「こんな整列を誰がさせるのか」(けやき坂46)

 これは古今東西に存在する「場面」なんだと思う。

 僕の住んでいる地域では、掃除の最中に私語をしてはいけない、ということが中学校で行われていた。あるいは地域ではなく、僕の通った中学校だけだったかも。この理由はよくわからない。他にも、上履きのかかとを踏んでいるとすごく怒られたし、下駄箱に靴を入れた状態にも厳しかった。下駄箱の中の靴の位置であーだこーだ言う。これは本で読んで知ったことですが、高知県の明徳義塾高校では、日常的に行進があるので、何かの折に公式の場、例えば甲子園とかでしょうが、そういうところで入場行進をすると他の学校の人から「行進がうまい」と表現される、というエピソードがあった。僕の通った学校では行進は滅多にないので、僕は行進というものをよく知らない。

 誰が決めたのかわからない「決まり」が無数にあるし、命令「する側」と「される側」があって、そこには「正しいこと」を求めるのではなく、「服従すること」を求める場面がある。それは学校と会社とか町内会とか、もしかしたら家庭の中にもあるかもしれない。それが「当たり前」になっている場面もあろうかと思う。でもいったい、誰が「服従」を求めているのか、は実際にはわからない。「当たり前」になってしまうと、そこではもう主体がなくなってただ「強制」と「服従」のみが残ってしまうような気もする。

 ということをつらつら考える、風刺的(?)な一曲がこの曲です。

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