破滅 -憧憬

 2020年8月11日。

 私は、勤めている(一応、今も従業員ではあるが、)会社から、立ち去った。

 同一性を取得した私に用意された席だった。あらゆる人間が、(私以外に、たった1人を除いて)歓迎してくれていたし、私もそれを歓迎した。そのためには私は私を捨てなくてはならなかったが、同時に、私は私を捨てた向にある光明を手に入れていた。天敵であると知っていながら、私は再び、普通になんか、憧れていたんだ。それは今から思うととても愚かで、過ちの再生産に過ぎなかったのだけれど、私にとっては、とても重要な儀式だったのだと思う。物理的にぶん殴れば人殺しになれるくらいの重量のある大量の本たちで武装して、同年6月、光明に憧れた女の愚を精算しにいったのも、私にとっては、ひとつの可能性を確実に諦める為に、必要なことだったんだ。

 ――時々、思い切り殴れば死ぬレベルの重量のある鞄か袋で原始的に武装をするのは、どうやら私の趣味らしい。中身は、本だ。いついかなる時であっても、本だったし、これからも本であろう。それは不安の顕れで、ひとつの安心材料を私に提供するものでありながら、――閑話休題。どうでも良いことだけれど、読書家の諸氏に於かれましては、不倶戴天の敵に立ち向かう時には、本のブラックジャックで物理的に武装をすることを、お勧め致します。

 よって、私は、再び、与えられた普通の期待に、応じなかった。そして2013年の秋にやっていたように、また、私は、こうしてPCを前にして、ものを書き殴っている。運命に従った私は、だいたいまず身体をぶち壊す前兆を観測し、適応しようとしながら、時折適応したふりをしつつ、期待に応えることを継続しながら、ぶち壊された身体と、いつの間にやらとんでもないダメージを負った精神を引き摺りながら、ある日突然、なんでもいい、簡単な切欠で


 ……ああ、思い出した。2013年の当時の私にとって、それが何だったのか。


 親友の、嘘だ。


 簡単な切欠。裏切り。最初から裏切られていた。私の期待に応えなかった。それは私の一方的な期待だった。劣情と同等の、期待だった。私は、血が好きだ。どうして。どうして、お前は、私を置いていったんだ。現実に生きる為には、血を好んではいられなかった? それとも、自らの幼児性に気が付いた? それとも、もう、死んでいるのか。たぶん、何にも思わずに、私の想定など何にも思わずに、普通に、苦しんで、苦しむことも普通になっているからそれをも自覚しないで、うまく生きているんだろう。しがみついて無様に藻掻き苦しんでいる偽物の狂人は、結局本物の狂人かもしれないという期待を抱きながらも、それを半ば恐れながらも、楽しんで、転げ回っている。

 私は、すきだったよ。笑ってやろうぜ。

 私は、裏切りに遭った。2020年。私の存在の根本、どうしようもない部分を揺らがせるような、裏切りだった。善意は、望まない悪意を引き連れていた。透明な悪意。

 善意で踏み固められた道が、地獄に続いていることもある。

 お気に入りの本からの引用の筈なのだけれど、これはたぶん、正確ではない。うろ覚えだ。

 私は、これまでの経験から、1年と半年くらいは耐えられるはずだし、もう少し期待もできるから2年くらいを目安に耐えようと思ってきた。それでも、こんな簡単に、壊れることが出来たのは、裏切りの質が私の根本、産まれてしまった以上はどうしようもない基盤そのものへの疑念を抱かせるものだったからなのだろう。歓迎しない1人によって弱った私に、期待に応えようとして空回りしかしない専門外の私に、あらゆる夢を諦めようとした私に、そして女として挫折した私へ、それは、会心の一撃だった。

 ぶち壊された私は、最早壊れていることもわからないまま、動き続けた。動けなくなったことで、私は、私の異常が尋常の領域を超えていることを悟った。

 診断名「適応障害」。

 先に述べた尋常の領域の中に、私の病の名は収まっている。一応、上っ面は、そうなっている。私の根底を云々はともかく、表面に顕れた私の異常は、この社会が尋常として認めざるを得ないものであった。社会の中の個々の社会は、これにそれぞれの対応を示すだろうから、結局は、尋常ではない、と結論付ける羽目になりやすいのだけれど。


 とても重要なことを、私は学んだ。

 ひとつに、己の意思や適性を無視した行いは、厳に慎まねばならないということ。だって、どっちみち破滅するから。しかもそこで頑張ろうとしたところで、総ては無為に終わってしまう。面白いくらいに、成果は出ない。他人からすれば不思議でしかない! 2012年から2013年にかけて、私はそれを経験した。無茶無謀をやろうとして他者から笑われ、それでも私なりに努力をしようとして失敗しながら、然しそれでもと得意だった筈の音楽の領野でバイオリンを担いでみたけれど優秀なのはほんの最初のうちだけで上達できないからすぐに落ちこぼれるだけ、という、とっても莫迦みたいな、そして他人から「どうしてこんなこともできないのか」と問われても「どうしてできるんですか」と答える他ないような、とっても笑える状況にぶち込まれていたのだった。そして2020年も、それを繰り返していた。

 もうひとつに、不正は不正であること。悪銭身に付かず、とは云うけれど、何も悪銭だけじゃあない。私が未来を知って問いに答えて手に入れた他者の願いように、私が過去と生い立ちを利用して手に入れた私に用意されたぬるま湯は、どっちにしても、正規の手段を以て手に入れたものではなかった。然るに、破滅は当然だ。罪には罰が付随してしかるべきであり、不正に手に入れた産物を利用した手段は、結果として、我が身に返ってくる。

 ものすごく単調なこの駄文を、もしここまで読んでくださった方がいるのならば、この二つだけは、憶えていて欲しい。もしかすると、そんなの当然だろ? と思って、もしかすると同じような構造の体験をしてきているのかもしれないけれど、ここで、あらためて、簡単に、述べる。


 一、己の意思は尊重すべし。

 一、不正な行いは、厳に慎むべし。


 余計な、傲慢な、贈り物かしら。だったら、嗤ってください。笑ってください。


 じゃあ、どうするべきなのかしら。

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