Ⅲ
私はこの星の名が《チキュー》である、と記した。
最初の発見者は私ではない。
私が到達した時には既に、
彼(それとも彼女? とりあえず、彼、ということにしておこう)がどんな思いを抱えてこの星を訪れ、そしてここまで綿密な調査を行ったのか、それを測り知ることはできない。
だが、私はその思いの一端に触れた。
少なくとも、触れてしまった、と感じた。
今日(ややこしいことに、《エンティミシア》標準では既に昨日になるが、私がこの記録を記している
惑星の座標にして、北緯29度18分d秒、東経2度a分1c秒の地点。
海にほど近い小高い丘の上に、その建物はあった。
実際、到着した惑星で他の
いまや散り散りに宇宙に散らばった私たち
そこで利便性の観点から、複数の
ただ、そうした実益を備えた建設ばかり、とはいかないのが――これは知的生命体の
私たちの心強い相棒である
それが世代を経て
だが、私たちの言わば
ともかく、
それを用いた
ところがそれが、一時の熱病に治まらない種類の
実の所、
しかし、そのような
“我らが使命――宇宙の果てを
そのような非難も多くあった。
だが、それでも彼らは
銀河と星系を渡り歩き、資材を集め、己の
やがて時代が下り、
だが、そうすると、ひとつ、興味深いことが起こる。
それはその星で一番高い建物だったり、歴史的価値を持つ文化遺産的な物だったり、何かのランドマークだったり――ともかく、“
だがしかし、世代交代や電脳用擬体の交換等によって、その固有の“
そういった者が、自身では直接訪れたこともない母星にある建物を、
分からない。私の
ただ、ともかく行く先々のいくつもの惑星で、私は“新しく造られた
それは簡単に形態を真似ただけような稚拙なものから、可愛らしいミニチュアサイズのもの、そしておそらくは精密な設計図と、実物と同じ組成の
巨大な真っ白いドーム状の外殻の中、規則正しく立ち並ぶ無数の
あとで
その星でも――遺憾ながらも、ご多分に漏れず――昔、大きな、戦争があったのだという。
その数多の犠牲者を悼むための、それは巨大な
どうもまた話が
今日、私がここ《チキュー》に到達して、上空からその建物を発見した時、それもまたその種の“
なにか間違いがあってはいけないから、私は《びいどるだむ》を少し離れた浜辺に着陸させる。
大気圏外からの光学分析と、大気圏に突入して着陸するまでに実際の
おおよそ
私は惑星上での活動用擬体の一体を、船内から外部に
浜辺の景色は美しかった。白い砂地の先に、
振り返れば、砂浜の先に
その向こうに、それがある。
私は
モニタの光学観測にしておよそ2f-muの高さで屹立する巨大な尖塔が、頭上を圧するように迫ってくる。それを中心に、いくらか小振りな――それでもやはり堂々とした造りの――いくつもの尖塔が寄り集まり、しかし、明らかに
建物に接近した私はぐるりとその周囲を回りながら観察を続ける。
表面は質素な砂岩の質感と色彩をそのままに残しているが、ある一方の壁面の全体には偏執的なまでの密度で彫刻が刻まれていた。その中には、ひとつの頭部と二本の前肢と二本の後肢を持つ、典型的な
かと思えば、反対側の側面では、装飾的な彫刻は一切排され、若干の抽象化を施された形態の
さらに高度を上げる。すると、色彩が私の眼に飛び込んでくる。
それぞれの尖塔の頂上には、おそらくは有色ガラスを砕いた、いびつな三角形や四角形の欠片を組み合わせて、色取り取りのモザイク模様で果実や穀物の穂を模した彫刻が
そして最も高く
そうして、ぐるぐるとその威容の周りを飛び回った後、私はひとまず元来た方向の地面に着陸する。
建物にはいくつも扉で開閉する開口部らしき箇所があって、どこが本当の正面に当たるのか、私には判断できなかった。
私がその時目の前にしていた壁面には、先述した
私は
《建造物名:《null》》
《建造者:《タツミ=シズヒト》》
《共同建造者:《null》》
《共同建造者:《null》》
《共同建造者:《null》》
予想通り、この建物を建造したのは、この惑星の情報を詳細に調べ上げ、
しかし、驚くべきは共同建造者の欄がすべて
これほどの規模の構築物を、たったひとりで?
一体どれほどの資材と、どれほどの時間、そして労力を掛けてこの事業が為されたのか。私は
建造物名が無記銘なのも気になったが、そこに私は《タツミ》氏の何か強い
そして、施工期間。
《施工開始年月日:04/11/EC:f0c》
《施工終了年月日:《null》》
《最終更新年月日:07/23/EC:f1e》
18年間!
18年間もかけて、氏はこの偉大なる建築物を、たったひとりでここまで造り上げたのだ。
気がかりなのは施工終了年月日が記録されていないことだが、《タツミ》氏にはまだ建築を続ける意志があったのだろうか。それとも、敢えて完成させなかったのか?
門のひとつにそっと触れた。少し力を加えると、重厚な手応えを感じさせて、葉群の扉は内側に向けて両に開いた。
外壁の彫像等を鑑みても、この建造物を造った《タツミ》氏の種族は、私の種族よりも若干小柄だったのだと思う。彼らにとってはおそらく堂々として大振りな扉も、私には丁度いいぐらいのサイズだった。
建物に余計な傷を付けてしまわないよう、慎重に私はその中に足を踏み入れる。
そして、エントランスのような空間を抜けると――きゅるきゅる。また喉が鳴った(これは私の種族が驚いたときや、感情を大きく動かされたときに出る、生理的な反応なんだ)。
石造りの森、とでも言えばいいのか――それもただの森なんかじゃない、金銀玉蘭に彩られた、煌めくような――ああ、こんな時、自分の表現力の乏しさが恨めしいよ!
内部は規則正しく配置された白い柱列が高い天井を支えて、広々とした空間を作り出していた。その柱の一本一本は良く見ると根元から十二角形、上方で二十四角形に断面を変化させ、球形の形態に接続されるとそこから二本、四本と枝分かれしながら完全な円形に近づきつつ天井へと接続する。幾何学的でありながら有機的なその造形が、高度に抽象化された樹木の並びを思わせるのだ。
そして、その色彩。
赤、橙、黄、緑、水色、青、紫――虹色のグラデーションを描く薔薇窓のグラスが、傾いた陽の光を透かして、堂内を極彩色に彩る。柱の微妙に角度を変える表面が、その色合いを一層幻惑的なものにする。
私は茫然と歩を進めながら、酩酊したかのような感覚すら覚える。
気づけば、整然と並べられたベンチ――外の彫刻で表されているサイズの感覚からすると、なるほどその種族が腰を下ろすのには丁度良いぐらいのもの――の列に行き当たった。
どうやら私は建物の側面のファサードから足を踏み入れてしまったようだった。
ベンチの列を挟んだ反対側にも、出入り口の扉が見える。
そして私がふと右手に
私は二列に並んだベンチの横をぐるりと回って、列と列との間に慎重に足を踏み入れる。最前列にまで辿り着くと、さらに前方――石段の上で数段高い位置にある祭壇へと真っ直ぐに向かい合う、小さな背中があった。
彫像と同じ、典型的な
さらに近づき、細心の注意を払いつつ前面を覗き見ると、俯けたヘルメットの前で両手の五指を互いに固く握り合わせ、
外面の彫刻群のどこか象徴的な配置や造形から、私はこれがとある宗教の聖堂か、それに類する建物だったのではないか、と類推していたが、ここにきてそれは疑いないもののように思えた。
“彼”から一時眼を離して、その向かっている先に私も視線を遣ってみる。
数段の石段を昇った先に祭壇が
これが、この宗教に
しかし、それに向き合う“彼”の姿からは、この“彼”の行為そのものが、崇高なものである、という気配すら、私には感じられるようだった。
だから、それからの私の行動は、
結果は一瞬で私のモニタに表示された。
《Com No.2c9d37p1974 《タツミ=シズヒト》》
《
予想したとおり、“彼”が、この惑星を発見し、《チキュー》と命名し、
《ねえ、君》
私は心の中だけで呼び掛けてみる。
《君はどうしてこんなところまでやってきたの?》
そっと、ヘルメットに爪を這わせてみると、埃が払われた筋が、暗いバイザーの表面に残った。
《どうしてこんな物まで?》
返事はもちろん返ってこない。
《タツミ》氏は電脳用擬体を用いなかったようで、外装から見てもかなり旧式(当時は最新型だったのかもしれないが)のスーツを自ら身に纏って活動していたようだった(電脳用擬体に更にスーツまで着せ、
一瞬、このヘルメットを外せば、氏の素顔を拝むことができる――そういう
それでも最小限、氏のバックパックの外部ジャックに、私のバックパックから伸ばしたコードを接続して、氏の
事が終わると、私は改めて氏の亡骸に、私の種族なりのやり方で祈りを捧げると、また――ベンチを
振り返れば、沈みゆく残光が尖塔の影を縁取り、建物全体を立ち昇る
私は思わず、またも祈りの姿勢を取っていたよ。
それは明らかに、神の宿る光景だったから。
そうして私は、聖堂が
今日はここで筆を
明日はおそらく終日、《タツミ=シズヒト》氏の情報と、彼が建造したこの偉大な
ここまでこの手記を読んでくれて、ありがとう。
出来れば、また次の記録で。
真心を込めて――《メリダ=ティミス》
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