第7話
焦っているのではないかと、心配になった。これまで、若手はタイトルに挑戦することができなかった。若手トップは、強豪に勝つことも珍しくない。けれども、すべての強豪に勝てなければ、挑戦者にはなれないのだ。調子が良ければ対局が増えるが、それだけ負ける数も増える。挑戦者リーグ、早指し戦本戦、敗者復活戦。毎週のように対局がつき、毎週負け続ける時が来ると、若手は明らかに狼狽する。それに対してベテランの先生は、負け方を知っている。負けていいと思ってはいないだろうが、負けたことを受け止められる余裕がある。そして一つのチャンスをつかめたならば、そのことに集中し、さっとタイトルを獲ったりする。
川崎が並の若手強豪なのか、否か。それはこの桂馬の行く末でわかるような気がした。行き場の少ない桂馬が、百戦錬磨の中沢九段をどこまで苦しめているのか。僕には、何もわからなかった。悔しいけれど、二人の闘っている場所は、あまりにも遠かった。モニターの中に、大海原が見える。飛行機から見た時の船のように、駒が盤上に小さく浮かんでいる。どこに向かうのか、どのような船なのか、目を凝らしてみてもわからない。いつか、わかる日は来るだろうか。
「ぎりぎりですね。正確な受けがあれば大変ですよ」
祈るような気持で、攻めきってほしいと思った。それは川崎に対する応援の気持ちというよりは、川崎よりも強い人が、できるだけ少なくあってほしいというわがままな気持から来るものだった。川崎を目指すことが、頂点を目指すことであってほしい。
駒を動かしながら解説している途中に、桂馬がぽとりと落ちた。マグネットでくっつくタイプなので、ままあることだ。それでも、僕と解説者の先生は一瞬顔を見合わせ、同時にモニターを見た。当然、モニターの中の桂馬は盤上にしっかりとある。けれども、中沢九段の王は、するりと桂馬の射程距離から逃れていた。それは解説にもあった手だったが、あまり有力ではないと言われていた。「含み」がないのだ。ただ逃げるだけの手に対しては、逃げるのを阻止する手を考えればいい。そんなに焦っていると感じたのか。それとも、本当にそれを最善手だと考えたのか。
喋っていることが、自覚できなくなった。僕は、ルールを知らないスポーツを見るように、対局の流れを傍観していた。ただ、ひいきの選手を見つけて、眺めている。
「これは、決まりましたね」
川崎の玉が、香車の上に乗っかった。事前に当たりを避ける、手筋の一着。突然の、受けの一手。それで何が決まったのか、僕にはわからなかった。いつの間にそんな余裕ができていたのか。中沢九段も秒読みに入っていた。
そして、次の手が指されることはなかった。
ちゃんと見てみれば、確かに形勢は傾いていた。玉の早逃げにより、駒を渡さずに攻める手はないし、駒を温存されては入玉するのも難しそうだ。あの桂馬は今では遊び駒になっているが、中沢九段に誤った道を進ませるきっかけを作ったような気がする。
放送時間の限界が近づいていた。僕たちは何となくまとめるような話をして、そして締めの言葉を告げた。
「いやねぇ、はい、楽しみな七番勝負になりますね」
「そうですね」
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