第242話 キャー! ウザエル様ぁぁぁ!
悪魔たちが住む反転世界の方で、首謀者のシャクティーは元より学院の関係者や熾天使堕天使がとんでもない状況に陥っている中、ギュラリントの森は平和だった。
もはや話は「聖なる稀人による悪魔退治」等という次元ではなくなっていたのだが、それでもルイードは思うところがあるのか、知らぬ存ぜぬの姿勢だ。
森の中にぽつんと建った白いファンシーな小屋の中で、赤子―――アリアナはアンドゥの胸から授乳してもらっている。
その間、アンドゥの旦那であるレーザー・レッドゴールドとガラバは、ルイードから貴族趣味のお茶を饗されていた。
白く小さな小屋にふさわしい小さな庭だが、ちゃんと手入れで行き届いていて、花壇も実に見栄えがいい。だが、これを作り、ここに住んでいるのが普通のヒュム種より図体のでかい、粗暴さの溢れかえる「ウザ絡みのルイード」なのだから似合っていないことこの上ない。
「まさか母乳ごと連れてくるなんてよぉ。オメェ、とんでもねぇな」
ルイードが淹れてくれたお茶を吹き出しそうになったガラバは顔をブンブンと横に振って否定する。
「ち、ちがうんですよ! これは成り行きで!」
「そうです。俺たちはどっちかって言うと救われたほうですから」
「ふーん?」
ルイードは青く済んだ空を見上げて「また因果を変えたな?」と独り言ちた。誰に対して言っているのか他の二人にはわからないことだ。
「それで、あの、ルイードさん。あの赤ん坊なんですが、事が終わったら俺たち夫婦に……」
「おう、いいぜ」
「うわ、あっさり……」
「そう驚くなよ。魔族がヒュム種を育てた例は他にもたくさんある。魔素が濃い魔界じゃ難しいだろうが、ここならそうでもねぇだろ」
「ここ?」
「おう。オメェらのために作った楽園だぜぇ?」
その話を聞いていたガラバは『自分が住むためじゃなくレーザー・レッドゴールドたちのために森を切り開いた? てか、どうしてこいつらが同行していることを親分は知ってたんだ』と頭を傾げたが、すぐに『まぁルイードさんだからな』と自分勝手に納得してしまった。
「あ、ありがとう。それで赤ん坊に修行をつけるって聞いてたけど、何年くらいかかるんだろうか」
「やってみねぇとわからねぇが、三百年くらいじゃね?」
「……ふぁ? 魔族の寿命なら問題ないけどヒュム種はそんなに生きられないんじゃ……」
「あー、うん、それなら問題ないから大丈夫だ!」
ガラバがフォローに回る。ルイードが特別な「時間の流れない空間」を作って、そこで稀人を修練することはなんとなく知っている。だから、その空間に入って数秒後には非常識な強さを持った赤子が現れるのだろうという予想もできた。しかしそれをレーザー・レッドゴールドに説明するのは難儀だ。
「とにかく問題ないから。俺の親分を信じてくれ、レーザー・レッドゴールド」
「お、おう。ガラバの旦那がそこまで言うのなら信じるしかないんだが……それにしても長閑な所だな」
レーザー・レッドゴールドは幼い頃からこの森は危険だと言い聞かされてきた。そんな魔族ですら恐れる森……のはずが、来てみたら妖精が舞い魔物たちが語らいながらキャッキャウフフしている童話のような場所だった事に驚いている。
「おう。この森には結構強い結界を張ったからな。この世で一番のユートピアだろうよ。もちろん悪魔が入ることはできねぇし、あんたら夫婦があのガキンチョを育てるのにこれ以上の環境はないぜぇ?」
「そんなことができるなんて、あんた、一体何者なんだ……」
「俺様は冒険者のルイード。それだけだ」
本当はこの世界は全部こうなってたはずなんだがな。どこで間違えちまったんだか―――ルイードは声に出さず、心の中で愚痴を吐いた。
■■■■■
女の名はシャクティー。
人類中最強クラスの殲滅力を持つ
その働きぶりは誰もが認めるところであり、まさに公正。
更に彼女の美貌と冷笑は老若男女を問わず「蛇に睨まれた蛙」のようにしてしまうことから、一部では「氷の女帝」と恍惚を以て呼ばれている。
そんな彼女の正体は、人間の世界に転生してまで堕天使たちの言動を監視している四大熾天使の一人、ウリエル。
今まで品行方正に人の世の法則と法律に従って生きてきた彼女が、どうして神のみが行える「稀人の門」を開けようとしているのか。
倒れ伏しているミカエル、ガブリエル、ラファエル、そして堕天使アザゼルを見下ろしたシャクティーは、幾枚もの黒い翼を畳みながら、ゆっくり噛みしめるように言葉を紡ぎ始めた。
「ごらんなさい。神が万能であられるのならば、あなた達が私に負けるはずがないのです」
反論しようとした
この四人、シルビスたちと同様に大食い勝負を挑んで完膚なきままに叩き潰されたのだ。
「てか、はぁぁぁぁぁぁ!? あんたらなにやってんの!? 意味がわかんない! 世界の命運を掛けた戦いが大食い対決ってどういうこと!? 王妃様とかカーリーさんとか、そこの
世界の命運を掛けた前哨戦で
ノーム種は消化が早いと言われているが(消化した栄養の大半は乳房に行くとも言われている)、先程までは毬のように膨らんでいた腹はもう平常時に戻っている。
「小さき者よ。先程から言っているように、神が真に万能なら私の所業を止めるでしょう。そしてここは神の力が及ばない反転世界ですから、きっとルイード様に私を止めるようお命じになるはずです。ああルイード様ルイード様ルイード様……」
一人で興奮し始めたシャクティーから黒い翼が孔雀のように広がっていく。
「それに―――神などいないと私は思っています」
シャクティーの一言に流石に王国王妃が吠え返した。
「き、貴様、熾天使たる貴様が神を……、神を信じぬというのか!」
「私は生まれてこの方、神を見たことがありません。天使の最高位である熾天使であっても、です。それともあなたはお会いなされたのですか」
「か、神の御姿を見るなど、畏れ多い……」
「考えても御覧なさい。完全なる神が、ご自身の写し身たちが住む人の世に、悪しき者たちが存在することを許しますか?」
「それは……」
「窓の外をご覧なさい。反転世界には私達天使の相克である悪魔たちや、ご自身の相克でもある魔神が存在する。完全なる神がそんな存在を許す理由がありません」
「まてウリエル。神の考えは我々には到底及ばない! なにかしらの神慮があっての……」
「そればかりか、近年は意味もなく異世界から稀人を次々に呼び寄せる続けるという愚行まで重ね、愛しきルイード様に過労を強いています。神が本当に存在するのなら、まるで混沌を楽しむ破壊者のようではないですか?」
「貴様……貴様ぁ! そこのざるそば五枚程度で潰れたザコ堕天使ですら、神をそこまで侮辱しなかったぞ!!」
「ミカエル。私は神が実在し、本当に神であることを確かめたいのです。神が在るのであれば私を止めるでしょう。それもルイード様の手で!」
「……は?」
「ふふふふふ。ここにルイード様が現れたら、稀人たちの世界にお連れして神の呪縛から解き放ち、私が一生面倒を見て差し上げるのです。ああ、私には見えます。壁の薄い獅子パレス的なアパートの狭い部屋で、ルイード様はごろ寝しながらお笑い番組を楽しみながらビールを飲まれ、私は酒のツマミを差し出しながら内職し、明日は朝からパートにでかけて生活費を稼ぎ、ルイード様にはパチンコの遊興費を献上するのです。そうしてルイード様は私がいなければ生きていけない体になり、私はその一生を面倒見続けるのです。ああ、なんと素晴らしい」
「いいですねそれ。私がそのヒモになりましょうとも、えぇ」
仮面の魔法使いがひょいと顔を上げたが、その後頭部をシルビスが踏みつけ、自身のオロロロの中に再び突っ伏した。
「黙って聞いてりゃ、おい蛇女! なによその妙ちくりんな妄想は! そんなことをするために私達を殺そうっての!? 冗談じゃないわよ!!」
「いと小さき者よ。あなたは先程私に負けたのです。敗者は黙って糧になりなさい」
その時、シャクティーの眼前の空間に亀裂が生じた。
「めんどくせぇことになってんなぁ」
ルイードがボサボサ髪を掻きながら割れた空間の中から現れると、シャクティーは歓喜の声を上げた。
「ああ! お待ち申し上げておりましたルイード様! いえ、我が愛しきウザエルさ……」
しかしシャクティーはそれ以上言葉を紡げなかった。
ルイードはその腕の中に自立歩行もできなさそうな赤子を抱いていたのだ。
「え、赤ちゃん? ま、まさかこの子はルイード様の子!? いやそんな馬鹿な。堕天使と人間たちの間に生まれる子供は必ず混沌の巨人ネフィリムとなるはず!?」
シャクティーは呆然とルイードと赤子を交互に見下ろす。
「ばぶー」
赤子―――アリアナはシャクティーを指差しながらキメ顔をした。
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