第38話
色々なところを回って、那覇に戻ってきた。
いろんな人に会い、語り、突然予定にないところに出かけ、泳いだり、走り回ったり。独り旅のだいご味を味わった。
それでも、僕は結局、同じところをぐるぐると回っていた。布団の中で瞼を閉じると、将棋のことを思い出した。
弱いけど、好きなんだ。どうしようもない。
国際通りをぶらぶらする。ごった煮になってはいるけれど、実は一番沖縄で薄味。お土産は他のところで買ったし、人込みは相変わらず苦手だ。
気づくと僕は、島崎さんの店の前にいた。暖簾は下りている。
「こんにちは」
「いらっしゃいませー。ん?」
中には、島崎さんしかいなかった。
「さくらちゃん?」
「はい。お久しぶりです」
島崎さんは、僕が座る前にカウンターに泡盛を注いだコップを置いた。
「一杯目はサービスね」
「一杯で帰るかもしんないですよ」
「そん時はお通し代千円ね」
「じゃ、お通しいらないです」
腰をかけると、肩から空気が抜けていくような感覚に襲われた。色々な場所を回ってきた結果、ここが一番落ち着くという不思議。
「なんか、変わったね。最初気付かなかったよ」
「髪切ったんですよ」
「それだけじゃなくてさ。大人っぽくなったっていうか。恋した?」
「惜しい。失恋」
「おっと、傷心旅行ですか」
僕は、島崎さんと他愛のない話を続けた。普段どんな生活をしているのか、将棋のプロってどんなものかも話した。島崎さんの恋の話、親の話、特技の話を聞いた。
「沖縄来るとさ、なんかみんな三線したくなるんだよね。でもおんなじことやるの嫌だから、俺は太鼓やろうって。あの、エイサーで叩いてるやつ。でさ、じゃあやってみるかって言った人が持ってきたのがウフデークーっていう一番でかいので。二時間でやめたよ」
「そのあと楽器は何もしなかったんですか」
「うん。俺には向いてないなって。俺は、沖縄の酒に惚れたから、酒のこと極めよっかなって」
「それも楽しそうですよね」
島崎さんが楽しそうなのは、誰とも競っていないからだ、と思った。自分のやりたいことを、やりたいだけやる。辞めたくなったら、すぐに辞める。仕事は、生きていくのに必要なだけやる。
僕の生き方は、全く違う。
思うことがある。僕より強い人がみんな死んだら、僕は強くなる必要があるだろうか。僕は強くなりたいのではなく、負けたくないだけではないか。
純粋に将棋を楽しんだのは、あの日までだった気がする。あの日以来僕は、彼の幻影を追い続けている。
「あっついぞー」
入り口から元気な声が。
「おう、いいところに来た」
「え、いいところ?」
「久しぶり」
「……さくら?」
Tシャツに短パン、首にはタオルをかけている。まるで、我が家に帰ってきたかのような様子だ。
「また来ちゃった」
「どーしたの、髪切っちゃって。失恋?」
「みたいなものかな」
美鶴は、僕の横に腰かけた。
「すっごーい。美鶴も沖縄に居ついちゃう?」
「うーん、連盟から交通費出ればいいけど」
僕は、バックから細長い箱を取りだした。それを、美鶴の前に置く。
「なになに」
「会えたら、渡そうと思って」
「これ……あけていいの?」
「うん」
蓋を取って、美鶴は中身を取り出す。そして、棒状になっていたそれを広げた。まっ白いキャンバスに、黒い文字。
「これ……」
「私の扇子が出たんだ」
「美鶴の?」
「そう」
「……在心……って書いてあるの?」
「うん。なんか書けって言われてね、僕の場合無心にはなれなくて、心在る状態で必死に戦おうって意味から。かっこいい言葉がよかったんだけど、思いつかなかったし」
「なんかいいと思う。それに、こうやって見ると木田桜っていい形の名前だよね。いいもんもらっちゃった、ありがとう」
「ううん、そんなものしかないけど。私こそ、ペンダントありがとう」
「いやいや、あんなものでよければいくつでも」
美鶴は、本当にうれしそうな顔をしてくれた。自分の作ったものを褒められるのは、誰だってうれしいものだ。僕も、あの二枚飛車を褒められると、自然と頬が緩んでしまう。
そして、彼女は気付いているだろうか。この髪も服装も、ペンダントに合わせて選んだということを。
「本当にさ、プロになるって大変だよね。私よりうまい人なんていっくらでもいるんだから、びっくり。でもまあ、ただであげるにしてはいい出来かなって」
「ほんとに、これ気にいってるよ。それにね、プロって、維持するのが本当大変。アマだったら明日の対局さぼれるのになあ、って思うこともある」
「そうなんだ」
昔は出たいときだけ大会に出て、行きたいときだけ道場に行けばよかった。今僕はタイトルを獲って臨時収入が確定しているし、もう少し夏休みを取ったってお金がなくなることはない。でも、そうなれば対局も他の仕事も増えるのだ。明後日には対局がある。プロとして、指さない選択肢はない。
「美鶴も、いつかなんかのプロになったらわかるよ。なんかおばさんの小言みたいになっちゃった」
「ははっ、お小言ありがたく頂戴しときます」
夜は長く、僕はその甘さに溶けていった。それでも、強く心に誓った。もう、ここに逃げない。この心地よさは、僕にプロであることの意味を忘れさせる。
深夜、宿に戻った。旅人たちはまだ起きている。僕はしばし、最後の余韻を分けてもらった。
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