第6話
夜九時。局面は終盤に入ろうとしていた。
CSでの中継も再開され、忙しさと緊張感で熱気があふれていた。
端攻めから攻めをつなげようとする川崎五段。その攻めを柔らかくかわし、入玉含みで反撃の機会をうかがう中沢九段。どちらがいいとも言えない、難解な局面が続いていた。
「いやあ、熱戦です。挑決にふわしいですね」
定家四冠も去り、会館からタイトルホルダーが消えた。それでも錚々たるメンバーが残っているのだが、どこか皆不安げだった。あまりにも当たらない検討と、それでいて素晴らしい指し手の数々。コメントするのが怖くてばかばかしくなるような、未知の世界の戦いだった。
「どちらがいいんでしょうか」
「どうなんでしょうねぇ。よくわからないですねえ」
解説者も、かつてタイトルに挑んだことがある大先生だ。しかし、明らかに浮ついていて、自分がとてもかなわないことをさらけ出してしまっている。僕などでは到底手の届かないところだ、と思うとひどく悲しかった。
それでも仕事はしっかりとやらなければならない。僕は解説者からいろいろと引き出して、視聴者に情報を提供するお手伝いをしなければならないのだ。
「中沢九段は、入玉などは得意なんでしょうか」
「そうですねぇ、とにかく寄ってそうな玉が逃げていくパターンは多いんですよ。自玉の詰みを人より読んでるんじゃないですかね」
「そうすると、川崎五段としてはかなり慎重に攻める必要がありますね」
「そうは言っても、流れからして元気良く行き続けるんでしょうねぇ」
十時過ぎ、川崎の持ち時間がなくなった。ここからは一手に60秒しかかけられない。一分は、本当に短い。相手に持ち時間が残っている時は、なおさらそう感じる。相手が一時間考えていても、トイレに立つことすら緊張する。席を外している間に指されたら、時間が切れてしまう。僕は過去に一度、局面に集中するあまり秒読みの声が聞こえなくなってしまったことがあった。突然「五十五秒」という声が聞こえてきて、あわてて全く考えていなかった手を指してしまい、すぐに敗勢に追い込まれてしまった。将棋のことを考えながら、時間を気にするというのは大変な作業だ。しかも体力的にも最もきつい終盤の局面で、秒読みはやってくる。
「しかし自玉もそんなに固くはないですから。これ以上駒は渡したくないです」
「特に危ない筋というのは」
「端に手をつけているということは、自分も逆襲される危険があるんですね。たとえば9三歩から9四桂などの筋が決め手になってしまうと大変です」
将棋は逆転するゲームだ。形勢もそうだし、攻守もいつ交代するかわからない。「攻防の手」が出ると、すぐに将棋が終わってしまうこともある。今は川崎が一方的に攻めているようでも、受けながら攻める手があれば自玉のことを心配しなくてはならなくなる。
「桂馬を渡さない攻めとなると、どうしたらいいでしょうか」
「当然歩で攻められれば言うことがないんですよね。4六歩のような手が間に合えばいいんですが、強く5七金などとされてどうでしょう。手に乗って逃げられるのが、まずいんです。桂馬や香車は渡したくないんですけど、入玉されたら使い道も減りますからね。決め手だと思ったらえいっと打ちつけたいんですよねぇ」
まさにその時、モニターの中で桂馬が打ちつけられた。先手玉に直接向かっていく、強い攻めの手だった。だが、桂馬は後戻りのできない駒だ。上部に逃げられれば役に立たない上に、取られてしまえば自らを危険に陥れる駒になる。
「決めに行ったと考えていいんですか」
「そうですね」
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