第18話

 美鶴の言う王道は、グラスボートだった。船の底がガラスになっていて、魚の泳ぐ姿を見ることができる。

「一人だったら来なかったもんね。感謝です」

「確かに……」

 私たち以外は全てカップルだった。これは、一人では乗りにくい。

「なんかね、なかなかきっかけないんだ。那覇にずっといると、沖縄の海のことなんて、忘れちゃいそう」

 浅い海の底に、珊瑚や小魚が見える。どちらかと言うと、魚の方が色鮮やかだった。えさが投げ込まれ、海面から飛び出さんばかりに魚たちが跳ねまわる。そして遠くを見れば、澄み渡る青い海。そして、青い空。

「美鶴は、最初っからずっと那覇なの?」

「ちょっとは出かけたけどね。北谷とか、コザとか。でも、永住する予定だったし、仕事見つけなきゃって思って、毎日歩きまわってた。夏になっても海とか見る余裕ないし、友達もなかなか会えないし、あー、これじゃ本土のときと変わんないなー、って思って、自転車で南の方行ってみようって思ったわけ。そしたらパンク。びっくり」

 柔らかそうな唇から、明るい声がたくさん溢れ出てきた。海面が光を反射するだけではなく、彼女の顔は輝いていた。それに比べて僕は、ぼんやりと沖縄全てを眺めている。このまま吸い込まれて、透明になりたいのだ。

「あ、そういえば聞いてなかった。さくらって、仕事はなにしてるの? 学生じゃないよね」

「え、わかった?」

「なんか、きっちりしてるもん。社会に出てる顔してるし」

「そうかな……」

 僕らの職業は世間からは浮いている、と思っている。小学生の頃からプロと同じ屋根の下で競い合い、年齢に関係なく資格を得て、一週間に一回よりも少ない対局を生業としている。中にはゆるみきった人もいるし、会話するのが大変な人もいる。学生でないことは確かだが、社会人として見られるような顔つきをしているかどうかは自分ではわからない。

「うーん、料理とかしてない? 中華のイメージかな」

「どっちかっていうと和食かな……料理じゃないけど」

「え、ひょっとして陶芸とか?」

「近い、のかなー。あのね、将棋のプロなんだよ」

 三秒ぐらい、美鶴の動きが止まった。多分、僕の言葉の意味をすぐには解釈しきれなかったのだろう。

「つまり、将棋を指してお金をもらう人?」

「つまり、そう」

「あのね……あの人。定家さんと一緒の?」

「まあ、私は女流だけどね」

「へー、へー、すごい。さくらって勝負師なんだ」

「いやあ、まあそうなるのかな」

 会話が聞こえたのだろう、他のお客さんもちらちらとこちらを見ている。恥ずかしいのと同時に、タイトルに挑戦していても世間には全く知られていないことが悲しかった。そして、今は将棋のことは忘れていたい。

「全然そんな風には見えない、かわいい女の子って感じなのになー」

「……はは」

 視界の端で、白く薄いものがひらひらとはためいていた。女の子らしいもの。

 ボートはゆっくりと進む。深いところまで、一度は行ってみたいものだ。

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