「生徒会」とあるのを見つけた。
「あ、ここだ」
斉藤が立ち止ってプレートを指差した。そして二人は翔太の顔を見た。
翔太は一拍置いて、うむと頷いた。それから意を決するように扉をノックした。
「どうぞ」
中から落ち着いた声が聞こえた。
「失礼しまーす……」
翔太はそろそろと扉を開け、首を突き出して中を覗き込んだ。そこには会議机と書棚が並び、ホワイトボードの前にこの学校では相当珍しいタイプの「普通の」生徒が二人座って何か書きものをしているところだった。
この場合「普通の」というのは髪は黒く、制服は校則に則っており、指輪やピアスもしていなければ、安っぽい香水の香りも煙草の匂いもしていないという意味で、至極当たり前のどこにでもいそうな「高校生」然としているという意味だった。
翔太は「あ、こういう人もいるのか」と珍種の動物を見るような驚きをもって、二人に向って頭を下げた。
それは後に続いた持田と斉藤も同じ感想を抱いたらしく、興味深く生徒会室を眺めまわしていた。
「化学科一年の藤井です……あの、部活のことでちょっと聞きたいんですけども……」
翔太がそう言うと、
「ああ、どうぞ。入って」
と眼鏡の生徒が静かに返事をした。
細いフレームの眼鏡が似合う真面目そうな顔つきの生徒で、翔太は「持田とは違ったタイプの男前だな」と思った。
「で? 何かトラブルでも?」
眼鏡が静かな口調で尋ね、椅子をすすめた。
翔太は眼鏡をさりげなく観察し、学生服の襟についた科章から彼が電気科であることを知り、白地に黒で会長と書かれた小さなバッチから彼が「生徒会長」であることを知った。
「あの、僕、ブラバンに入りたいんですけど……」
「ブラバン?」
頓狂な声を発したのは会長の横にいたもう一人の生徒会役員だった。
「部活紹介の冊子にブラバンが載ってなくて。でも、この学校にブラバンあるって受験の時に見た学校案内には載ってたんですけど……」
「……ブラバンに入部希望?」
会長がまるで自問自答するかのように呟いた。
「はあ」
翔太は頷いた。
机の上に広げられていたのは小型のカレンダーとプリントが数枚、ホワイトボードには部活動予算案と備品監査、統廃合だのといった文字が何らかの議論の後らしくごちゃごちゃと書き込まれていた。
「平井、ブラバンの顧問は誰だったかな」
「えっと……」
平井と呼ばれた役員は書棚からファイルを取り出し、ぱらぱらとめくった。
「現国の大島だな。部室はクラブハウスの二階で……」
「部長は?」
「部長は……」
「誰?」
会長は平井に視線を向けた。平井は一瞬沈黙し、ファイルをぱたっと綴じた。
「電気科の田口」
翔太は彼らの口から聞くブラバンの情報に「なんだ、よかった、ブラバンちゃんとあるんじゃん」とほっとしていた。斉藤たちの言うように聞いてみてよかった、と。これで高校生活に一条の光明がもたらされたようなものだ。
「あの、それじゃあ入部希望は顧問の先生に言えばいいんですよね」
「まあ、そういうことになるな」
会長はおもむろに眼鏡をはずすとポケットからハンカチを取り出し、レンズを拭き始めた。
「おい……」
平井が会長の腕を物言いたげに突いた。そして、
「入部希望は君ら三人?」
と尋ねた。
翔太は背後に立っている斉藤と持田を振り返った。二人は子供がイヤイヤするように首を横に振った。
「じゃあ、一人だけ?」
「そうみたいっす」
翔太は肩をすくめて見せた。
「おい、いいのか」
平井はさっきよりも困惑したように会長の肩を突いた。
会長はすっかり奇麗になった眼鏡を再びかけると、居ずまいを正して口を切った。
「ブラバンに入部したければ大島先生に入部届けを出せばいい。先生はたぶん図書室にいると思うよ。図書委員会顧問も兼任してるから」
「あの」
「なに」
「なんで部活紹介にブラバンは載ってなかったんですか」
「……ああ、それはブラバンが活動してないから」
「えっ?」
驚きの声をあげるのは今度は翔太の番だった。斉藤と持田も目を丸くして顔を見合わせ、翔太同様に生徒会長に視線を注いだ。
平井は気の毒そうな顔で新入生三人を見守っていた。
会長は衝撃を受けている三人を気遣う風でもなく、淡々と事務的に言葉を継いだ。
「毎年各部活の部員数や活動状況を調査し、予算を組むことになっているけど、少なくとも俺が入学してからブラバンが活動しているのは見たことも聞いたこともない」
「ちょ、ちょっと待って下さい……」
「昔は活動していたのかもしれないけど」
「えええ……」
「まあ、君が入部すれば部員は二人になるな」
「……」
「二人でブラバンってできんの?」
できるわけないだろ。翔太はそう言い返したかった。けれどショックが大きすぎて、金魚が口をぱくぱくさせるように虚しく息を吸い込むよりできなかった。
その様子を心配した斉藤だけが翔太の肩に手をおいて「大丈夫か?」と労りの言葉をかけた。翔太はかろうじて頷いたけれど、実際はちっとも大丈夫ではなくて、その後にさらに続いた会長の言葉に打ちのめされ、気が遠くなってしまった。
「今年度、生徒会は活動実態のない部活は廃部する方針になってる。これはちゃんと活動している部活に正当な部費を確保するためでもある。何の活動もしていないブラバンはその対象になってる。他にも落語研究会、茶道部、ハンドボール部なんかも廃部対象になってる」
「……ブラバン、廃部になるんすか?」
翔太の代わりに持田が尋ねた。
持田はブラバンが活動していない云々よりも、会長がすらすらと冷たく言い放つ「生徒会の方針」とやらに驚いていた。いかにも頭の良さそうな顔をしているこの会長は、どうやらそうとうやり手らしい。この学校にこんな人がいるなんて。持田は単純に感心すると共に、なんだか空恐ろしい気持ちになっていた。
「活動してなきゃ廃部だよ。当たり前だろう。軽音楽部や野球部から毎年予算案に対する不満が出ててね。やってもない部活に部費出すなって、そりゃまあ、そう思うわな、普通」
「……」
会長は書棚のファイルから紙を三枚取り出して、一年生三人に配った。それは「入部届」の用紙だった。
「入部を希望するクラブ。名前と学年とクラス。それ書いて好きな部活に持って行って」
「……」
「他に何か質問は?」
翔太は用紙を手に立ちあがった。
「電気科の田口さんって何年ですか」
「二年」
翔太は目の前が電気のスイッチをぱちんと消すように一瞬暗くなるのを感じた。
今日二度目に感じる絶望。それも喜びと安堵からの転落の落差。生徒会室を出る時、翔太の足はふらついていた。
そんな姿を気の毒に思ったのか斉藤は食堂の前のベンチに翔太を座らせ、自販機から紙コップのコーヒーを買った。持田も自分のコーヒーを買った。
「ブラバン、部員一人かあ」
斉藤が呆れたように呟いた。
「あの会長、ブラバン潰す気満々だったな」
持田も苦笑いと共に言った。わざとではないが二人の言葉は翔太の胸にぐさりと突き刺さった。
活動してもいない部活に部費はやれない。それはご説ごもっとも。でもそんなことを入学してきたばかりの自分に言われても。だいたい今まで部員が一人しかいなかったとして、それで活動なんてできるわけがない。やりたくてもできないだろう。なのに廃部だなんて。
翔太はまだ見ぬ「電気科の田口」とかいうブラバンの部員を同志のように思い、胸の奥底からめらめらと闘志のようなものが湧きあがってくるのを感じた。
なんだあの意地悪な生徒会長は。あの冷たい態度は。廃部だって? 冗談じゃない。廃部になんてさせるものか。二人でブラバンができるか? だって? 二人でできないなら、部員を集めるのみだ。
「なあ、お前らさ、ブラバン入んない?」
「言うと思った!」
斉藤と持田が同時に叫んだ。
「そう来るんじゃないかと思ったよ」
「俺、楽器なんかやったことないよ」
翔太は笑いながらも、わずかに後ずさった持田の学生服の端をがっちりと掴んだ。
「大丈夫。誰だって最初は初心者。俺がちゃんともっちーに教えるから」
「誰がもっちーだ」
「な、斉藤も。ブラバン楽しいぞう。お前ら二人とも部活決めてないんだろ?」
「決めるも何も入るつもりないんだけど」
「なんで。そう言うなよ。せっかくの高校生活をだなあ、何か一つのことに打ち込むっていうのは意義があると思わないか」
「そんなこと急に言われても、なあ?」
斉藤は持田に同意を求めた。持田は翔太の手を振り払った。
「他当たれよ。やりたいって奴、他にもいるんじゃねえの?」
持田はそうは言ったものの、内心はこれまで部員がいなかったのに、今突然入りたい奴がそう都合よく現れるものだろうかと思っていた。ようするに「いないだろうな」と。
が、それをそのまま口にしないだけの優しさが持田にはあって、代わりに、
「とりあえず入部届け出して、それからその田口さんって人に会ってみれば?」
と言った。
翔太はベンチに背を預け、それ以上反論も懇願もせずに固い表情で頷いた。
斉藤と持田は紙コップのコーヒーを啜り、改めて翔太を不憫に思っていた。
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