第86話 司とノワール①

 辰巳健司。

 いつも誰かに囲まれている学園の人気者の一人であった。


 辰巳は野球部のエースで四番。

 努力を惜しまない人間で、部活は一番最後まで残り、常に上を目指し続ける。

 そんな男だった。


 俺たちが高校三年になる来年は甲子園も夢じゃない。

 それぐらい辰巳は注目されてたし、それを実現できるほどの実力があった。

 なのにこいつは、俺を恨んでいる。

 称賛だらけの人生のはずなのに、称賛から程遠い人生を歩んできた俺を恨んでいたのだ。

 

 天野由乃……彼女のことを想い、俺を憎み、そして暴走してしまった。

 いつだって頑張っていて、尊敬していた部分もあったっていうのに。

 だからこそ、こいつのことが余計に腹が立つ。


 あんだけ努力できるんだったら、女のことでも努力しろよって。

 

 俺は鼻血を出している辰巳を睨み付け、全力で駆け出した。

 

「!!」


 爆発的な速度で接近している最中にその鼻血は止まってしまい、剣を構える辰巳。

 回復力もそうとう高いみたいだな。

 戦いが長引いかなければいいが。


 俺は辰巳に蹴りを繰り出す。

 が、そこで奴の姿が目の前から消え失せる。

 辰巳がいた足元を見るが、砂一つ舞い上がってもいない。

 移動した痕跡がない。

 やはりこいつは文字通り、消えているのだ。


 そして背後から聞こえてくる風を切る音。

 これは【心術】のおかげだな。

 精神を強引にでも落ち着かせ、音に集中させることができる。

 【心術】が無ければ、動揺ばかりしていて今頃死んでいるところだ。


 俺は背後から襲い来る剣を避け、相手のみぞおちに肘を入れる。


「うぐっ……」


 さらに後ろに向かって頭を振るい、後頭部で辰巳の鼻を思いっきり叩く。

 さっきよりはるかに大量の鼻血を出す辰巳。

 しかし瞬く間にそれは収まってしまう。


「クソッ! 手間をかけさせるんじゃない!」

「生きるのに必死なんだよ。抵抗ぐらいするのは当然だろ」

「だったら! 抵抗する間も与えない!」


 辰巳は剣に光を纏い、ブンッと空振りをする。


「なっ……」


 すると俺の背中に衝撃が走る。

 後ろを振り向くと、まるでそこだけ時間が止まったかのように、光の斬撃が滞在していた。

 これに俺の背中は斬られたのか……


 俺は辰巳と距離を取るように、横に向かって走り出す。

 辰巳は憤怒の表情のまま剣を何度も振り回すと、その度に光の斬撃が発生していた。


「逃げるだけ無駄だ! いずれお前はこの光に捉えられ、そして死んでいくのだからな!」

「だから俺は必死に生きてるんだよ。死ぬぐらいなら逃げるに決まってるだろ」


 【閃光】を発動させ、辰巳の斬撃から逃れようとする俺。

 しかし辰巳は、【閃光】が展開されている中でも普通に動いていた。


「無駄だ無駄だ! 俺もこの緩慢な時間の中で動くことができる!」


 さきほどと変わらない速度で光の斬撃を創っていく辰巳。

 【閃光】が通じないのはこれで確定した。

 だったら……今以上の速度で動けばどうだ。


「!?」


 加速する俺を見て、辰巳は驚愕している。

 元々速い動きだったのに、倍速ほどに上昇したからであろう。

 奴は目で追うのに必死で、剣を振るう手が止まる。


 だが奴の周囲は滞在する斬撃だらけとなっていた。

 雲がかかった暗い世界の中で、妙に輝く光。

 これに当たらないように接近して行かなければ。


 辰巳を中心に円を描くように走る俺。

 そして奴の背後を取った瞬間、一気に距離を詰める。

 辰巳の背中に飛び蹴りを放つと、ボキボキと骨が折れる音が脚に響いてきた。


「がはっ!」


 そのまま辰巳の頭を後ろから引き寄せ、頭部に膝蹴りをかます。

 ゴンッという衝撃に辰巳は倒れ、頭を振っていた。


「クソ! クソ!」


 背骨が折れ、脳震盪を起こしているはずなのにすぐ復活する辰巳。

 俺は奴に捕らえられないように再度駆け出し、口を開く。


「もういいだろう! 同じ人間同士、それに同じ学校の同級生だ! 殺し合う必要はない!」

「必要はある! お前を殺して天野を手に入れる!」

「この……阿保!」


 辰巳の正面から飛び掛かり、奴が消えるのを俺は待った。

 案の定辰巳の姿は消え去り、後ろから攻撃が来るのを構える。

 カウンター狙いだ。

 次こそ意識を刈り取ってみせる。


 だが次の一撃は、こちらの想像を超えるものであった。


「がっ――」


 激しい衝撃が後ろから襲い掛かる。

 辰巳を中心にして、光が立ち昇り、俺はその光に弾き飛ばされた。

 右脚と右腕が消滅する。


 だが一瞬でそれを再生させ、辰巳の方に視線を向けた。


「斬るだけが俺の能じゃない」

「知ってるよ。誰より努力ができる人間だってこともな」

「…………」


 できるなら殺さないように何とかしたかったが……このままじゃこいつに勝てそうもない。

 仕方ない。

 俺も能力を使用するか。


「恨むなよ、辰巳」

「恨むなだと? そんなのはもう遅い」

「……そうか」


 俺は全能力を解放し、辰巳に突撃する。


「【エアリアルインパルス】!」


 風の禁呪を発動させると、辰巳の下に空気が凝縮していき――一気に爆ぜる。

 目の前で暴風が発生し、辰巳の姿が視認できなくなった。


 ブルを倒した時よりも遥かに上昇した魔力。

 もしかしたらこの一撃で辰巳は死んでしまったかも知れない。


 ほんのすこしだけ罪悪感を覚えながら、視界が戻るのを待つ。


「…………」


 だがそんな心配も必要ないほどまでに、辰巳はピンピンしていた。

 奴の体を覆う鎧はズタボロになっていたが……すでにその体は再生している。


 本気で殺しにかからないければこいつを殺せない。

 そして殺さなければ、こちらが殺させる。

 俺は大きく息を吐き出しながら、辰巳を殺す覚悟を決めていた。

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