第24話

 二か月ぐらいたった時だった。

「姉ちゃん、明日街行かない?」

「え?」

「将棋の大会があるんだ。お母さんにはさ、買い物って言っとく」

「……でも」

 それまで、樹とは将棋の話をしたこともなかった。それなのに樹は、私に足りないもの、欲しいものを知っていたのだ。

「なんで我慢するのさ。いい子にしてたって、何にも貰えないよ」

「……うん」

 次の日、朝早くバスで街に向かった。地図を頼りになんとか大会会場を見つけ、二人で建物に入って行った。

「受け付けはこっちだよ」

 ひげのおじさんが声をかけてくれた。

「おや、お姉ちゃんは付き添い?」

「何言ってんだ、桜が参加するんだよ」

「ああ、それはごめん。B級でいいかな」

「Aに決まってんだろ、なあ」

「え、私は……」

「男ならてっぺん目指すもんだろ。Aに一人、木田桜っと」

 樹は勝手に参加の手続きをして、自分の財布から参加費を支払った。

「ごめん」

「いいんだよ。ここまでしてやったんだから、活躍しろよ」

 会場に女の子は一人だけだった。それでも将棋の大会に参加できるということで興奮して、周りの目は気にならなかった。言われるがままに着席し、最初の対局が始まった。そして驚くほどあっさりと、勝ってしまった。正直、話にならなかった。

「すげーじゃん! よくわかんないけどさ、圧勝だってみんな言ってたぜ」

「……うん。うまくいった」

 次の将棋も簡単に決着が付いた。定跡も関係なく、思いついた手をポンポンと指してくる感じだった。日頃師匠に教えられていたことを実践して、落ち着いて相手の手を咎めていくと、簡単に必勝の局面になった。知らない間に僕は、かなり強くなっていたようだった。

 そのあとも、順調に勝っていった。次第に、みんなが注目しているのが僕にもわかってきた。誰にも知られていないうえに、女の子なのだ。負けた中には、泣きだす奴もいた。少し、快感だった。

 そして、ついに決勝戦まで来てしまった。相手は、見るからにおとなしそうな細面の少年だった。小学生らしくない落ち着きがあり、ゆっくりと駒を並べる動作を見て、それまでの子とは違うということが感じられた。

「川崎です。よろしく」

「え、あ、木田です」

 僕たちの周りには人だかりができていて、急に緊張してきてしまった。とんでもないことをしてしまったのではないか、そんな気がしてきた。前日まで、僕は大会のことも知らなかったのだ。普通に行われるはずのものを、かき乱してしまったのではないか。

 勝負は淡々と進んでいった。定跡通りの、がっちりとした相矢倉。それまでの相手とは全く違う、本格的な将棋になった。初めて、ちゃんとした勝負をしているのだと思った。

 けれども、相手にとって僕は「ちゃんとして」はいなかっただろう。中盤以降、力の差が如実に局面に反映され始めた。駒が抑え込まれて、突破口がなくなってくる。無理に手を作ろうとして、丁寧に対応されてなお悪くなる。師匠に指導されているときのような、圧倒的な差を感じていた。それでも、あきらめたくはなかった。やっと、将棋を本当に楽しめる相手と出会った、そんな気がしていたから。

 僕の囲いは全く崩れていない。それでも、もう勝負はどうしようもなくなっていた。

「負けました」

 僕がそう言った時、周囲はざわめき、相手は意外そうな顔をした。普通はもう少し指すものなのか、ぼんやりとそう思った。

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