第239話 世界線をウザ軽く超えていく

「わしの名前?」


 天照大神の神使を名乗る東方の少女は、キョトン顔で問い直した。


 クレスト号の中で眠りこけた赤子を抱いたアンドゥに「あなたの名前は?」と尋ねられたわけだが、普通ならすぐに答えるところを彼女は言いにくそうにしているのだ。


「言いたくない名前だったら仮の名前でもいいんだよ。呼びかけにくいから名前を知りたいだけなんだよ」


 レーザー・レッドゴールドが子供に言い聞かせるような優しい口調で言う。見た目は派手だが紳士的で優しいのは、彼が冒険者崩れの野盗風情に落ちたとしても、根っこが善人だからなのだろう。


 もちろんこの夫婦は、目の前にちょこんと座っている少女が(見た目は年端も行かぬ少女にしか見えないだろうが)、実は何百年も生きている高次元生命体で伊達に神の使いではない!……なんてことはまったく理解していない。先程赤子に気絶させられていた二人は「気がついたらガラバが拾って馬車に連れ込んでいた女の子」という印象しかないのだ。


「「さあ、名前を」」

「……」

「「ん?」」

「………」

「「もっと大きな声で」」

「…………ガルスガルスドメスティクス(ニワトリの学名)」

「「はい?」」

「わしの名前はガルスガルスドメスティクスじゃ! 全然かわいくないんじゃ!」

「東方の名前はよくわかんないけど、長いよな。ガルス、ガルス、ドメスティクス……うーん」

「ガガちゃんね。よろしく」


 アンドゥはあっけらかんとニワトリ神使の名前を短縮した。


 横でレーザー・レッドゴールドが「ドメスティクスはどこ行った」と突っ込んだが、アンドゥの肘鉄を脇腹に食らって呼吸困難になったらしく、白目を剥いてカクンと落ちた。そんな夫婦漫才の最中、ガガとあだ名を付けられた神使はポーカーフェイスだ。


「私はアンドゥ。こっちの気絶した派手な男はレーザー・レッドゴールド。この子は名無しの赤ん坊ね」

「名無しなのかえ」

雇い主ガラバはこの子に名前をつけてないみたい。こんなにかわいらしい女の子なのに。ねー?」

「ばぶー」

「私が親だったら……そうね……アリアナってつけるかしら」

「ばぶ!」

「あらあら、この子、気に入ってくれたみたいよ。うふふ」


 アンドゥはすっかり亡くした子供の面影をこの赤子に求めるようになっていたが、ただの赤子じゃないという事実を理解していないのだから仕方ないだろう。


「イテテ……」


 数瞬気絶していたレーザー・レッドゴールドが覚醒し、横目でアンドゥを睨みつける。赤毛でスレンダーな美女はツンと顔を正面に向けたままで夫の顔を見ようともしていないが。


「あのなぁ、アンドゥ。まだ脇腹が痛いぜ? 少しは手加減しろよなぁ」

「私、ガラバさんに頼んでこようと思うんだけど」

「は? なにを突然!?」

「この子を私達に譲ってもらうのよ。赤ちゃんをあんな粗暴な男が育てられるわけがないんだから」

「粗暴で悪かったな」


 御者台から覗き窓越しにガラバが答える。馬車内の会話が聞こえやすいように前方の小さな窓は開けたままにしているのだ。


「悪いがその子には行き先があるから今はダメだ」

「今は?」

「まぁ、事を成した後だったらワンチャンあんたらの養子にする手もあるだろうから、俺がルイードさんに口添えしてやるぜ」


 レーザー・レッドゴールドとアンドゥは顔を見合わせてパァと喜色満面になり、二人して赤子の顔を覗き込んでアリアナ、アリアナと何度も名前を刷り込んだ。


「事を成さないとこの世界の終わりじゃがな」


 ニワトリ少女改め「ガガ」がぼそりとつぶやいたが、車輪の音で誰の耳にも届いていなかった。




 □□□□□





「どゆこと?」


 シルビスはその他大勢の生徒や教職員たちと共に呆然としていた。


 辺りを見回したシルビスは「いかにも城の中」と言わんばかりの場所にいることを知り、尚一層怪訝な感覚に襲われた。


 天井からは巨大なシャンデリアがいくつも吊り下げられ、柱や壁に備え付けられた燈台の明かりと共に煌々と辺りを照らしている。天井一面にはこれまた見事で幻想的な絵画が描かれ、床一面に敷き詰められたカーペットは踏んでいるのが恐ろしくなるほど精緻な柄が織り込まれている。


 どこからともなく楽団の演奏が「ズンタッタ、ズンタッタ」と聞こえ、思わず踊りだしたくなるような明るい雰囲気だが、ここにいる全員の顔色は悪い。それは―――この城の者が誰ひとりいないのと、窓から見える外の光景からして「ここは自分たちのいた世界ではない」とわかってしまったからだ。


「これは……外の魔素はとてもではないが私達が耐えられるものではないぞ」


 吸血鬼ハイエルフの現当主カミラはひと目見ただけで、ここの外が生存不可能な世界だと看破した。


「み、みんな落ち着いて、その場に座るんだ」


 生徒会のエマイオニー会長が生徒や教職員たちの動揺を抑えるために指示を出す。


「そこ! シルビス! 勝手に扉を開けて出ていこうとするな! 危険だ!」


 エマイオニー会長に怒られたシルビスは頭の巻角を指先でいじりながら「てへ♡」と舌を出した。こういう場面でやっちゃいけないことをすべて踏み抜いていく女、それがルイード一味の弟子頭「シルビス」という女なのだ。


「ようこそ! ここは悪魔たちの住まう反転世界です。私が作った城の中から外に出たら、存在も魂も反転して消滅してしまうのでお気をつけくださいね」


 シャクティー副学院長の声に全員が振り返ると、床から迫り上がってきたステージの上に下半身大蛇の美女が立ち、男も女も「はう」と胸を焦がすほどの美貌で微笑んでいた。


「あなた達は選ばれたのです。喜びましょう、歓びましょう、悦びましょう」

「シャクティーさん!? これは一体なんなんですか!」


 怖いものなしのシルビスが大声を上げると、シャクティーは薄笑みを浮かべた。


「あなた方は稀人たちがいる世界とこちらの世界をつなぐために必要な大事な生贄です。神の作り給うた世界を超える最初の生き物として誇れる魂となるのですよ」

「何言ってんのかわかないんですけど!」

「私達の住む世界でコレをやると神の抵抗に合って必ず失敗しますが、神が不在な反転世界でやると、一体どうなるでしょうね」

「ちょいちょいちょーい! そこの蛇女! 副学院長が生徒を危険な目に合わせるってどういうことですか!」

「私は常々思っていたのです。神はどうして万能であられないのかと。神が正しく万能であれば人の世に争いなどなく、魔物や悪魔なども……ましてや悪魔たちの神【魔神】など存在してはならないはずなのです」


 シャクティーの背中から黒い翼が幾重にも広がる。熾天使ウリエルの翼だ。


「神の名を汚す存在を放置し、異世界から稀人を次々に呼び寄せているのはどういうことなのか。その答えを得るために私は神の子らを贄に、稀人たちがやってくる先にある異世界の門をこじ開けようと思っています」

「よくわかんないですけど、そんなことしてなんの答えが出るっていうんですか!? 意味不明ですよ!」

「人の身ではわからないでしょう。私は神が神であることを確かめたいのです。神が本当に神であれば、いかなる存在をも差し置いて私こそがルイード様の横に並ぶべきだとおわかりのはず!」

「……は?」


 突然ルイードの名前が出てきたので、シルビスは片眉を上げてしまった。


「ミカエルもガブリエルもラファエルも、その他大勢の人間たちや魔族たちも、すべての生き物に愛される美しき我が天使ルイード様。その隣であのお方の微笑みを一身に受けるのは私。そうでなければ神は神として間違っているということです」

「どメンヘラですか! どこのキ○ガイがそんなことのためにこの人数を生贄にするってんですか! やっていいのは手編みのセーターに髪の毛混ぜとくとか、手作りクッキーに唾液垂らすとか、毎晩家の下まで行って部屋の明かりが消えるまで眺めるとか、ラブホはしごしたって嘘をばらまくとか、安全ピンで腕に名前掘るくらいのもんですよ! アホな考えとその大物演歌歌手みたいな翼の衣装を捨てて、さっさと私達を元の場所に戻してください!」


 シルビスの発言にここにいる全員がドン引きしているが、シャクティーは違った。


「そんなのとっくの昔にやってます。それでも私がルイード様と結ばれないのは神が間違っているからです」

「あんなしょぼくて汚くてウザいおっさんの何がいいんですか! シャクティーさんならもっといい男を選り取り見取りでしょうが!」

「小さき者よ。あなたはルイード様の真価を知らないのです」

「小さくないもん!」


 シルビスは自分の胸を鷲掴みにして「ほれ! ほれ!」とたゆんたゆんさせたが、この期に及んでそういうジョークが通じる相手ではなかった。


 相手はレッドヘルム学院の冷徹な副学院長であり、粗暴な連合国の冒険者達を仕切る受付統括であり、神の正義を執行する最高位の天使が一人、ウリエルなのだから。


「そこまで言うのなら小さき者よ。神との前哨戦にあなたと勝負しましょう」


 シャクティーは艶々と黒光りする幾枚もの翼を転げて高らかに勝負を宣言した。

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