展望 -攻略

 苦手な理数は、早々にして切り捨てた。やろうと思えばやれなくもないが、点数として明らかに足を引っ張る上に、勉強に充てる時間も膨大なものになってしまうからだ。当然、選択肢は絞られたが、理数の試験が必要のない大学というのも、探せば幾らでも見つかるものである。勿論、水準、偏差値としての水準は落ちる。かつての私からしてみれば、恐ろしくレベルの低い戦いだった。だからこそ、2014年初夏の時点で、完全にゼロだった大学への準備の状態から、志望校を3つ程に絞り・目標を定めて・どこまでの点数をどれだけの質で対策するべきかを具体的に練ることができたし、十二分な勝算を確保することができた。云い方が妙だが、こう云うしか私には思いつかない。

 卑怯なやり方のような気もするが、得意分野で、かつ水準を落として戦う、というのは、抜け道特有の攻略手段だった。後も先も、これを逃せば中卒のまま浪人することになって、これは何が何でも避けたかった。とかく、大卒という称号を得たかったのだ。私は。

 勉強には、かつての私が学んでいた塾を利用した。と云うか、大いに活用した。やり方は自由だから、耳にイヤホンを詰めてお気に入りの音楽を聴きながら毎日昼日中から勉強できたし、ミントガムも自由に噛めた。当時はとかく人間嫌いだったから、こうやって、自らを人間から隔離していた。稀に、幼い頃から高校まで一緒だった友人と、塾で顔を合わせて、話をする機会もあったが、夏を終える頃にはそれも失せた。どうなったのか、私も、知らない。

 あらゆる自力を以て、模試を利用し現状を把握しながら、志望校の二次試験の対策を練りつつ、時には少々足を伸ばして最適な学習環境を整えつつ、墜落した学力を取り戻していった。訂正。現国は、勉強しなかった。だって、出来たので。えっへん。逆に、古漢や英語、特に両者の文法レベルでの知識は、これは悲惨なものだったから、学習しつつも現国の点数で補う戦略を採った。地理の苦手は歴史の得意でカバーした。地歴は予備知識を総動員した、一からの学習になったが、幸いにも、私は、史実を元ネタに好き勝手な改変を行った某ファンタジック・ストラテジーが大好きだったので、特に三十年戦争とかフランス革命あたりは知り合いがたくさん登場してくれたから、かなりの割合で、楽しみながら勉強できたと思う。おかげで、センター試験本番では何処ぞの盲目ガチムチ戦闘狂王が出題された際、あーあーあいつねうんうん間違える訳ないよね、なんてリラックスできた。尚、センター試験では、後ろの席に、恐らく某進学校1年生時代の同窓生がおり、私の一番苦手な古文の先生が付き添いに来ていたし、バッチリ微笑んでくれたことも、記憶に残っている。高校から逃げた私をにっこりと莫迦にしてくれたようだが、ちゃんと点数は確保した。後々、センター試験の点数で合格決定、なんて出してくれるくらいには。(当然、前述の通り、水準を落とした結果ではある。これはひじょうに重要なファクターだ。)


 結論から云うと、試験ツアー中、つまり2015年明けから2月中旬にかけての期間中に、私は第一志望校を替え、本来の第一志望校の選考から落ちた。二次試験を突破する自信が持てなかった、というのが、嘘偽りのない、最大の理由だった。それに、本来の第一志望校が、結構遠かったことも、変更の理由だった。カネの計算をした際、私はひとり暮しを手に入れることが出来たとしても、全体の経費は倍近くにもなることが判明したのだった。

 というのも、ここが私の悪いところだったのだけれど、そしてそれを知った際には(たいへん失礼ながら)蹴ってやろうかとすら思ったのだけれど、別の大学で特待枠を確保できたからだった。私は、自分がそんな認められるべき人間ではないことを厭という程知っているし、そんなものになってしまうとまた他人の期待に応えて自称進学校に進んだあの時と同じ過ちを繰り返してしまうのではないか、と危惧したのだった。然し、結局は、その学校を選んだ。同じ大卒なら安くついた方がお得だし、都合の良いことに、そこには私の学びたいとある貴重な機会が確保できるという幸運が転がっていたからだった。

 偏差値の高低から、そしてネームバリューからすれば、その選択は間違っていたのかもしれない。現に、大卒を取って尚、私はこうしてロクな職に就けないまま、しかも大学で学んでしまったことから自己実現なんて遙か彼方にぶっ飛ばしてしまった事実が今の私を大いに苦しめていることに、間違いはない。然し、間違っていたのだ、とは、私には、どうしても思えないのだ。主体性を確保し、そして断崖絶壁の道で学んだからこそ云えることは、そこで学んだことは明確に、私の糧になったということ。他の学校で、同じように学べたか、と自問しても、明確な答えは返ってこない。ここに、私個人の、筆者としての恣意性がはたらく。もし私のことをよく知る読者がこれを読んでくださっているのならば、この恣意性、そしてこの不確実性が、よく理解出来る筈であると信じてやまないし、私は明確に、私の学びたいことを学ぶことが出来た。


 ひじょうに有意義な大学生活を送ることができたのは、こう云った経緯があってこそだったのかもしれない。常識から外れ、余裕などなく、ただただ突っ走るだけの狂輩としての主体性。


 学ぶことが職に結びつかないと理解することは、とても悲しいことであったし、それ以上に、それ以外のたいへん大きな事情が重なっていたから、私は就職を間違えた。そうして今、このような、にっちもさっちもいかず、2013年9月4日、日記めいたものを自室で書きながら、窓を開けた時に吹き込んできた夕暮れの風と同じ空、破滅の空を、私はリフレインしている。空の色は、群青でも、暖かでもなく、薄い水色だ。私の大好きな色。

 けれども、ひとつ、このコロナ禍とかいう、歴史上には人類が経験してきたことの繰り返しであったとしてもこれほどにまで個人の命の価値が高まってしまった上では経験のない未曾有の災禍が、誰の具体的な予測もなく、突如として人類の目の前に顕現し、私を覆い尽くした時、私は、私のとある事情を去年のうちに片付けておいたことが、それが偶然叶ってしまったことが、そしてそれがとても示唆的な日付に行われたことが、あらゆる運命を物語っているような気がしてやまないのである。


 人類は、無菌室の扉を開けようとしているようだ。少なくとも私のような愚か者には、そう見える。その先にあるものが、とある作家の見た調和のユートピアなのか、誰も知ることはないだろう。もし天国か地獄か、とりあえずあの世というものがあって、そこから此方側が見えるとするならば、そのユートピアを想像した作家は、きっと、ほくそ笑んでいる筈だ。ちょっとしたムーブメントにもなったことだし。つまりSF百合のことなんだけれど、ここでは語らない。私よりもっと適当な人が、語ってくれていると思うし。


 何より、この文字を書き殴ったものは、自分のために、自分の直面した破滅の構造分析を、稚拙ながら行おうとした残骸なのであって、既にこれは残骸である。意味を為さないものなのか、と問われれば、これは構造だとしか答えられない。私は、その程度の人間だ。もっと学ぶには、墜落してはならなかった。今になってやっと、後悔している。然し、焼け爛れた翼は、元には戻らないものだ。

 墜落死仕切らなかっただけでも、幸運と思うべきなのか。

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