破滅 - /同一性
横たわった断絶は空白であり、その向は彼岸であった。私は他人の記録映像を眺めるかのように、此方側から彼方側を観測している。しかもその記録映像は不鮮明で、ところどころに記録者の恣意性が混じっている。そして当然、私が観測しているのだから、私によって、恣意性の混じった記録に、更に恣意性が混じる。こうしてできたものが記憶であるならば、どうして、ごく当たり前に思い出せる事実を、私は私のものとして、実感することができないのであろうか? 記憶とは、恣意性を以て観測した過去の記録に他ならないのではなかったのか。否。ここでいう恣意性とは、一般的に、常に同一の主体を有する。二重の恣意性は含まれない。通常、想起とは、同一の主体によって行われる行為なのだから。
喪った記憶は、空白でありながら、確実に、私を蝕んでいる。
2020年1月。大学を卒業して一年後。私はやっと、当時の私が逃げ出した場所、かの自称進学校の周りを、非常識的散歩と銘打って、彷徨いた。最早地縛霊である。人間でいうなら不審者だ。私は、当時の私の記憶のなかにあるクラスメイトや同級生、先輩や後輩、先生の影におびえた。道は物理的に閉ざされていた。7年も経てば、道も変わろうというものだ。工事中と通行止めの看板が、いつもの通学路を塞いでいた。私は、主体の同一性を取り戻していた。心的外傷の克服、或いは悪化を企図した不審な行動は、私の期待を超えて、私と当時の私を結び付ける役割を果たしたのだ。それは、私が、当時の私と同等か、それを上回る過去の質量を有するようになったからに違いなかった。私は、いつの間にか存在していた16歳ではなく、そこから6年と少しの年月を経た、22歳の6歳であったし、私は私として足を以て地を踏みしめてから半年もしないまでも私の主体生を確立していたから(いや、ここは書いていて驚いた! 半年も経っていないのだから!)、地縛霊的恐怖に打ち克ち、或いは好奇心のままに、不鮮明な記憶を辿りながら、散歩を楽しんだのだ。
その夜、私は、死ぬ程、吐き気と不安感に苦しめられた。
2013年11月。私は、とある日帰り旅行をしていた。寒くて、暖かくて、時間の観念をとうに捨て去った廃人が、とある場所に連れて行かれて、茫漠とした意識を漂わせていた。
私が自主休校を始めてから1、2ヶ月といったあたりだったのか、混乱した記憶、空白の中に無理矢理押し込められた真夏の原色は、観測するにはあまりに鮮やか過ぎるが、客観的な記録に残っているから、恐らくはそのあたりだ。私は、退学することを決心していた。失ったものを数えようとして、残されているものを数えた方がずっと早いことに気が付いた。
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